むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「1」 ④

2024年08月23日 08時21分13秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・そういう人達とのつきあいのうち、
私はいつも「元輔の娘」として、
紹介され知られるようになった

下っ端役人の妻というより、
歌人の娘という方が、
通りがよいのだ

何気ないちょっとした、
歌を詠むときも、
父の名を恥ずかしめてはいけない、
と気を張ってしまうけれど

権中納言・道長公の北の方さえ、
「元輔の娘」として、
関心をお持ち下さるのだった

則光に私が、
何か話題を提供する

すると則光は一緒に、
興がるどころか、

「それはどこがおかしいのだ」

と真剣に聞き、

「教えてくれ」

という

こういうことは、
話してすぐわかってくれなくては

「ちっともやさしくしてくれない」

と恨まれても、
やさしくしてやろう、
という気なんか則光相手では、
起きない

男や子供に夢をかけるよりは、
手ごたえのある人間と交渉を持ち、
反応の素早い会話を楽しみ、
互いの教養や精神のありどころを、
測定し、ほめ合う、
そういう時の緊張状態、
するどい感覚、
それらを私は愛する

生まれたときから、
そういうものを知らずに、
育てられていれば、
それらの楽しみは知らずに、
済んだのかもしれないけれど、
私は父とおしゃべりの楽しみを、
味わってしまった

そうしてまた、
ほんの片はしを、
垣間見ただけだけれど、
もっと花やかな階層の社会も、
知ってしまったのだ

あれはいつの頃だったか、
小白川の小一条の大将のお邸で、
法華八講が行われた

暑い六月半ばであったが、
たくさんの群衆がつどうた

日が昇るにつれ、
暑さも堪えがたい

涼しげなのは、
池の蓮だけである

しかしやって来ただけのことは、
ある観物だった

長押の上に上達部は、
居並んで坐っていられる

その下座に若い公達が、
それぞれ狩衣や直衣姿で、
坐っていられるのも、
面白かった

実方の兵衛佐をはじめてみたのも、
そこだった

この人は、
ここのお邸の若君なので、
出たり入ったりしていられた

日が高くなった時分、
今の関白殿が入って来られた

いずれも、
目のさめるような貴公子がた

義懐(よしちか)の中納言が、
しゃれた様子でいられて、
目立った

中納言は花山院の伯父にあたり、
この頃は、
花山院の御代であったから、
あとから思えば、
中納言の得意絶頂でいられた、
ころであったのだ

講師の説法が始まったけれど、
私は家で急ぐことがあったので、
中座しなければいけなかった

ところが車が何台もびっしりと、
続いているので抜けるのは、
容易ではない

狭いところをやっと通り抜けた

上達部、殿上人が、

「尊い説教の途中で帰るのは?」

「よっぽどのご用があると見える」

と冗談をいいかけられる

女車とみて、
戯れていられるのだった

返事もしないで、
車をやらせていると、
義懐の中納言は、
私の車と知っていたらしい
(夫の則光は花山院の乳母子、
の関係である)

「ま、いいでしょう、
『退くもまたよし』ですか」

と笑われた

「法華経」方便品にある話だが、
釈迦が法を説こうとすると、
悟りをひらいたと慢心した、
五千人の増上慢が、
座を立ってしまった

釈迦はそれを止めないで、
「退くもまたよし」
といわれたという

私は即座に、

「あなたさまも、
五千人のうちに、
お入りになるのでは、
ありませんか」

といって出た

あとで私の応酬が鮮やかだった、
というので、
たいそう評判になった

それを夫の則光に、
話したのだけれど、
どこが喝采を博したのか、
彼はのみこめない風だった

あの法華八講の、
数日あとだった
花山院のみかどが、
突然、誰にも知られず、
ご出家なさったのは

義懐の中納言が、
あとを慕って世を捨てたのも、
あわれ深いことだった

父がその頃、
肥後守になった

栄えあることだったけれど、
父はもう七十九歳であった

「これが最後のおつとめだな
肥後から帰ったら、
ゆっくり余生を送ろう」

「ついていったらいけない?
この前の周防の時のように」

「お前には、
則光どのがいるじゃないか
夫婦が離れ離れになるのは、
よくないよ」

「則光と別れたっていい、
と思うのです
あたしがいなくても、
あの人はいいみたい
あっちの子供だって、
ずいぶん可愛がってて、
男の子ですって
あたしの前で、
子供の自慢をするんですもの」

父は年老いているが、
やはり今もどこか風変わりで、
奇矯なところがあった

こういう時でも、

(お前も子供を産むがいい)

などとは言わないのであった

「お前はわしが帰るまで、
夫婦別れはしばらくお待ち
女が一人住みするわけには、
いかないのだから」

父はひとまわり小さくなり、
それでも目の輝きも声も元気だった

肥後はよその国と違い、
任期は五年である

父が出発してから、
私の方にも変化があった

則光の「もう一人の女」が、
急病で死んだのである






          


(次回へ)

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