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・私は過日、
ある放送局で青少年たちと話し合いをしたが、
その時も、そんな話が放送前に出ていた。
尤も青年ばかりでなく、大人側からも、
近ごろの親は子供を叱らなさすぎる、
という声が多い。
親に自信がないからだとか、
教育理念が確立していないからだといわれる。
のさばる青年たちを苦々しく思っている人が多い。
しかし、現実に子供を身近にもっていると、
いかに体制側的、家長的立場に立とうとも、
それでストレートに子供を叱り強制し、
抑止することは出来ない。
立場としてはそうであっても、
ひと昔前の親爺のように、
直接的な叱り方はできなくなっている。
それはわれらの世代と関係があると思う。
われわれ三十代後半から四十代の人間は戦争を経てきて、
時代に対しても人間に対しても、
不信感が投影せずにはいられない。
断固とした理念や信条がない、というのではなく、
それを唯一絶対のものと信ずる根拠がない。
われわれの少年少女時代は、
親から直接的な叱られ方、強制のされ方をした。
しかしながら、
われわれの人生は、戦争を挟んだおかげで、
価値観が変動して親の教訓は反故になってしまった。
それが切実に身に沁みたもので、
いまの親の心理は複雑微妙である。
そうしてへんな内省癖、場違いな卑下感、気恥ずかしさ、
てれ、含羞などがつきまとう。
自分たちが受けたような教育をしても、
それが将来、よいか悪いか、判断はつけられない。
ただ一つ、
まちがいのないものは、健康ぐらいのもので、
そのほか、数々の徳目について、
自信のある人は少ないのである。
来し方を考え、未来を展望し、
みずからの青年時代と思い合わせ、
あたまから子供を叱るということに、
まともな大人なら躊躇せずにはいられない。
そういう複雑な曲折を経て、
大人は沈黙しているのだ。
独身のとき、
「大人ってどうしようもないよ」
と青年たちをおだてたのは、
今になると軽率であったといわざるを得ない。
しかしそういう屈折した心理は、
浅薄な若者のあたまでは理解できない。
さればといって、
大人は結果として体制側に立たざるを得なくなる。
子供たちが、
みすみす敗退するのに決まってる道を、
進ませる親がいないのは当然である。
だから遠慮がちに、
「それじゃ、世の中渡れないよ」
などといって、
「大人って臆病で卑怯だなあ」
とひんしゅくを買ったりする。
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(次回へ)