むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

4、原発について ④

2022年06月30日 08時41分32秒 | 田辺聖子・エッセー集










・「緑の会」が編集した、
「原子力発電とはなにか そのわかりやすい説明」
(野草社発行)によれば、
スリーマイル島の原子炉はそのとき空だき状態になり、
二千二百度という灼熱状態になってしまった。

コンピューターがきかない、
安全装置が作動しない、
メーターが狂ったというとき、
人間はどういう反応をみせるか。

コントロールセンターの警報がわずか数分間に、
百回も鳴りわたり、そのやかましさに、
気が動転してなにがなにやらわからなくなった。

その間も、事態はネコの目のように変化し、
そのどれもが、訓練では一度も経験しなかった、
奇怪なことばかりだった。

目の前には無数の圧力計、温度計、
いろいろな表示器、メーターなどが数字を示し、
それらのメーターに矛盾がみられた。

「これではとても・・・」

ほんとうにこんな大事故がないといいきれるだろうか。
原子炉の運転員の技術は確かなものだろうか、
コンピューターが故障した場合、
とっさの判断がとれるほど、
ベテランが配置されているのだろうか。

地震のときや停電のとき。

こんな「素朴な疑問」にこたえてくれるのが、
「地道な日常活動」ではあるまいか。

そして私のさらなる「素朴な質問」は、

「危険なゴミの捨て場も決めていないのに、
なぜ次々原子炉を作るのですか?」

というところである。

ヨソの海へ持っていったら、
叱られるのは目にみえたことである。

日本政府と原子力関連産業と原発推進者たちは、
その猛毒の廃棄物を抱えて永久にうろうろする、
とうのだろうか。

とりあえず私は、
原子炉の新設を中止すべきではないかと思っている。

東海村の原発が事故を起こせば、
東京は死の町になるだろうけれど、
私の住む関西も若狭に近い。

そこは「原発銀座」といわれるほどで、
九基の原発がたち並んでいる。

爆弾の上で寝ているようなものである。
爆弾なら一世代の全滅で済むが、
放射能汚染は何代にもわたって障害をもたらし、
生物をむしばみ続ける。

私の最後の「素朴な質問」は、

「こんなに危険で効率のあがらない原発を、
どうしても作ろうと強行しているのは、
何か旨味があるからですか?
もしあるとすれば儲けて、
トクをするのは誰ですか?」

ということである。

原発にかわる代替エネルギーの研究に、
政府はお金と能力をつぎこみ、
本腰でとりくむべきではないだろうか。

私は別のところにも書いたが、
先にあげた本「原子力発電とはなにか」を、
女性にお読み頂きたいと思う。

この本がいちばんわかりやすかった。

原子力発電も核戦争も私には同じ恐怖に思える。

核戦争にそなえてシェルターが、
日本でも作られているが、
ほんとうにシェルターで生き延びられるのであろうか。

自分の家族だけ助かったとしても、
広範囲に汚染された地球で、
どこへのがれようとするのだろうか。

シェルターの中で生き残れたとしても、
かなり長期間その中で生きていなくてはならない。

何カ月もの食糧と水を貯めておけるのだろうか。

更に満目死に絶えた廃墟、
広範囲のゴーストタウンから、
どうやって脱出できるのだろうか。

「素朴な疑問」は果てしなく、
ふくらんでゆく。

それを、核アレルギーというだけで、
片づけてしまってよいものだろうか。

関西の地にいると、
地震の恐怖はまだ遠いが、
私はひしひしとその不安を肌に感じる。

原発が地震に遭ったら、
その時の対策は講じてあるのだろうか。

いつの世も、
人の世は火宅ではあるものの、
防げる災いは防ぎたいものだが、
要は想像力にかかってくると思う。

世論を喚起する、というのは、
人の想像力を刺戟することにほかならない。

人間の命をはぐくみ守るのは、
女の仕事である。

女たちがまず危険についての想像力を、
働かせるべきかもしれない。






          


(了)

・関西でも大きな地震(阪神淡路大震災)が起きました。

・福島原発が東日本大震災に遭い、
津波によってメルトダウンが起きてしまいました。

・核戦争もウクライナへ戦争しかけた、
ロシアによって現実化しています。


田辺さんの「素朴な疑問」が、
次々と現実になる現代です。


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