・春の難波の海辺ほど面白いところがあろうか。
海面は光りさざめき、
青々とした葦原は目路の限り続いて風にそよぎ、
その間に数しれぬみおつくしが立っている。
(みおつくし・・・「澪の串」の意。
通行する船に水脈や水深を知らせるために目印として立てる杭。
古来、難波のみおつくしが有名。
また、和歌では「身を尽くし」にかけて用いることが多い。 みおぎ)
浜辺には白や薄桃色、雀色などの貝が、
海松(みる 海藻の一種)や若布とともに落ち散り、
浜遊びの少女たちは拾い興じる。
砂浜の松の木陰で休む中年の男は、
落ち着いて清げな身なり、娘たちの父親であろうか。
彼女らが競って見せにくる貝を見て微笑みつつ、
「おお、それは一枚貝の忘れ貝、恋忘れ貝というのだよ、
それを持っていると苦しい恋を忘れられるという・・・
古い歌に、
<わかの浦に袖さへ濡れて忘れ貝 拾へど妹(いも)は忘らえなくに>
というのがある。
風流(みやび)な言葉だねえ。恋忘れ貝。いいだろう?
おやおや、べつにって?
この頃の子は雅びというやさしい気持ちも、
どこかへ忘れ果てたのだろうか、
これこそ人間らしさ、人間の教養というものだけれどねえ。
こんなお話がある。
決してお説教や教訓ばなしじゃないよ、
男と女の話だ」
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・今は昔、ご身分のある受領がいられた。
まだお若いが、なかなか風流心のある、たしなみ深いかただった。
ご本妻の北の方もお似合いの奥ゆかしい方だった。
ところがこの受領の殿に、愛人ができた。
教養も風雅も、新しい恋の前には無力で、
殿はすっかり愛人に夢中、恋に落ちてしまわれた。
新しい愛人の家に通うことしきり、
ついにはその家で同居してしまわれた。
この愛人というのが、よくある通り、
北の方より若くて現代的で派手で魅力的な女ときている。
殿はもう北の方のもとへは立ち寄ることもなさらない。
その事情を知って北の方はどんなに辛く心細く思われたか、
いうもおろかなこと。
ある日、殿は摂津の国のご領地へ遊山に出かけられた。
難波の浜辺を通られるとき、まことに景色のよいのを楽しまれ、
それ、お前たちがしているように貝拾いに興じられた。
そこで珍しいものを見つけられたのよ。
小さい蛤に、ふさふさと青い海松(みる)が生えてるというもの。
(こりや、面白い、あれに見せて喜ばせてやろう)
とお思いになった。
あれというのは無論、新しい愛人のことだ。
小舎人童(ことねりわらわ 召し使いの少年)に、
殿は貝を渡され、
「これを京のあれにな、確かに届けてくれ。
『面白いものをお目にかけたくて』と申し上げるんだよ」
少年はかしこまって早速、それを京のお邸に届けた。
~~~
・ところが「あれ」といわれたのを、
ご本妻の北の方と思い違いをして、
北の方のお邸へ持参してしまった。
北の方は突然のことで驚かれる。
「え、わたしに?殿がおみやげを?」
「はい、面白いものをお目にかけたくて、とおっしゃいました。
これは私が帰京するまで損なわないようにしておくれ、とも」
「殿はいまどちらに・・・」
「摂津の国にいられます。
これは難波の海辺でおみつけになったものでございます」
北の方は迷っていられた。
ほんとに殿が自分にみやげを贈られたのかどうか、
もしやこれは届け間違いで、
愛人のほうに贈られたのではあるまいか。
めったにお姿を見ることもなくなったいま、
贈り物を下さるなんて・・・とためらわれた。
「ほんとに、わたしに、とおっしゃったの?」
「はい」
少年はうなずく。
北の方のお心にも一抹、夫の気持ちを信じたい思いもあった。
ひょっとして・・・という気持ちもある。
「わかりました、ありがとうございます、と申し上げて」
北の方は少年を帰されて、
さてその海からの土産物をご覧になると、
なんと小さい蛤に海松が繁っているという面白いもの、
これを水盤に水を張ってその中へ入れて眺めると、
さながら海辺に居るような思いがする。
(まあ、磯の香も汐風も匂うようだわ、
これ一つで海辺に立つ思いがするわ。
あの方らしい心くばり、
わたしがこんなのが好きとご存じでいらして、
贈って下すったのかもしれない)
そう思われるとしみじみ嬉しくなられて、
蛤の海松をいとしくご覧になった。
一方、殿の方は、少年が、確かにお届けしました、
と報告したものだから安心していられた。
(次回へ)