むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

12、手習 ⑯ 

2024年08月13日 08時30分22秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・尼君の母尼の孫、
紀伊の守は言っている

「故八の宮のお住みになっていた邸に、
日の暮れまで居られました
故宮の姫君にお通いでしたが、
まずお一人は先年亡くなられ、
次にその妹君を内々で住まわせて、
いられたのですが、
この方も去年の春、
お亡くなりになりました
その一周忌のご法事をなさいますのに、
そのお手伝いで私も、
お布施の女装束一そろいを、
調えてさしあげねばなりません
こちらで仕立てて頂けましょうか
織物は私が持ってきますから」

浮舟の心は波立つ

去年亡くなったというのは、
まさしく自分のことではないか

「亡き八の宮さまの姫君は、
お二人と伺っていたけれど、
それじゃ兵部卿の宮の北の方は、
どちらなの?」

妹尼が尋ねる

「薫大将どのの二度目の方は、
母君違いできっと身分の低い人、
だったのでしょう
大将どのは世間に披露なさらず、
内々の扱いをなさっていましたが、
今は大そうお悲しみです」

紀伊の守は語る

(この人は薫の君に、
親しく仕える人なんだ)

浮舟は思って、
自分の存在を知られるはずは、
ないものの恐ろしかった

「光の君とか申し上げた、
故院のご立派さには、
比べられないけれど、
今の世ではこのご一族が、
評判高いのだそうですね
その右大将(薫)さまと、
それから右大臣さま」

妹尼は、
耳にした噂話をいう

「ええ、
右大臣の夕霧さま(源氏の長男)も、
押し出しは立派だし、
威厳がおありでね
それから兵部卿の宮」

まるで浮舟に聞かせるため、
話し続けやがて紀伊の守は帰った

浮舟は、
薫がまだ自分を忘れていないと、
切なくなりながら、
薫よりも強く思われるのは、
母君のことだった

浮舟の思いは、
母君の上にしかなかった

「これをお願い出来ない?
あなたはひねることが、
お上手なんだもの」

と尼君は浮舟に、
衣装の仕立てを頼んだ

ひねる、というのは、
裾や袖の端を内側へ丸めて、
糊付けして始末することである

紀伊の守が頼んだ衣装を、
妹尼たちは裁ち縫いして、
忙しがっていた

浮舟は自分の一周忌のお布施を、
自分で調えるのは不吉で、
いやな気分がして、
気分が悪いと臥してしまった

妹尼は、

「どうなさったの
どんなご気分なの」

急ぎの仕立ても抛って、
浮舟を案じる

尼たちの膝元を埋める衣装は、
紅の衣、
桜の織物のうちぎ
花やかな彩り・・・

「こんなお召し物こそ、
姫君にお着せしたかったのに、
墨染の衣なんて・・・」

愚痴をこぼす尼もある

「昔のことを、
思い出されたのではありませんか
この衣装で・・・」

浮舟は妹尼に申し訳なく、
気の毒でたまらなかった

自分の過去を何一つ、
打ち明けていないことが

それでもやはり今は、
いえることではなかった

「昔のことは、
すっかり忘れてしまいましたけれど、
こんなお衣装を見ると、
物悲しい気持ちになって」

浮舟はさりげなく言った

「お隠しになるのは水くさいわ
私なども世間の人が着る衣装は、
もう長いこと忘れているので、
上手に仕立てられません
あなたもこんな衣装をととのえて、
お世話なすったお母さまが、
いられたことでしょう
まだ生きておいでなの?
あなたのように、
行方知れずになったら、
あきらめきれないで、
いらっしゃるでしょう」

母君のことを言われると、
浮舟は胸がせきあげて、

「もう亡くなられたかもしれません」

涙の落ちるのをまぎらわせ、

「思い出すと辛いものですから、
何も申し上げずにいます
隠し立てなどしているつもりは、
ございません」

言葉少なに答えた






          


(次回へ)

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