「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

10、須磨 ⑥

2023年09月19日 08時44分27秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・この国の守も、
源氏に親しいので、
ひそかに心を寄せて便宜をはかる。

それゆえ、旅先といっても、
人の出入りは多くさわがしいのだが、
話相手とてなく、
源氏には知らぬ他国の気がする。

(こんなところで、
どうやって年月を過ごそう)

と思い屈した。

家の修理や普請が一段落したころには、
梅雨の季節に入っていた。

晴れるにつけ、雨につけ、
源氏は京の人が恋しかった。

あちこちへ宛てて書いた文を、
いちどに托して源氏は京に使いを出す。

二條院の紫の君と、
入道の宮(藤壺)にあてたそれである。

おぼろ月夜のかんの君には、
おもて向きは、
女房の中納言への私信のように見せかけて、
中には秘すべき手紙を入れた。

二條院では紫の君は、
源氏の文を読んでそのまま起き上がれず、
しおれていた。

別れの苦しみは、
紫の君の心を深くし、
艶冶な美しさに染め上げていた。

乳母の少納言から見ると、
この日ごろ、またおとなびまさって美しく、
しっとりしたように思われる。

「そうだわ・・・
悲しんでばかりいてはいけないわ。
ご不自由なところで、
精進していらっしゃるのだもの、
お見まわりのことを、
ととのえてさしあげなければ」

紫の君は涙をふきつつ、
旅先での夜具、白い直衣、指貫、
今の源氏は無官の身とて、
無紋のものをととのえるよう、
指図するのだった。

入道の宮も、
源氏の文にこまやかなお返事をなさった。

思えば、この年頃、
源氏にはつれないあしらいを続けて来られたが、
それは世間の目をおそれ、
東宮と源氏の身に難が及ぶのを、
案じられたからである。

しかし、その秘密は保たれた。

それは源氏の献身的な努力のせいである。
宮はいまさらのように源氏の心づかいを、
いとおしく思われた。

かんの君の返事は、
女房の中納言の手紙に入れてあった。

中納言は、かんの君が、
源氏を恋しく思って、
つねに物陰で泣いていられます、
などとしたためていた。

それぞれに、
あわれな都からの返事であったが、
源氏の心を濡らすのは、
紫の君の文である。

「もう何日、
あなたと会えぬ日が過ぎましたかしら。
海辺の波は寄せては返すのに、
どうしてあなたは、
帰っていらっしゃらないのでしょう。
須磨は遠くない、
と人に慰められますけれど、
遠くないからこそ、
かえって心乱れます。
いっそあずまやみちのくのように、
遠国ならばあきらめもつきますのに」

紫の君の届けてきた衣や夜具の色合い、
仕立てもすべて上品で、
源氏の趣味にかなった。

(いっそ、ここへこっそり迎えようか)

と悩み、また思い返して、

(いやいや、それでは本意に悖る。
自分の罪業を消滅することが先決だ)

と明け暮れ、
仏道修行に精進した。

手紙は、
伊勢の御息所からも寄せられた。

白い唐の紙四、五枚に散らし書きしてある、
御息所の文は、
優雅であわれ深かった。

花散里からも便りはきた。

「長雨に築土もところどころ崩れて」

とあったので、
源氏は女ばかり住む、
荒れた邸の心細さを思いやった。

早速、二條院の家令に修理を命ずる、
使いを出した。






          


(次回へ)

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