「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

10、須磨 ⑦

2023年09月20日 08時55分26秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・さて、おぼろ月夜のかんの君は、
源氏の失脚の原因と人にうしろ指さされ、
世の物笑いになっていた。

宮中へも上がれず、
邸のうち深くたれこめて、
失意に嘆き悲しんでいる。

父の右大臣は、
この姫を溺愛していられるので、
腹は立ちつつもあわれでもあり、
せつに帝や大后に許しを乞われた。

帝はおやさしいお気性とて、
おゆるしになった。

帝のご寵愛深いのを知っていて、
かすめ取った源氏にこそ罪はあれ、
と、見のがされた。

かんの君は七月になって参内した。

かんの君への愛をまだ失ってはいられず、
むしろ時を隔てて会われて、
帝はなおご執着が増した。

かんの君は、
帝の清らかなお姿ややさしい心に感動しつつ、
心の底では源氏を忘れられない。

須磨に秋が来た。

源氏の住居から海は少し遠いが、
人に物思わせる秋風が身に沁みて吹きわたる。

夜は波音も近く聞こえた。

(都恋しいのは自分だけではないのだ・・・)

と源氏は思う。

自分一人の責任で、
彼らをそれぞれの親兄弟や、
恋人、妻子たちから引き離し、
こんな辺鄙なところへ漂泊させてしまった。

それを思うと、
彼らにすまない気がする。

彼らは自分一人を頼っているのだと思うと、
悄然としたさまを見せてはいけない、
と源氏は心を取り直すのだった。

全くの清潔な男所帯で、
夜昼、そばに親しく仕える者は、
男たちばかりである。

源氏は彼らと冗談を言い合ったり、
あそびごとを考えたりして、
気分転換させようとした。

源氏の姿は、
秋の海辺に置いてみたとき、
男がみても美しかった。

前栽の花も咲き乱れる。

いい風情の夕暮れ、
海の見える廊に源氏はいる。

柔かな白綾の衣に、
紫苑色の指貫、
濃紫の直衣、
帯しどけなく、
くつろいだ姿のまま、
ゆるやかに読経する。

沖にはひなびた舟唄を歌いつつ、
幾艘もの船が小さい鳥のように浮かんでいた。

しずかに光を失って暮れてゆく秋の夕、
呆然と海に見入る源氏の姿は、
魅惑的だった。

都の女が恋しくなっている供人たちも、
源氏を見て気がまぎれる。

弘徽殿の大后(帝の母君)や右大臣にこそ、
恨みはあれ、兄帝を、
源氏はお恨みする気はなかった。

その頃、
筑紫の太宰の大弐が、
任期満ちて都へ上ってきた。

一族が多く、娘もたくさんいたので、
男たちは陸路、女性たちは船旅であった。

そうして海岸沿いに、
陸路と海路とで、
各地の見物をしつつ、
折々合流して都へ上ってきたのであるが、
どこよりも風光美しい須磨をめでていたところ、
ここに源氏の大将の君が、
侘び住まいをしていられるときいて、
女たちはどよめく。

娘たちの中で、
以前、源氏のひそかな情人だった五節の君は、
ことに行き過ぎがたく思った。

源氏の悲運に、
須磨の秋のわびしさまで重ねて思われて、
みな泣いた。

大弐は手紙を書いて、
源氏に挨拶した。

使者は、大弐の子供の筑前守だった。

源氏が蔵人にして、
目をかけてやった青年である。

彼は源氏の生活を見て、
悲しく思ったが、
人目をはばかってゆっくりできない。

「よく立ち寄ってくれた。
わざわざ寄って、ゆき届いた挨拶、
嬉しく思うよ」

源氏はねぎらって、
大弐への返事を書いた。

筑前守は泣く泣くもどって、
源氏のありさまを伝えると、
大弐をはじめ、みな泣いた。

五節の君は、
無理をして伝手を求め、
源氏にたよりをことづけた。

五節の君は、
源氏からの返事の手紙を抱き、
親兄弟に別れても、
この浦にとどまりたい、
と思った。






          


(次回へ)


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