前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

『わたしは』並みの生活をしていないので

2018年10月30日 17時07分20秒 | わたしの思い
人がどうしたの、こうしたの、興味がない。
多分それはわたしがいわゆる「並の生活」というのをしていないからでしょう。

誰それの子供がどの学校に行って、〇×会社の部長で、
外国に出張して、その子が今度どことか大学に入って・・・・はぁ~
そういう話聞かなきゃダメかな?わたし、立っているだけでもきついのに。

きっぱり言いますけど、別にそういうことが羨ましいとも思いませんし、
わたしはお世辞は絶対言わないので、まぁ立派だこと。、とも言わないと思います。
だって、そんな風に思わないのだもの。
それよりも、ちょっと座らせてもらっていいかな・・・

大学には行きましたけれど、行きたかったし、勉強したかったからです。
何とか大学とか興味もありませんし、
わたしが受験した頃とは各大学変わっていますし、
出世命の夫がいるわけでも、夫の出世が何より幸いな
妻でもないので、課長でも部長でもどっちがエライのというくらい
サラリーマン社会のことはわからない非常識者です。

自慢話をするならば、人を選んでやって欲しいなぁ。

時々、そうやって話をして、コロコロ主語が変わって
さっきまでとは全然違う人の話をしている人がいて、
あれ?と思うことがある。
同じ話を何度もする人もいる。付き合いきれない。

思ったけれど、日本語って主語を明確にしなくても話は進むじゃない。
彼女には主語が必要だね。

思うに、日本語はもしかしたら、自分のことを伝える言葉で、
他人の家のこととか、人の噂とかするためのものじゃなかったのかもね。

慮る、おもんぱかって話はしよう。

わたしはきついのですよ。
道端やスーパーで「こんにちは!」だけで済まない人へ


と、いうわけで、いつもこんな話に付き合って下さる方、
今日も読んでいただけたことうれしく、
ありがとうございます。主語はわたしはです。