むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

25、心をめぐる随想 ①

2022年06月09日 09時00分40秒 | 田辺聖子・エッセー集










・心というものについて、
あらたまって考えたことはない。

私は小説を書くことが一応、
たてまえとしては本職になっているから、
人間の心のことばかり四六時中考えすぎて、
それが普通の状態であるから、
心とは何ぞや、と思うと、
びっくりして、居住まいを正して、
改めて考え直さなければならぬようになってしまう。

私は人の心を洞察する力は充分でない。
観察力も貧弱で、経験も浅いから、
人間のすべてを把握する力があるとは申せぬ。

よって私が小説でいろんな男や女を書くのは、
大体自分が下敷きになる。

つまり心について考えるとき、
私は、私の心とつきあっているのである。

この間、テレビを見ていたら、
幼児のIQがどうのという番組があった。

知能テストを四つ五つの子供にほどこして、
それでもって何をするかというと、

「幼稚園に入る目安とします」

というのである。

IQが高ければ程度の高い、
(というのはよい小学校へ入る資格の得やすい)
幼稚園へ入れる、ということで、
よい小学校は、よい中学、高校へ入りやすいこと、
よい中学、高校はよい大学へ入りやすいということらしい。

幸い、よい幼稚園へ入れても、
よい小学校は校区が違うので、
来春には引っ越しをして、
その学校の学区へ移ります、
と明言した母親まであって、
私は大いにびっくりした。

私はそういうことを本気でいうとは信じられず、
冗談だと思っていたが、
母親は大真面目なのである。

私はその真意を理解するのに、
あたまが禿げるほど考えて苦しんだ。

どうして、それほどよい幼稚園が必要なのか、
さっぱりわからぬ。

人間にとっては、
あたまの程度より心が大切なのであって、
もし心のテストができるものなら、
この子は、少し薄情な点が見えるから、
それに気をつけて育てようとか、
少々わがままだからここは直さなければとか、
形にあらわれてわかれば、
大変よろしい具合なのである。

しかし、心や性格はつかみにくいし、
等級をつけにくい。

どれが上、下ということがない。
千差万別の心がある。

そういう複雑微妙なものは数字になりにくい。
それだけ高尚なのである。

それに比べれば、
あたまの出来、不出来なぞは、
下等な地位にあるのであるから、
数字で等級をつけやすい。

そんなものにふりまわされてる人を見ると、
私は何とも言いようのない気がする。

いい大学を出たって、
どうしようもない人間はいっぱいいるのだ。
あんまりそういうことにこだわってほしくないのである。

社会に出ればわかるけど、
あたまはいいが虫の好かぬ奴、
というので人に敬遠され、
あまり幸せな人生を送らない人間もいる。

いい大学を出て落ちぶれて身を持ち崩す人間もいるだろうし、
あたまがよいくせに、することなすことスカタンで、
とどのつまり、窮死する奴もいるだろう。

私は、人間、バカよりも賢いのがいいけれど、
やっぱり、心次第だと思う。

そうして、せめて私の書く小説や、
私のつきあう、ごく狭い範囲の人間だけでも、
いい心の持ち主の人を集めたいと思う。

そんなわけで、私は人間を見るとき、
あんまり頭の出来不出来は気にしない。

よっぽど愚かなのは困るけれど、
普通の人間ならさして高低があろうはずはない。






          


(次回へ)

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