放言随記

凡人の独り言です。人の役には立ちません。悪しからず。

ロボットと人工知能から脳死を考える

2009年06月17日 14時39分00秒 | 提言

ロボットと人工知能から脳死を考えてみたい。


一見、ロボットと人工知能から脳死を考えると、脳死は人の死のように見える。人工知能が失われたらロボットは動作しなくなるからです。


しかし、ロボットと人工知能の開発現場では全く逆のことが起こっているようです。以下のitmediaに掲載された記事「人とロボットの秘密」をお読みいただきたい。


http://www.itmedia.co.jp/keywords/human_and_robot.html


「人とロボットの秘密」は、ロボットを人の模倣としていかに機械とコンピューターで人間をシミュレートするかを研究する現場を取材し、サブカルチャーを交えながら、ロボットを通して人間とは何なのかを問う著作のインターネット版です。次の文章がとても象徴的です。


 


『コンピューターのプログラムで思考をシミュレートしようとする人工知能の研究にふれ、「そこには心がそれだけで存在することができる機能だという前提があった。しかしそのモデルはうまくいかず、心を実現するためには同時に体が必要であると気がついた。』


 


心を人間の本質と捉えるならば、肉体なしに心は発生せず人間にならないと言えます。人間にとってやはり心身は一体であり、「脳死は人の死」と捉えるのは無理があるのかもしれません。


 


一方で、現代の人間の心が、肉体から離れつつあるという。「肉体の開放」という言葉が使われています。


 


つまり、脳死は人の死と認めるということは、「肉体の開放」なのかもしれません。


 


しかし、肉体を開放解放した人間ははたして人間でいられるのでしょうか?



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