むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「1」 ③

2024年08月22日 08時51分00秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・周防の国から、
任果てて帰ってきたのは、
父が七十一歳、私が十三歳の年

私はもう童女ではなくなっており、
感受性深い年ごろになっていた

帰りの船旅は、
往きより情趣深かった

海の景色は、
心の晴れる眺めではあるけれど、
突然、空のさまが変る、
恐ろしさも知った

海はいろんな顔を持っていた

海で働く男たちや女たちも見た

水夫(かこ)、かじ取り、舟人足らは、
不気味な海も何とも思わぬさまで、
漕ぎ出してゆく

荷物をどっさり積み込み、
舟の上を我が物顔に走り歩く

海女(あま)は海に潜り、
私が恐ろしく思って見守る中、
たく縄を引き、
それを海の上の男が、
たくりあげる

水面に浮かび出た海女は、
笛のような息をはいて、
切なげである

「かわいそうに・・・」

と私がいうと、父は、

「あれがあの人たちの仕事なのだよ
海を相手にあの人々は、
楽しんで仕事をしているので、
何もかわいそうなことなんか、
ないのだよ
向こうは私たちを見て、
窮屈で気骨の折れる仕事を、
押しつけられてかわいそうに、
と思っているだろう」

と父は笑った

でも私は、
やはり海女になるよりは、
受領の姫、と呼ばれるほうがいい

都へ帰れるのだもの

都の祭り、
都のにぎわい、
面白い物語が手に入る都へ、
戻れるのはうれしかった

しかし、海旅の情趣もまた、
捨てがたかった

舟泊に入る夜、
舟ごとにともす灯の美しいこと

未明、舟から見ていると、
小さなはしけが、
笹の葉を散らしたように浮かぶ

あとに白い波がのこり、
私は父に教えられた古歌、

<世の中をなににたとへむ
朝ぼらけ
漕ぎゆく舟のあとの白波>

を思い出したりした

遠いように見えるが、
舟でゆくとあんがい、
道は近いのを発見する

「遠くて近いものは舟の道ね、
お父さま」

「なるほど
では近くて遠いものは何だろう」

「十二月のおしまいの日と、
お正月の一日、
たった一日のちがいなのに、
新年になるとがらりと変るわ」

「なるほど、
それもある」

父は笑った

年とった父と私は仲良しだった

「ただ、過ぎに過ぎてゆくのねえ
帆をあげた舟は」

私がつぶやくと、父は、

「人の年もだ
それに、春、夏、秋、冬、
早いものだ」

私にはまだ、
「過ぎに過ぎるもの、
人のよわい」という感懐は、
理解できなかった

私の青春はこれからであった

都にはまだ見ない、
「夫」がどこかにいるはずだった

橘則光は、
そのころ、
私の家とは身分もつり合い、
家柄、年恰好、似合いだと、
父はいった

何より則光の母は、
冷泉院の一の親王のおん乳母に、
上っていた

その頃は円融院の御代で、
一の宮は東宮でいられた

次代の帝の乳兄弟、
ということであれば、
則光の前途は洋々たるもの

「気のよい男で、
みんなに好かれているし、
相応以上に出世するよ」

と父はいった

父のすすめる縁談を、
ことわる根拠はなかった

結婚してわかったのは、
則光の得意なのは、
力わざ、武芸、乗馬、弓などで、
いうなら兄の致信のように、
無頼ではないが、
かなりそっちに近かった

文芸趣味は、
持ち合わせていないらしい

東宮、のちに即位された花山院と、
申し上げた則光の乳母子の君は、
優美な風流者できこえた方である

お歌もあわれに美しく、
絵も巧者でいられて、
美術工芸まで一家言、
お持ちになっていた

尤もこの君は、
おん父冷泉院のお血筋を受けて、
ただならぬ狂疾の気がおありで、
人々を困惑させていられたけれども

それにしても、
そういう風流優雅な多趣味の君に、
仕えながら、
則光は一向影響されないで、
ぶこつ者であった

やがて花山院は、
み位にあられること二年で、
あっけなく退位された

花山院が最愛の女御を亡くされて、
悲嘆に沈んでいらしたのにつけこみ、
野心家の藤原兼家一派が、
だましすかして、
出家をおさせ申したのだと、
いわれている

それは寛和二年六月二十三日の夜

み位は次の一条帝にうつり、
兼家公は摂政となられた

則光はいまも変わらず、
法皇となられた花山院の宮に、
お仕えしているが、
栄達の夢は断ち切られたわけである

それが原因ではないけれど、
則光に別の女が出来たりして、
私の心は離れてしまい、
私は父の家にいる時が多くなった

私は父の家にいる方が、
面白かった

父の家には歌よみの仲間が集まり、
歌合わせの招待が来たりした

私自身にもそういう仲の、
女友達があった

また、父の縁続きの夫人は、
権中納言だった道長の君の、
北の方に仕えており、
私は連れられてその邸に、
遊びに行ったりし、
権門の家の明るい花やぎにふれ、
楽しかった

ちょうど大姫君さまが、
お生まれになったばかりで、
(この方がのちに一条帝に入内なさった、
彰子中宮である)
お邸は陽気でにぎやかで、
父の家の気風に似通っていた

それはあるじの道長の君の、
ご気性によるものかもしれない

二十三、四でいらした道長の君は、
おん父君の摂政、兼家公に、
いちばん似ていられるという噂だった

大らかな感じの方で、
私はそのころ御簾のかげから、
ちらと見上げたことがあった

この時の主上はいまの一条帝、
まだお小さくて七つ、八つのお年ごろ

お元服前で、
内裏にはむろん女御も更衣も、
いらっしゃらない

幼い少年の帝だけの内裏は淋しく、

「これであと、
四、五年もすれば、
花やかに女御がたがご入内あそばし、
内裏は賑やかに栄えます」

と女房たちはいっていた

「やがては、
こちらの姫君も、
ご入内されるかもしれませんね」

「でも、
それよりも道隆の大臣の大姫君が、
主上より四つのお年かさで、
いらっしゃいます
このお方がまずご入内、
という順序でいらっしゃいましょう
とてもお美しいとご評判です
後宮はさぞ栄えることでしょう」

そういう話を聞くのは、
私には楽しかった

それらの話のうち、
道隆公の姫君というのは、
のちの定子中宮であった

私が何年かのち、
この方に仕えるようになろうとは、
夢にも思わない






          


(次回へ)

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