現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です
前回の続きです。88年の日本武道館The Moment Of Truth Tour でのこと
ホイットニー・ヒューストン/Whitney Houstonはステージの後方やサイドのお客さんに
配慮ってして歌っていた覚えがありますし、 そういう席の人のこともわかって
いるんだから・・・っていうようなことを言っていたような気がします。
わたしもいい席が取れなかったのですが、少し前方にいたおっさんが、前の席の男女が
立ち上がるたびブツクサ「立つな」とか言うんですよ。 みんな立っていたんだけど
何だか嫌だな・・・と、こっちまで立っちゃいけない気になっていると、
女性の方がおっさんに反撃を始めました。(おっさんはどちらかと言えば男性の方を攻撃していた)
はじめは恋人同士かな?と思っていたので、だめな男だなぁ・・・なんて思っていたのですが、
どうも姉、弟の関係らしく、その時はお姉さまのその反撃っぷりが小気味よく拍手したい気分でした。
おっさん・・・みんなが楽しい気分になるためにやって来る所にたった一人で水を差しにやって来て、
一部の人(その周辺の人)を不愉快な気持ちにさている印象を受けましたが、
彼は彼で自分の愛しい時間のために、 彼のモラルを持って戦っていたのかもしれないなあ。
お姉さんが言いました、「あんたも立ちゃあいいじゃん」
無作法ながら、人の話に聞き耳を立てていたわたしですが、それ以上のことは覚えてないのです。
でも、今になって思うに、おっさんにはおっさんの立ち上がれない事情があったのかもねえ・・・
ここからはその後、ちょっと居心地の悪い思いをした経験なのですが、 あるとき知人に誘われて
ある俳優兼シンガーのコンサートに行きました。その人はその俳優の大ファンで、
ファンクラブにも入っていて、そこを経由してチケットを取ったらしく前から2列目のど真ん中の席。
わたしは、大してその俳優のファンではなくて、本当にお付き合いでした。
開演前、席に着いてずいぶんいい席だなあ・・・、こんなに近くで○○○○を見るなんて楽しみ。
ちなみに長身で今でも結構有名な俳優さんですよ
まあ悪くないか、なんて思っていたのですが・・・開演直前、見てしまったのです。
後ろを。気づかなければよかった ごめんなさい、何だかお化けでもいたみたいな書き方になっちゃって
わたしのすぐ後ろの席には、一目でそうとわかる重度の障害を持った女性が座っていました。
やがて開演。
はじめはバラード調の曲で一つ前の席の人達も座って聴いていました。
しかし、段々ノリのよい曲になって前の席の人が立ち上がってしまいました。
わたしの内心は[あーっ やめてくれぇー わたしはどうすればいいんだ]
後ろの女性は会場までおそらく車椅子でやって来たものと思われ、手拍子もままならず、
勿論立ち上がるなんて絶対できそうにありません。わたしが立ったならば・・・・・
それに、それに、不自由な体で精一杯おしゃれをしていて、そこからも彼女がどれだけ
そのひと時を楽しみにやって来たのか窺い知ることができます。きっと大好きなんだ・・・
わたしの心を察したらしい、隣の席の知人はわたしの手をとってわたしを立ち上がらせます。
多分その人は後ろの席の彼女にも気づいていたと思いますが、お互い終演後もその話が何となくできなかった
ごめんね・・・・・わたしの前の人も立っているし、お付き合いとは言え、
安月給のわたしには結構高いチケットだし、就職して初めてお給料を貰った頃でした
せっかくのいい席で楽しみたいし、ここだけポッコリ座っているのも変だし、
と色々心で言い訳はするものの、バラードが来ると即座に腰を下ろすわたしでした。
こんなとき、人はどうするんだろう?何が正解なんてないと思うけど。
無用かもしれない気遣いでちっとも楽しくなかったのは事実。
ここで、わたしが某俳優の大ファンだったならば、わたしの心に問題は発生しなかったはず。
いや、発生したにしてもね、「あなたも彼の大ファンかもしれないけど、わたしもそれ以上なんだ、
あなたもこの日を楽しみにしていたかもしれないけど、わたしだってこの日のために
辛い現実を耐えて、ここにやって来たの おんなじよ」と割り切れたと思うのです。
無論、彼女が立ち上がったわたしに対して、苦情を言ったわけでもなければ、
わたしが気にしたようなことは全て了解済みだったかもしれません。
近年、障害を持つ方々もそれぞれの権利を主張できる世の中に、以前より
増してなってきているかも?しれません。それは良いことだと思います
時々その主張の中で、みんなと同じにして欲しいというようなことを耳にすることがあります。
その皆と同じにするためには莫大な費用がかかり、希望が通らないときも稀ではないでしょう。
そんなとき思うのです。受け入れる方にはすぐ駄目だとはね付けるのではなく、
ケースごとに臨機応変さが必要だし、
権利ばかり主張するだけでも駄目だと思うのです。難しいケースは譲り合わなければ。
どこかに中庸の打開策があるはず。
例え、障害がなくても人と人との間には様々な意見や状況があって、
どこかでみんな譲り合って、折り合いをつけて生きています。
それが本当の意味で、『みんなと同じ』扱いだと言っては言い過ぎでしょうか?
重い障害を持ったあの人は、わたしに立ち上がることを許し、多少見えにくいときがあっても
同じ時間を楽しむことを許そうとしてくれた、と思いたい。
それに応えて、バラードでは瞬時に座り、立っている時は知人の方にできるだけ身を寄せて
見やすい隙間を作って、お互い譲り合ったつもりでいるのですが・・・難しい問題です。
ホイットニー・ヒューストンのライブのおっさんが何ゆえ『立つな』と主張したのか
その理由をちゃんと盗み聞きしとけばよかった。
そこに何らかの答えがあったかもしれない、なかったかもしれない。
どっちにしても、コンサートの内容は両方ともよく覚えてないけど。
近くあの時の俳優のコンサートがあるらしい。
あの時の彼女はきっと出かけるんだろうなあ・・・ちらりと見た細い腕を思い出す。
あの時わたしはどうすればよかったたのだろう・・・・
前回の続きです。88年の日本武道館The Moment Of Truth Tour でのこと
ホイットニー・ヒューストン/Whitney Houstonはステージの後方やサイドのお客さんに
配慮ってして歌っていた覚えがありますし、 そういう席の人のこともわかって
いるんだから・・・っていうようなことを言っていたような気がします。
わたしもいい席が取れなかったのですが、少し前方にいたおっさんが、前の席の男女が
立ち上がるたびブツクサ「立つな」とか言うんですよ。 みんな立っていたんだけど
何だか嫌だな・・・と、こっちまで立っちゃいけない気になっていると、
女性の方がおっさんに反撃を始めました。(おっさんはどちらかと言えば男性の方を攻撃していた)
はじめは恋人同士かな?と思っていたので、だめな男だなぁ・・・なんて思っていたのですが、
どうも姉、弟の関係らしく、その時はお姉さまのその反撃っぷりが小気味よく拍手したい気分でした。
おっさん・・・みんなが楽しい気分になるためにやって来る所にたった一人で水を差しにやって来て、
一部の人(その周辺の人)を不愉快な気持ちにさている印象を受けましたが、
彼は彼で自分の愛しい時間のために、 彼のモラルを持って戦っていたのかもしれないなあ。
お姉さんが言いました、「あんたも立ちゃあいいじゃん」
無作法ながら、人の話に聞き耳を立てていたわたしですが、それ以上のことは覚えてないのです。
でも、今になって思うに、おっさんにはおっさんの立ち上がれない事情があったのかもねえ・・・
ここからはその後、ちょっと居心地の悪い思いをした経験なのですが、 あるとき知人に誘われて
ある俳優兼シンガーのコンサートに行きました。その人はその俳優の大ファンで、
ファンクラブにも入っていて、そこを経由してチケットを取ったらしく前から2列目のど真ん中の席。
わたしは、大してその俳優のファンではなくて、本当にお付き合いでした。
開演前、席に着いてずいぶんいい席だなあ・・・、こんなに近くで○○○○を見るなんて楽しみ。
ちなみに長身で今でも結構有名な俳優さんですよ
まあ悪くないか、なんて思っていたのですが・・・開演直前、見てしまったのです。
後ろを。気づかなければよかった ごめんなさい、何だかお化けでもいたみたいな書き方になっちゃって
わたしのすぐ後ろの席には、一目でそうとわかる重度の障害を持った女性が座っていました。
やがて開演。
はじめはバラード調の曲で一つ前の席の人達も座って聴いていました。
しかし、段々ノリのよい曲になって前の席の人が立ち上がってしまいました。
わたしの内心は[あーっ やめてくれぇー わたしはどうすればいいんだ]
後ろの女性は会場までおそらく車椅子でやって来たものと思われ、手拍子もままならず、
勿論立ち上がるなんて絶対できそうにありません。わたしが立ったならば・・・・・
それに、それに、不自由な体で精一杯おしゃれをしていて、そこからも彼女がどれだけ
そのひと時を楽しみにやって来たのか窺い知ることができます。きっと大好きなんだ・・・
わたしの心を察したらしい、隣の席の知人はわたしの手をとってわたしを立ち上がらせます。
多分その人は後ろの席の彼女にも気づいていたと思いますが、お互い終演後もその話が何となくできなかった
ごめんね・・・・・わたしの前の人も立っているし、お付き合いとは言え、
安月給のわたしには結構高いチケットだし、就職して初めてお給料を貰った頃でした
せっかくのいい席で楽しみたいし、ここだけポッコリ座っているのも変だし、
と色々心で言い訳はするものの、バラードが来ると即座に腰を下ろすわたしでした。
こんなとき、人はどうするんだろう?何が正解なんてないと思うけど。
無用かもしれない気遣いでちっとも楽しくなかったのは事実。
ここで、わたしが某俳優の大ファンだったならば、わたしの心に問題は発生しなかったはず。
いや、発生したにしてもね、「あなたも彼の大ファンかもしれないけど、わたしもそれ以上なんだ、
あなたもこの日を楽しみにしていたかもしれないけど、わたしだってこの日のために
辛い現実を耐えて、ここにやって来たの おんなじよ」と割り切れたと思うのです。
無論、彼女が立ち上がったわたしに対して、苦情を言ったわけでもなければ、
わたしが気にしたようなことは全て了解済みだったかもしれません。
近年、障害を持つ方々もそれぞれの権利を主張できる世の中に、以前より
増してなってきているかも?しれません。それは良いことだと思います
時々その主張の中で、みんなと同じにして欲しいというようなことを耳にすることがあります。
その皆と同じにするためには莫大な費用がかかり、希望が通らないときも稀ではないでしょう。
そんなとき思うのです。受け入れる方にはすぐ駄目だとはね付けるのではなく、
ケースごとに臨機応変さが必要だし、
権利ばかり主張するだけでも駄目だと思うのです。難しいケースは譲り合わなければ。
どこかに中庸の打開策があるはず。
例え、障害がなくても人と人との間には様々な意見や状況があって、
どこかでみんな譲り合って、折り合いをつけて生きています。
それが本当の意味で、『みんなと同じ』扱いだと言っては言い過ぎでしょうか?
重い障害を持ったあの人は、わたしに立ち上がることを許し、多少見えにくいときがあっても
同じ時間を楽しむことを許そうとしてくれた、と思いたい。
それに応えて、バラードでは瞬時に座り、立っている時は知人の方にできるだけ身を寄せて
見やすい隙間を作って、お互い譲り合ったつもりでいるのですが・・・難しい問題です。
ホイットニー・ヒューストンのライブのおっさんが何ゆえ『立つな』と主張したのか
その理由をちゃんと盗み聞きしとけばよかった。
そこに何らかの答えがあったかもしれない、なかったかもしれない。
どっちにしても、コンサートの内容は両方ともよく覚えてないけど。
近くあの時の俳優のコンサートがあるらしい。
あの時の彼女はきっと出かけるんだろうなあ・・・ちらりと見た細い腕を思い出す。
あの時わたしはどうすればよかったたのだろう・・・・
先週末から少々留守をしていて、本日戻って参りました。
『あのときどうすれば良かったんだろう』と今でも思い出してしまい、
ここでみなさんに問いかけてみたくなったのですが、
いただいたコメントで少しほっとしています。
でもその方は分かってて見に来てるのだろうからと思えるから、それはそれでいいのかも。