・さて、おぼろ月夜のかんの君は、
源氏の失脚の原因と人にうしろ指さされ、
世の物笑いになっていた。
宮中へも上がれず、
邸のうち深くたれこめて、
失意に嘆き悲しんでいる。
父の右大臣は、
この姫を溺愛していられるので、
腹は立ちつつもあわれでもあり、
せつに帝や大后に許しを乞われた。
帝はおやさしいお気性とて、
おゆるしになった。
帝のご寵愛深いのを知っていて、
かすめ取った源氏にこそ罪はあれ、
と、見のがされた。
かんの君は七月になって参内した。
かんの君への愛をまだ失ってはいられず、
むしろ時を隔てて会われて、
帝はなおご執着が増した。
かんの君は、
帝の清らかなお姿ややさしい心に感動しつつ、
心の底では源氏を忘れられない。
須磨に秋が来た。
源氏の住居から海は少し遠いが、
人に物思わせる秋風が身に沁みて吹きわたる。
夜は波音も近く聞こえた。
(都恋しいのは自分だけではないのだ・・・)
と源氏は思う。
自分一人の責任で、
彼らをそれぞれの親兄弟や、
恋人、妻子たちから引き離し、
こんな辺鄙なところへ漂泊させてしまった。
それを思うと、
彼らにすまない気がする。
彼らは自分一人を頼っているのだと思うと、
悄然としたさまを見せてはいけない、
と源氏は心を取り直すのだった。
全くの清潔な男所帯で、
夜昼、そばに親しく仕える者は、
男たちばかりである。
源氏は彼らと冗談を言い合ったり、
あそびごとを考えたりして、
気分転換させようとした。
源氏の姿は、
秋の海辺に置いてみたとき、
男がみても美しかった。
前栽の花も咲き乱れる。
いい風情の夕暮れ、
海の見える廊に源氏はいる。
柔かな白綾の衣に、
紫苑色の指貫、
濃紫の直衣、
帯しどけなく、
くつろいだ姿のまま、
ゆるやかに読経する。
沖にはひなびた舟唄を歌いつつ、
幾艘もの船が小さい鳥のように浮かんでいた。
しずかに光を失って暮れてゆく秋の夕、
呆然と海に見入る源氏の姿は、
魅惑的だった。
都の女が恋しくなっている供人たちも、
源氏を見て気がまぎれる。
弘徽殿の大后(帝の母君)や右大臣にこそ、
恨みはあれ、兄帝を、
源氏はお恨みする気はなかった。
その頃、
筑紫の太宰の大弐が、
任期満ちて都へ上ってきた。
一族が多く、娘もたくさんいたので、
男たちは陸路、女性たちは船旅であった。
そうして海岸沿いに、
陸路と海路とで、
各地の見物をしつつ、
折々合流して都へ上ってきたのであるが、
どこよりも風光美しい須磨をめでていたところ、
ここに源氏の大将の君が、
侘び住まいをしていられるときいて、
女たちはどよめく。
娘たちの中で、
以前、源氏のひそかな情人だった五節の君は、
ことに行き過ぎがたく思った。
源氏の悲運に、
須磨の秋のわびしさまで重ねて思われて、
みな泣いた。
大弐は手紙を書いて、
源氏に挨拶した。
使者は、大弐の子供の筑前守だった。
源氏が蔵人にして、
目をかけてやった青年である。
彼は源氏の生活を見て、
悲しく思ったが、
人目をはばかってゆっくりできない。
「よく立ち寄ってくれた。
わざわざ寄って、ゆき届いた挨拶、
嬉しく思うよ」
源氏はねぎらって、
大弐への返事を書いた。
筑前守は泣く泣くもどって、
源氏のありさまを伝えると、
大弐をはじめ、みな泣いた。
五節の君は、
無理をして伝手を求め、
源氏にたよりをことづけた。
五節の君は、
源氏からの返事の手紙を抱き、
親兄弟に別れても、
この浦にとどまりたい、
と思った。
(次回へ)