源順編『倭名類聚抄』及び、江戸時代の狩谷棭齋『倭名類聚抄箋註』を基本にして、水土類第三の「ゆ【温泉】」について、その語注解を丹念に稽査した報告書とした。
発表予定は今のところ、定めていないが、この内容を元に発表が許されるのであれば、その調査経過とその実態報告とを用意していきたい。
源順がどのように介在したかは容易に結論は出しにくいものの、『冝都山川記』を『冥都山川記』と書写した本『和名抄』書写本は十巻本と廿卷本に跨がっていて、此を正しく記載した資料も十巻本系の眞福寺本、天文本と纔かに過ぎないことも見えて来た。
そのなかで、語研究により、「石硫黄」と「石流黄」の文字表記に近づき、「石」字を刪った表記の過程が明らかになった。実に、此のことばの筋立てを学ぶことで、棭齋自身が数多くの漢籍資料を目前に置き、その数多なる参考資料にこれまた、多くの備忘書込みを絶えず行ってきていることも明らかとなってきている。その多くは、一度は一研究者の執念とでも云おうものか、彼の手によって集められて研究の緒にあった筈だったのが、今はまとめて見ることすらできずになってしまっている。彼の遺族が支え置く資産運用が続かず、そして門人を持たなかったための継続性が稍薄れて、別の研究者たちが選び取った重要な部分を遺したとも見てとれよう。棭齋自身の書込み資料の全公開がやはり、今後の狩谷棭齋傳の研究そして、この『倭名類聚抄箋註』が此の将来に向かってどのように活かされるべきかものか、当に東アジア漢字文化圏にあって、和漢標記語における一文毎の知恵の宝蔵庫としても重要であり、博覧強記とも言える資料引用術を知ることが急務となろう。そのために、源順『倭名類聚抄』がこれまた那波道円刊刷り本として世に流布し、これを基軸に江戸時代の契沖『倭名類聚抄』書入れ他、本居宣長『古事記伝』他随筆集など、そして狩谷棭齋『倭名類聚抄箋註』の記述を先ずは丹念に読み解くことがこれまた不可欠となることは云うまでもない。萩原義雄識
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