むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

18、海からの土産物  ①

2021年08月12日 08時04分26秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・春の難波の海辺ほど面白いところがあろうか。

海面は光りさざめき、
青々とした葦原は目路の限り続いて風にそよぎ、
その間に数しれぬみおつくしが立っている。

(みおつくし・・・「澪の串」の意。
通行する船に水脈や水深を知らせるために目印として立てる杭。
古来、難波のみおつくしが有名。
また、和歌では「身を尽くし」にかけて用いることが多い。 みおぎ)

浜辺には白や薄桃色、雀色などの貝が、
海松(みる  海藻の一種)や若布とともに落ち散り、
浜遊びの少女たちは拾い興じる。

砂浜の松の木陰で休む中年の男は、
落ち着いて清げな身なり、娘たちの父親であろうか。

彼女らが競って見せにくる貝を見て微笑みつつ、

「おお、それは一枚貝の忘れ貝、恋忘れ貝というのだよ、
それを持っていると苦しい恋を忘れられるという・・・
古い歌に、
<わかの浦に袖さへ濡れて忘れ貝 拾へど妹(いも)は忘らえなくに>
というのがある。
風流(みやび)な言葉だねえ。恋忘れ貝。いいだろう?

おやおや、べつにって?

この頃の子は雅びというやさしい気持ちも、
どこかへ忘れ果てたのだろうか、
これこそ人間らしさ、人間の教養というものだけれどねえ。
こんなお話がある。
決してお説教や教訓ばなしじゃないよ、
男と女の話だ」


~~~


・今は昔、ご身分のある受領がいられた。
まだお若いが、なかなか風流心のある、たしなみ深いかただった。

ご本妻の北の方もお似合いの奥ゆかしい方だった。

ところがこの受領の殿に、愛人ができた。
教養も風雅も、新しい恋の前には無力で、
殿はすっかり愛人に夢中、恋に落ちてしまわれた。

新しい愛人の家に通うことしきり、
ついにはその家で同居してしまわれた。

この愛人というのが、よくある通り、
北の方より若くて現代的で派手で魅力的な女ときている。

殿はもう北の方のもとへは立ち寄ることもなさらない。
その事情を知って北の方はどんなに辛く心細く思われたか、
いうもおろかなこと。

ある日、殿は摂津の国のご領地へ遊山に出かけられた。

難波の浜辺を通られるとき、まことに景色のよいのを楽しまれ、
それ、お前たちがしているように貝拾いに興じられた。

そこで珍しいものを見つけられたのよ。
小さい蛤に、ふさふさと青い海松(みる)が生えてるというもの。

(こりや、面白い、あれに見せて喜ばせてやろう)

とお思いになった。

あれというのは無論、新しい愛人のことだ。
小舎人童(ことねりわらわ  召し使いの少年)に、
殿は貝を渡され、

「これを京のあれにな、確かに届けてくれ。
『面白いものをお目にかけたくて』と申し上げるんだよ」

少年はかしこまって早速、それを京のお邸に届けた。


~~~


・ところが「あれ」といわれたのを、
ご本妻の北の方と思い違いをして、
北の方のお邸へ持参してしまった。

北の方は突然のことで驚かれる。

「え、わたしに?殿がおみやげを?」

「はい、面白いものをお目にかけたくて、とおっしゃいました。
これは私が帰京するまで損なわないようにしておくれ、とも」

「殿はいまどちらに・・・」

「摂津の国にいられます。
これは難波の海辺でおみつけになったものでございます」

北の方は迷っていられた。
ほんとに殿が自分にみやげを贈られたのかどうか、
もしやこれは届け間違いで、
愛人のほうに贈られたのではあるまいか。

めったにお姿を見ることもなくなったいま、
贈り物を下さるなんて・・・とためらわれた。

「ほんとに、わたしに、とおっしゃったの?」

「はい」

少年はうなずく。

北の方のお心にも一抹、夫の気持ちを信じたい思いもあった。
ひょっとして・・・という気持ちもある。

「わかりました、ありがとうございます、と申し上げて」

北の方は少年を帰されて、
さてその海からの土産物をご覧になると、
なんと小さい蛤に海松が繁っているという面白いもの、
これを水盤に水を張ってその中へ入れて眺めると、
さながら海辺に居るような思いがする。

(まあ、磯の香も汐風も匂うようだわ、
これ一つで海辺に立つ思いがするわ。
あの方らしい心くばり、
わたしがこんなのが好きとご存じでいらして、
贈って下すったのかもしれない)

そう思われるとしみじみ嬉しくなられて、
蛤の海松をいとしくご覧になった。

一方、殿の方は、少年が、確かにお届けしました、
と報告したものだから安心していられた。






          


(次回へ)

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