・二~三日すると兼家はまだ苦しそうでしたが、
蜻蛉に逢いに来てくれました。
けれど、健康が回復してくるとまた間遠な訪れになります。
こういう事件(兼家の病気)は蜻蛉の一生のうちで、
忘れられないものになります。
蜻蛉は夫が出世しようがしまいが、
病気の時に(お前をどんなに愛していたか)と言ってくれた。
それが生涯の大きな刻印になったようです。
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・四月の酉の日、
上賀茂、下賀茂社に朝廷から勅使が立ちます。
賀茂の社は朝廷と密接なかかわりがあり、
はるか昔の天武天皇のころからお祭りをされます。
このお社には内親王さまが斎院としてお祀りになる特殊な神社で、
この賀茂祭りに蜻蛉も参りました。
王朝行事はあおい祭りの次は「菖蒲(あやめ)の節会」
五月五日の「端午の節会」宮廷では宴会や武官の競馬があります。
競馬は直線コースを走らせて神さまに奉納する競べ馬というもの。
蜻蛉も競べ馬を見に行きたいと侍女たちと騒いでいますと、
兼家がそれを聞きつけて、
「そんなに見たいなら席を取ってやろう。
ただし双六をしてお前が勝ったら・・・」
蜻蛉が双六に勝って兼家は席をとって、
見物させてくれたという一章があります。
蜻蛉は兼家の夫らしい心づかいが嬉しかったのでしょう。
こんなのを読みますと、
この夫婦はかなり仲良く暮らしています。
普通の夫婦仲ではないかと思われるのに、
蜻蛉にしてみたら不満だ、というのです。
「かくて 人憎からぬさまにて、
十といひて一つ二つの年は余りにけり」
(人から見たら、おだやかな夫婦仲と見えようか。
結婚して十一、二年経ってしまった)
「けれど明け暮れ
世の中の人のやうならぬを嘆きつつ尽きせず過ぐすなりけり」
(世間並みの夫婦じゃないわと思いながら十一、二年経ってしまう)
では、世間並みの夫婦とはどんなものなのか?
蜻蛉にしてみると、
しばらく兼家が来ないと庭が荒れていくのが悩みのタネになります。
広い王朝貴族の家は始終手入れをしないと、
たちまち荒れてしまいます。
男を引き留められない自分に自信を失い、
また子供が少ないということでもコンプレックスを持ちます。
頼りにする父は地方官で都にはいません。
たまに来る夫は家の荒れ様に関心がないらしい。
私が心細く思っているのも気づかないのは、
それはきっと私への愛情が薄いからだと考えます。
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・いつの時か、話が行き違いになって、
大ゲンカになったことがあります。
兼家は捨てセリフを残して足音荒く帰りがけに、
息子、道綱を呼び(十二、三才)、
「お父さんはもうここへ来ないから」と言います。
道綱はそれを聞くと蜻蛉の部屋に入りこんでワッと泣き出します。
蜻蛉は、
(まさか、そんなこと冗談でしょ。そのうち来るでしょう)
と思っていました。
(冗談だと思っていた)というのは、
蜻蛉タイプの女性が言うことで、
男の方は決して冗談ではありません。
男の方は十のものをきっちり十取りますから、
蜻蛉が本心で愛想尽かしを言ったと思ってやって来ません。
中々来ない兼家に、
(もう二人の仲は終わったのかしら?)
そう思い夫を恋しながら、やってきた夫の姿に、
素直に喜びを表現できないのです。
一人で、家の中で悲しんでいるよりは、
物詣でに出かけてみようと蜻蛉は思いつきます。
物詣ではこの時代の女の唯一のストレス解消の機会です。
大変楽しみにして出かけるのですが、
蜻蛉の目から見ると何もかも物思いのタネになって、
そういう物思いの時に書いた文章はきれいです。
(4 了)