・マンハッタンで私がいちばん驚くのは、
京都に似て町が碁盤の目のようになっており、
タテとヨコ、つまり京都風にいうと、
西入る、東入る、上ル、下ルを町名につければ、
場所はすぐわかるところである。
ニューヨークには近代的建物がいっぱい、と私は思っていたが、
それは町によるのであって、中にはごく古い禁酒法時代のような、
なつかしい感じの建物がポツンポツンとある。
今にも「アンタッチャブル」のネス警部が出て来そうなビルがあり、
食料品店なんぞになっている。
「アメリカは戦災を受けてないんでしたっけ」とうなづき合う。
禁酒法といえば今も生きていて、
人々は酒瓶をむき出しに持ち歩かない。
公園にアル中の黒人がいたが、そのおっさんも、
紙袋に入れたままのウィスキーの小瓶を飲んでいた。
そうして紙袋ごと、ゴミ箱へ投げ込んだ。
ホテルの前に続くフィフスアベニューは、
東京の銀座といったところ。
この通りには、一流店が並んでいて、
ウィンドウのディスプレイは美しいのだが、
私はこういう通りのこういう店には全く興味がない。
サン・ローランやシャネル、クリスチャン・ディオール、
フェラガモ、グッチと並んでいる。
アメリカでヨーロッパのものを買う気になれないし、
私はブランドものが好きではない。
誰でも持ってるものなんて、なんで嬉しかろう。
世界で一つだけ、というようなかぐわしいものを、
ニューヨークに期待しているのだから。
そういうわけで、フィフスアベニューは、
私にはあまり面白くない町であるが、
この通りで好もしかったのは、
朝夕の通勤時間に通る女の子たち、
これが素晴らしくて、眺めるのが楽しみであった。
寒気に頬を紅潮させ、金髪をなびかせ、
歩いてゆく出勤途上の女たち、
ニューヨークはスクウェアな町で、
男たちはネクタイ、女たちは固いスーツが多い。
ツィードのスーツにブーツを履いている。
レインコートの襟を立て、ベルトを引き締めて、
トットと急ぐ姿はなかなかいいものである。
ニューヨークは西海岸と違い、
色合いは地味で、くすんだ黒や焦げ茶、ダークの服が多い。
それらを彼女たちが着ると、キビキビした色気があって、
風趣があった。
私自身は、
キンキラキンのオモチャ箱をぶちまけたような色が好きで、
そういうものを身につけたり持ったりするが、
ニューヨークの女の子の地味なスーツ姿が、
何ともいえずかわいく、かっこよく、
(いいなあ!)と見とれてしまった。
それから、働く黒人の知性美人にも開眼した。
知的な表情がいかにも美しく、私は道を聞くのだが、
彼女らは賢しい視線をじっと私にあて、頭をかしげて、
私のたどたどしい英語を聞きとろうとする。
そして私にわかるように、ゆっくりくり返し答える。
その間じゅう、やさしい笑みを浮かべている。
私はそういう「いい女」にばかり目を奪われ、
男はどうですか?と聞かれても、
「男、ニューヨークにいましたっけ」というのである。
・プラザホテルのあたりには、
みごとな毛皮をまとった上流婦人、
美しい装いのレディ・・・
たとえば、うす紫のコートに、白いフラノのドレス、
えり元に濃い紫のスカーフといった、亜麻色の髪の中年婦人。
そういう都会派の洗練美人に目を奪われるものの、
やはり好もしいのは、ごく普通のOLたちだった。
「なんで、こんなに私は女の子が好きになったのかしらん」
と言ったらカモカのおっちゃんは、
「中年になったからでしょう。
タカラヅカに熱をあげるのは若いもんより、
中年になって本卦がえりした中婆さんが多いと聞きます」
などと言う。
お昼になると彼女たちは、
カフェテリアで簡単な食事をとる。
あるいは町角で七十五セントのオレンジジュースに、
ハンバーガーを買って、職場に戻る。
OLたちは服装だけでなく、食べ物も質素である。
我々もヨーちゃんに連れられて、
セルフサービスのカフェテリアへ行き、
自分でお盆を持って好みの食べ物を入れ、
あとでレジでお金を払うことにした。
小さい家族的な店で、わけのわからない言葉が飛び交う。
英語を全く使わなくても生きていかれる町なので、
雑多な人種や言葉がうず巻き、
おのずとそれらは同じ色あいの店にかたまるようだった。
日本料理店も多く、日本語、日本文字の看板も多く、
ヨーちゃんは昔なじみの日本料理店へ夜ごと案内してくれる。
寿司、てんぷら、すきやき、
どの店もアメリカ人がたくさん入っていて、
巧みに箸を使い召し上っている。
カフェテリアの食べ物は大味で、まあまあというところ。
(③へ続く)