「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

9,姥スター ③

2025年03月12日 08時38分44秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・次男のところの小学生の娘、
嫁がいうには、

「ヅカ狂いになって、
勉強がお留守になっては、
困りますから」

と絶対宝塚を見せようとしない

「それぐらいで、
あかんようになるんやったら、
何してもあきまへんやろ」

「まあ、お姑さんは今さら狂う、
というおトシでもないでしょうから」

そういわれると、
まるで人間業を引退した、
ロートルのように聞こえる

「いや、それはわからん
宝塚にトチ狂うて、
女大尽みたいに金をばらまくかも、
しれまへん」

嫁たちと電話すると、
いつも言い合いになってしまう

嫁の方は三人寄って、

「ああいえばこういい、
こういえばああいう」

「いうことに可愛げない気、
しはらへん?」

などと陰口を利きあっていることだろう

しかし私は私で、
まちごうたこというてへん、
という気がある

ボケる、ボケないは神さんの・・・
ひいては運命の神、
どこにいてはるかわからぬ、
モヤモヤした神さん、
モヤモヤさんの胸三寸にあること、
人力ではどうしようもない

また、医者、学者、
というのも信じていない

というより、
私は医者のすることに反対なのだ

大体、今の医学はおかしいと思う

何が何でも、
治療を加えればいい、
ってもんとちがう

治らんとわかっているものを、
クダを突っ込んだり、
針金入れたり、
骨を削ったり、
めったやたらいじくり倒して、
植物人間にして何か月か何年か、
保たせたところで何になろう

死ぬまで検査検査といらい廻し、
欲しいものも食べられず、
そばへ寄って手を握ってほしい人をも、
遠ざけられ死んでゆく病人には、
なんの心の安らぎがあろう

もっと、自然の寿命、
というものを考えたほうが、
よいように思う

しかしそう思うのも、
私が健康でまだまだ死ぬ気が、
ないせいであろうか

ま、なんにしても、

(モヤモヤさん、
よろしゅうにたのみますわなあ)

というところである

誰もボケたい人はいないのだから、
かくなる上は神だのみあるのみ

でも、ひよいと思いついたのだが、
嫁たちと言い合いになり、
ああいえばこういい、
こういえばああいい返す、
そういう腹立ちの気力、ファイトが、
ボケない要素かもしれぬ

世の中には、
おナラで毒素を出すお鈴教やら、
脱争、脱病、脱貧の水子供養やら、
「ブー」と「テー」教やら、
いろいろあるらしいが、
みな、争いごと、
腹立ちごとを毒素として、
体外へ排出するのが目的のようだ

しかし腹を立てることは人間、
燃料を燃やすようなもので、
何にも腹を立てなくなったら、
それこそ細木老人のように、
ボケてしまうであろう

それを思うと、
私に腹を立てさせてくれる嫁どもは、
(嫁女さまさま)
というところかもしれない

とまあ、
気を取りなおし、
私はお花見兼観劇の日、
叔母を迎えに行った

叔母は少うし、
背がかがんでいるものの、
白髪をきれいにまとめて、
小さいまげを作り、
一越縮緬の青ねずみ色の着物に羽織、
きちんと身ごしらえして、
孫に車で送られてきた

孫といったって、
もう四十を超えている

「帰りはタクシーに乗せとくなはれ、
僕は廻らんならんとこ、あって
しかしおばあちゃん、
大丈夫かいな」

と孫息子がいうのは、
叔母を托す私もたよりない、
というのであろう

しかし宝塚には私の英語クラブの、
友人たちも待ち合わせている

宝塚観劇の日は、
この人々も誘ってある

富田氏、魚谷夫人、飯塚夫人、
というようなメンバー

長身でやせた富田氏は、
私の家でのパーティのときのように、

「いやあ、今日が楽しみで、
夕べは子供みたいに眠れませんでした」

といい「キッキッ」と、
特徴のある笑い声をうれしげにもらす

肥った飯塚夫人も、
おとなしい魚谷夫人も、
弾んでやってくる

そうしてみんなして、
九十一の叔母を大切に囲み、
そろりそろりと花の道を歩くと、
人々は微笑みつつ道をあけてくれる

この四月は、
宝塚がまさにいちばん、
宝塚らしい月といってよい

遊園地、そういう呼び方のほうが、
私などはぴったりするが、
いまは宝塚ファミリーランドと呼ぶ

その入り口の前の道、
ちょっと堤のように高くなって、
延びていてその道は桜のトンネルなのだ

薄桃色のかすみの中を、
叔母はそろりそろりとあるき、

「ああ、きれいでごあんな
今年もまた息災でお花見でけて、
結構なこっちゃおまへんか」

と花を仰いで喜ぶのである

その上、毎年四月の舞台には、
新しく宝塚へ入った初舞台生が、
お目見得して、
ずらりと何十人かならぶ

それが組長さんの口上で、
いっせいにお辞儀をする

そのさまがういういしくて、
叔母は、

「可愛らしおます」

と上機嫌なのだ

この叔母は、
私の母の末妹であるが、
昔からはっさい(おてんば)な女で、
私はその地を引いたのであるらしい、

若い時から自転車に乗ったり、
卓球が巧かったり、
はねっ返りの明治女学生であった

自分で作ったへちま水で、
朝晩肌を磨き、
わりに色白でしわも少ない

松屋町の菓子問屋に嫁入りして、
戦後、息子がその商売を再興し、
いい羽振りである

いまはひ孫もあって、
安気に暮らしているが、

「同じ年頃の友達が、
ついこのあいだベッドからおりる拍子に、
骨折しはってそのまま、
どこが悪いいうこと無う、
死んでしまいはりましてん
人間て一寸先はわからんもんで、
ごあすな
怖いことや
歌子ちゃんも用心おしやす」

と私にいった






          


(次回へ)

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