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・女三の宮は、
ただ若くあどけなく、
子供っぽいばかりでいられた。
純真でおとなしくいられるが、
張り合いもない。
源氏はその昔、
少女の紫の上を、
引き取ったときのことと、
比べずにはいられない。
あの頃の紫の上は、
少女ながらに個性があり、
打てばひびく才気煥発の、
面白さがありながら、
勝気ではなく、
無心に愛くるしかった。
もう大人の源氏が、
細心の注意をこめて、
応対しなければ負けそうな、
張りつめた手応えがあった。
しかしこの女三の宮は、
同じようなお年頃なのに、
なんと、子供っぽい、
たよりなさであろう。
こちらが黙っていると、
いつまでも黙っていられる。
その美しい黒い瞳は、
美しいがゆえに、
精神の不在を思わせて空虚である。
その底には、
まだ何の女の感情も、
いや、人間的な自我さえも、
宿っていない。
恐れげもなく、
恥ずかしげもなく、
源氏を見つめていられる。
そこにあるのは、
ただ運命に対する従順さばかり。
(しかしまあ・・・
我の強い意地を張るような、
憎さげな性格よりましだろう)
と源氏は思いつつも、
このひとを教えて、
好みの女に仕上げよう、
という情熱と根気は、
もはや自分にないのを知っている。
三日のあいだは、
夜離れもなく、
源氏は女三の宮のもとへ通う。
結婚後の三日間は、
どんなことがあっても、
男は女のもとへ、
通わねばならない。
それが決まりである。
紫の上は、
三日も源氏と離れているとは、
もう長いことないので、
さすがに萎れていた。
彼女が沈んで、
もの思いにふけっているさまは、
愛らしくもいとおしかった。
(なぜ、
彼女を苦しめるようなことを、
してしまったのだろう。
自分の弱気と浮気心のせいで、
こんな目にあわせてしまった)
と自分の優柔不断が、
源氏には辛く思われる。
しかし、
女三の宮を新たに迎えたとて、
紫の上への愛は変質せず、
減少していない。
いや、むしろ、
彼女がどんなにすばらしく、
愛すべき女性であるか、
ということが前にもまして、
思い知られ、
断ち難い契りとなっている。
それは、
命が絶えても、
紫の上との契りは、
絶えるまいというほどの、
深い思いになっている。
源氏はつぶやく。
<命こそ絶ゆとも絶えめ
定めなき
世の常ならぬ仲の契りを>
紫の上は、
聞こえぬふりをして、
「早くあちらへおいでなさいませ。
お待ちになっていらっしゃいます。
人も変に思います」
口少なに身支度をして、
出てゆく源氏を、
紫の上はいやな顔せずに、
見送った。
しかし紫の上の気持ちは、
おだやかではない。
大小さまざまの、
源氏の恋愛事件はあったが、
みないつとはなく、
事なく流れ過ぎた。
いちばん心配したのは、
身分高い朝顔の前斎院との事件、
あの時は、
前斎院にそのお気持ちがなく、
源氏の一人相撲に終わった。
今となっては、
もう大丈夫と安心していた時に、
こんなことになるなんて。
(夫婦というもの、
これで安心、
ということはないのだ。
一瞬一瞬でどう変わるか、
知れはしない。
男心ってつかまえにくいもの)
紫の上はそう思いながらも、
それを口に出して嘆いたり、
拗ねたりできる性格では、
なかった。
常と変わらず、
平静を装っていた。
そばについている女房たちは、
「まあ、
意外なことになってしまって」
「源氏の君には、
たくさんの方々がいられるけれど、
みな、こちらの上(紫の上)の、
ご威勢をはばかって、
控えめにしていらしたから、
事なくすんでいたのです。
それがどうでしょう、
あの宮さま(女三の宮)の、
威張ったなされようは・・・」
「こちらが負けていられることは、
ないと思います」
などと言い合っていた。
紫の上は、
常の日課として、
就寝前のひととき、
女房たちとたのしく、
とりとめのない世間話を、
するつもりであったが、
源氏のいない留守に、
女ばかりでそんな、
陰湿な陰口になるのが、
いやであった。
女らしい愚痴や中傷を、
まことに聞きにくく思った。
「そうじゃないわ。
源氏の君には、
女君がおおぜいいられる、
といっても花やかな現代的な、
方はいらっしゃらなくて、
お淋しいと思うわ。
そこへお生まれもよく、
お若い姫宮が正式に、
お輿入れなさったのは、
ほんとによかったと思うの。
わたくしは子供っぽいのかしら、
宮さまぐらいのお年頃の気持ちが、
まだ残っていて、
お遊び相手に加えて頂きたい気持ち。
それなのに、
どうして宮さまのことを、
わるく言われるのでしょう。
こちらが隔て心を持ったりしたら、
お気の毒。
仲良くしてあげなければ」
女房たちは、
紫の上の言葉を聞いて、
目くばせしつつ、
(あんまりお人がよすぎる)
(そうまで宮さまに、
お気を使われなくても)
と言い合っていた。
彼女らはもともと源氏に仕え、
目をかけられていた女房たち、
であるがこの年頃は、
紫の上に仕えていて、
みな心から紫の上を慕い、
紫の上の味方であった。
他の夫人たちからも、
「大変なことになりましたね」
という見舞いの手紙が、
紫の上に寄せられたりする。
それは間違いなく、
同情なのか、
それとも好奇心なのか、
皮肉なのか、
誰が知ろう。
愛憎の渦に巻き込まれたとき、
女の同情や共感は、
たやすく皮肉や好奇心に、
裏返る。
聡明な紫の上は、
その辺を見抜く力があった。
あまり長く夜更かししても、
人々がいつもと違うと、
咎めるであろうかと、
紫の上は寝所に入った。
ここしばらく、
独り寝の床で、
そばに源氏がいないのに、
紫の上は馴れることが、
出来なかった。
心は波立たずにはいられない。
久しぶりに、
源氏が須磨に流された頃のことが、
思いだされる。
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(次回へ)