むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「12」 ①

2024年10月22日 08時59分12秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・はやり病が治まらぬまま、
年号は変って「長徳」と改元された

そして則光と会ったのは、
それから間なしのこと

昔とちっとも変ってなくて、
むしろ太ったので、
昔より冴えなくなった

むくむくと活力にみちた、
強壮な体つきになっている

そして心安げに見られる童顔で、
「則光」だの「則光さん」
と気安く呼ばれている

いまの蔵人頭は、
藤原斉信(ただのぶ)どのである

則光が私の夫だったことは、
知っていられる

頭どのは則光に、

「じゃ、いまは少納言の何なんだ?」

とからかわれ、
則光はあわてて、

「その、兄、
兄みたいなものです」

といったものだから、

「なるほど、
お前は少納言のお兄さまか」

と大笑いになった

いまでは主上までが、
「お兄さま」というのが、
則光のあだなだとご存じである

経房の君は嫉妬して、

「なぜ別れた?
何年ぐらい一緒にいたの?
子供は?」

などと聞くのも面白い

則光は私が内裏で、
人気者になっているのに、

「びっくりした」

といっていた

その辺が素直な男である

則光はむろん、
いまは新しい妻がいる

目の片方が小さい妻も、
いまだに別れないで通っている

「泊っていってもいいか?」

「だめよ
こんな人目の多いところ」

私は声をひそめた

「お前、
三条に家を持ってるじゃないか
宿下りする日を教えてくれ」

則光はいうが、
私はそんな気などなかった

私はそういう間柄より、
経房の君との、
冗談か本気かわからぬ、
関係の方が好きだった

まったく経房の君とは、
よく気が合う

私が局(部屋)にいるときは、
たえずやってきて、
時間をつぶしてゆかれる

私は説教の講師は、
美男でないといけない、
と信じているが、
それは美男のお坊さんなら、
じっと顔を見守っているから、
ありがたく尊い説教も、
よく耳に入るのである

これが憎さげな、
醜男の坊さんなら、
聴衆はよそ見をして、
しまうであろう

若い男もそうで、
美男の経房の君がいわれる言葉、
歌のひとふしは、
みなすばらしく思われる

この方の美しさは、
二十六、七といった、
青年のすがすがしさ、
さすがにお生まれがちがう、
という気品も好ましい

経房の君の父君は、
醍醐天皇のおん子、
高明(たかあきら)大臣である

あの「安和の変」で、
悲運のうちに亡くなられた方だが、
経房の君にはかげはない

母君は、
右大臣・藤原師輔どのの娘、
当代一流のお家柄といえよう

女たちが、
もてはやすはずである

それに、どうしてか、
私は経房の君とは、
感性が似通っている

この人はどこからか手に入れて、
「春はあけぼの草子」を読まれて、

「あれからだよ
よけいあなたが好きになって」

などといわれる

つれづれのひまに、
私と経房の君は、

「鳥は」

「虫は」

などと名を挙げあって、
笑いに興じたりする

「しかし、
あの『草子』には、
汚い話は似合わないね」

「いいえ、
汚いことも美しいことも、
みんな、
この世にあるかぎりのことを、
書きとどめたいわ
似合わないもの、
それ自体も」

「似合わないもの・・・」

経房の君が考えこんでいるので、
私は、

「武官が野暮な姿で、
夜の巡察を口実に、
女の局を訪れたりしているの
人に出会うと恰好悪いものだから、
いかめしく、
『怪しい奴はいないか』
なんてとりつくろったりして、
滑稽よね
ごわごわした狩衣なんか、
女の部屋のきれいな几帳に、
かけてあるのなど、
全く無粋で野暮の骨頂だわ
女のもとへ忍ぶには、
やはりみやびやかな姿でなきゃ、
似合わないったらありゃしない」

「私は似合わないものというと、
すぐ連想するのに、
年とった女が若い夫を持って、
大きなお腹をしてる、
というような・・・」

「いやねえ・・・」

「その若い夫が、
ほかの女と浮気してるのを、
嫉妬したり
待った・・・
もっと年とった歯のない婆さんが、
梅を食べて酸っぱがっている、
なんぞは・・・
またもやご懐妊、
というわけ
どうだ、
似合わぬものの最高だろ?」

私は笑って、

「もっと似合わないものは、
わたくしとあなたね
まるでみすぼらしいあばら家に、
月がだしこんだようだわ」

「どっちが月?」

経房の君は、
すり寄って言われる

「あの草子は、
私との共著になりそうだね」

全く、
そういう話のぴったりする点では、
経房の君以上の方は、
あろうとも思えない

でも、
やはり、
あの草子を、
いつか私が書くとしたら、
それは中宮・定子の君とであろう


経房どのとは、
また別の弾力ある心の、
ゆきかいを感じて、
生きている幸せのようなものさえ、
感じられる

則光が私の細殿で、
泊まっていったことがある

なぜ私と則光が、
再びそんな関係になってしまったか

私は「お兄さま」「妹」、
になっている今の関係を、
気に入っていて、
今更、復活する気はなかった

しかし則光は、
そういうのが気に入らぬらしい

「おれはね、
いっぺんも別れるといった、
おぼえはないんだから」

などといったが、
私は取りあわないでいた

ところがある夜、
三条の私邸へ里帰りしている時、
則光がやってきた

血まみれで、
ころがりこんできたのだ

「怪我はしていない
返り血だ
賊を三人ばかり斬ってきた」

「なんでまた・・・」

「わからん
人斬りだろう
おれは怨まれるおぼえもないし、な」

「怖い・・・」

「大宮大路だ
暗闇にいて、
突然、斬りかかってきた
夢中で刀を抜いて振り回した」

火がたかれ、
湯が沸かされる

則光と二人の従者は、
血のりでべとべとする刀を、
井戸端で洗った

邸じゅう大さわぎになった

従者が着替えを、
則光の邸へ取りにいく間、
則光は母屋で、
あぐらをかいていた

私は正直いってうんざりした

触穢のお祓いを、
してもらうとすると、
明日、明後日とここを動けない

それに従者たちが不用意に、
血のついた衣服を、
脱ぎ散らしたので、
柱や廊に血の汚れがつき、
気になってならなかった

則光は泊まるのかしら?
と気が揉める

「おおいやだ
夜の夜中に血だらけで、
飛び込むなんて、
縁起でもないわ
なんで夜歩きなんかすんの」

「うるせえ!」

則光は吠えた
則光は私を抑えつけていた

「何すんのよ!」

私はまるで見知らぬ男に、
思いもかけぬところで、
心外な理不尽なことを、
しかけられたように、
呆然としている

こんなに、
思うまま私を扱う則光なんて、
はじめてだった

これはもう別人の則光だ

別れているあいだに変貌した、
というよりも、
先刻の異常な恐怖の体験が、
則光をすっかり変えてしまった、
と私は直感した






          


(次回へ)

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