むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

24、男の尊大さこそ可愛らしい 

2022年06月08日 08時34分20秒 | 田辺聖子・エッセー集










・私は賢い人間が好きだ。
バカな人間は嫌いである。
また不真面目な輩も好まぬ。

真面目でりちぎでかしこく、
小心なほどつつましく、
がんこなほど正直な人間が好きである。

それでこそ、人間らしい人間であり、
そういう人間に育てたいと、
若い世代をみるたび思うのである。

また自身もそうあろうとし、
そういう人間とばかりつきあいたいと思うのである。

しかし、現実というものは、
なかなかそうはいかない。

第一、私は女であるが、
女にはなかなか、賢い女というのはいない。
いても大変少ない。

ウーマンリブの女闘士に叱られるかもしれないが、
真面目でりちぎで小心、頑固、正直、
という美徳はそなえているくせに、
「かしこさ」というのは身につけがたい。

しかし、これに対する男のバカさかげんも、
かなりの線をいくものである。

よって、私は女である以上、
女の方は棚にあげて、
男のバカさかげんをあげつらいたい。

第一に、ウチの夫をみてもわかる。
男は矛盾のかたまりである。

酒を飲みながら薬を飲んでいる。

いくら薬がたくさんあるとはいえ、
(彼は医者である)薬を飲んでおいて、
また酒を飲むというバカさかげん!

また、世の男というもの、
どうして野球中継やボクシング、ゴルフ、プロレス、相撲の、
テレビ番組が好きなのか。

どうしてドラマを見ないのか。
人生の種々相、人間心理の複雑なあやが、
ドラマを見ることによって養われるのである。

男はなぜ、ドラマを見始めるとすぐ眠くなり、
アクビが続けさまに出るのか。
まことに不思議。

ドラマを見ず、かといってまた、
妻の話はろくに聞かないくせに、
漫才を聞いて声立てて笑う。

とんでもない話の途中で、
声を出して笑うので、何かと思ったら、
テレビの漫才に笑ってるのだ。

あるいはまた、
ふだん賢そうなことを言ってるくせに、
ひと目でウソとわかるウソをうく。

あるいは、家へ帰れば安い酒があり、
暖かい食事が待っているというのに、
ふらふらと寄り道をする。この矛盾!

私は寒風吹きすさぶ街中で、
足踏みしておでん屋をのぞいている男たちを見る度、
その真意を了解するのに苦しむ。

それほど帰るのがいやな家庭なら、
結婚しなきゃいいのに・・・矛盾のきわみ。

子供のしつけや進路問題、
ことにしつけということで、

「たまには叱ってよ!」

と妻にいわれた夫たちは、
面倒くさそうにス~ッと席をはずしてしまう。

大工さんに頼んで、
この空き地に勉強部屋を建てようかとか、
毎月いくら金を貯めれば何十年後に家が建てられるとか、
今度の日曜は父親参観日であるとか、
そういう話になると必ず、
ス~ッと立ってどこかへ行くか、
聞こえぬふりをする。

そのくせ、三島事件とか、中共貿易とか、
アメリカの不景気とかいう話になると、
男同士眼を輝かせて議論する。

足元の緊急重要事に関心なく、
遠方の火事ばかり気にとられている。

プロ野球の誰がよく打つの、
将棋の誰が何段であるの、
相撲の誰が何勝何敗であるの、
ということは詳しいくせに、
妻の兄弟が何人いたのやら、
親戚の続き柄、
結婚して何年経つやら、
さっぱりわからず、何度言っても覚えず、
いつも初めて聞くような顔をする。

こういうのは多分、
身勝手というものであろう。

自分が病気になったときは、
内閣でも変わるかと思うほど騒ぎ立て、
ハタ迷惑であるのに、
妻が病気になると、一向に思いやりなく、
おまけに仏頂面である。

その上、病気になった方が悪いようにいうのは、
男の通癖である。

妻についての考えそのものも身勝手。

自分の妻は身じまいよくつつましく、
家庭を守り子を育て、あまり食わず寝ず、
ひたすら夫に仕えるのがよいが、
友人の妻は軽佻浮薄にもてなし好きで、
美人で才気煥発で、いわば蓮っ葉なほうがよい、
というのではあるまいか。






          


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