2018/02/01 更新
ざ‐ぜん【坐禅・座禅】
萩原義雄記
小学館『日国』第二版当該語「ざぜん【坐禅】」【語誌】に、「日本では、挙例の『続日本紀』文武四(七〇〇年三月己未」に、入唐した道照(昭)が玄奘三蔵から禅を学んで帰朝した旨が記されており、これが坐禅のはじめである。」と記載が見え、そのあとに加えて、「中古に入って、天台宗の止観でも禅は重視された。中世の栄西・道元らの禅宗では、三学(戒学・慧学・定学)のうちもっぱら定学(禅定・坐禅)のみを仏道修行の方法とした。ただし、この場合の「坐禅」は、行住坐臥すべてを含む。」と記す。
さて、本邦古辞書での所載は、室町時代の広本『節用集』に始まり、刷り本系の饅頭屋本・易林本『節用集』にその継承痕を遺し、易林本と同じ、慶長年間に宗派(仏教語)を異にするキリシタン資料『日葡辞書』にもその所載を確認する。江戸時代の『書言字考節用集』が此れを承けている。茲で、『日国』に挙例する此の『日葡辞書』所載内容を改めて見ておくと、
Zajen.(ザゼン)禅宗僧(Ienxus)が観念・黙想すること.▼次条.〔邦訳840l〕
†Zajen.(ザゼン)観念・黙想.仏法語(Bup.).〔邦訳840R〕
※『邦訳日葡辞書』〔土井忠生・森田武・長南実翻訳、岩波書店刊〕参照。
※キリシタン資料『日葡辞書』〔カラー版影印資料、勉誠出版刊〕
Zajen.O meditar dos Lenxus.
と記載されている。上記【和訳】には、「禅宗僧」、「観念・黙想」の要語が見えていて、その存在語として記載されていても、その所作実践を充たす意義説明は見えない。
では、本邦古辞書の広本『節用集』(文明本)を頂点とする当該語「ザゼン【坐禅】」の諸例を見定めておくことにする。
△坐(ザ)禅(ぜン)ユツル[去・平]イル、シヅカ也 〔左部態藝門七九二頁2〕
とあって、標記語「坐禅」に字音「ザせン」〔朱字=漢音〕上字「坐」に和訓「イル」、下字「禅」に右訓「ユヅル」左訓「シヅカ也」と記載し、注記語は未記載とするといった至ってシンプルな所載となっている、單漢字「坐」の下位部別熟語としては、「坐立(ザリフ)」「坐(ザ)徹(テツ)」「坐(ザ)断(ダン)」「坐(ザ)像(ザウ)」の語群を示すものとなっていて、活用形態が意義説明より類語熟語群に重きを置くことがその記載差異となっている。続く刷り本系『節用集』も同様の形態を示す。やがて、江戸時代の『書言字考節用集』が編纂される。
坐禪(ザぜン) 濟北集―ハ者心之見二儀容ヲ一也。禪者見ル二想想ヲ一也。蓋名テ二心之行相ヲ一曰二――ト[一]○詳要覧 〔卷十一言語門左部八二八頁7〕
となっていて、典拠資料名『濟北集』と『釋氏要覽』を引用し、その意義内容を語注記に説く編纂形態が見え始めている。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
ざーぜん【坐禅・座禅】〔名〕仏語。端坐し、心の散乱を払い沈思黙念して無我の境に入り、悟りの道を求めること。背を伸ばしてすわり、右掌の上に左掌を置き、拇指と拇指を接して、半眼の姿勢をとる。多く禅宗で行なう修行法であるが、こうした形にかかわりなく、行住坐臥の一切をいうとする思想もある。禅。→結跏趺坐(けっかふざ)。*続日本紀ー文武四年〔七〇〇(文武四)〕三月己未「道照〈略〉還止二住禅院一、坐禅如レ故」*往生要集〔九八四(永観二)〜九八五(寛和元)〕大文二「有二坐禅者一、有二経行者一」*平治物語〔一二二〇(承久二)頃か〕上・叡山物語の事「大師座禅に御胸痛むとき」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)〜〇四〕「Zajen(ザゼン)」*虎明本狂言・花子〔室町末〜近世初〕「ぢぶつだうへとりこもってざぜんをいたさうほどに七日七夜の隙をくれさしめ」*盤珪禅師法語〔一七三〇(享保一五)〕「坐禅は本心の異名にて、安座安心の義なり。坐の時は只坐したまま、経行の時は経行のまま也」*法華経ー分別功徳品「随レ義解二脱此法華経一、復能清浄持レ戒与二柔和者一而共同止、忍辱無レ瞋、志念賢固、常貴二坐禅一、得二諸深定一」【語誌】(1)仏教では坐禅は釈迦の成道に始まる。日本では、挙例の『続日本紀』文武四(七〇〇年三月己未」に、入唐した道照(昭)が玄奘三蔵から禅を学んで帰朝した旨が記されており、これが坐禅のはじめである。(2)中古に入って、天台宗の止観でも禅は重視された。中世の栄西・道元らの禅宗では、三学(戒学・慧学・定学)のうちもっぱら定学(禅定・坐禅)のみを仏道修行の方法とした。ただし、この場合の「坐禅」は、行住坐臥すべてを含む。【発音】〈標ア〉[ゼ][0]〈京ア〉[ザ]【辞書】文明・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【坐禅】饅頭・易林・書言・ヘボン【獸禅】文明【座禅】言海
ざ‐ぜん【坐禅・座禅】
萩原義雄記
小学館『日国』第二版当該語「ざぜん【坐禅】」【語誌】に、「日本では、挙例の『続日本紀』文武四(七〇〇年三月己未」に、入唐した道照(昭)が玄奘三蔵から禅を学んで帰朝した旨が記されており、これが坐禅のはじめである。」と記載が見え、そのあとに加えて、「中古に入って、天台宗の止観でも禅は重視された。中世の栄西・道元らの禅宗では、三学(戒学・慧学・定学)のうちもっぱら定学(禅定・坐禅)のみを仏道修行の方法とした。ただし、この場合の「坐禅」は、行住坐臥すべてを含む。」と記す。
さて、本邦古辞書での所載は、室町時代の広本『節用集』に始まり、刷り本系の饅頭屋本・易林本『節用集』にその継承痕を遺し、易林本と同じ、慶長年間に宗派(仏教語)を異にするキリシタン資料『日葡辞書』にもその所載を確認する。江戸時代の『書言字考節用集』が此れを承けている。茲で、『日国』に挙例する此の『日葡辞書』所載内容を改めて見ておくと、
Zajen.(ザゼン)禅宗僧(Ienxus)が観念・黙想すること.▼次条.〔邦訳840l〕
†Zajen.(ザゼン)観念・黙想.仏法語(Bup.).〔邦訳840R〕
※『邦訳日葡辞書』〔土井忠生・森田武・長南実翻訳、岩波書店刊〕参照。
※キリシタン資料『日葡辞書』〔カラー版影印資料、勉誠出版刊〕
Zajen.O meditar dos Lenxus.
と記載されている。上記【和訳】には、「禅宗僧」、「観念・黙想」の要語が見えていて、その存在語として記載されていても、その所作実践を充たす意義説明は見えない。
では、本邦古辞書の広本『節用集』(文明本)を頂点とする当該語「ザゼン【坐禅】」の諸例を見定めておくことにする。
△坐(ザ)禅(ぜン)ユツル[去・平]イル、シヅカ也 〔左部態藝門七九二頁2〕
とあって、標記語「坐禅」に字音「ザせン」〔朱字=漢音〕上字「坐」に和訓「イル」、下字「禅」に右訓「ユヅル」左訓「シヅカ也」と記載し、注記語は未記載とするといった至ってシンプルな所載となっている、單漢字「坐」の下位部別熟語としては、「坐立(ザリフ)」「坐(ザ)徹(テツ)」「坐(ザ)断(ダン)」「坐(ザ)像(ザウ)」の語群を示すものとなっていて、活用形態が意義説明より類語熟語群に重きを置くことがその記載差異となっている。続く刷り本系『節用集』も同様の形態を示す。やがて、江戸時代の『書言字考節用集』が編纂される。
坐禪(ザぜン) 濟北集―ハ者心之見二儀容ヲ一也。禪者見ル二想想ヲ一也。蓋名テ二心之行相ヲ一曰二――ト[一]○詳要覧 〔卷十一言語門左部八二八頁7〕
となっていて、典拠資料名『濟北集』と『釋氏要覽』を引用し、その意義内容を語注記に説く編纂形態が見え始めている。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
ざーぜん【坐禅・座禅】〔名〕仏語。端坐し、心の散乱を払い沈思黙念して無我の境に入り、悟りの道を求めること。背を伸ばしてすわり、右掌の上に左掌を置き、拇指と拇指を接して、半眼の姿勢をとる。多く禅宗で行なう修行法であるが、こうした形にかかわりなく、行住坐臥の一切をいうとする思想もある。禅。→結跏趺坐(けっかふざ)。*続日本紀ー文武四年〔七〇〇(文武四)〕三月己未「道照〈略〉還止二住禅院一、坐禅如レ故」*往生要集〔九八四(永観二)〜九八五(寛和元)〕大文二「有二坐禅者一、有二経行者一」*平治物語〔一二二〇(承久二)頃か〕上・叡山物語の事「大師座禅に御胸痛むとき」*日葡辞書〔一六〇三(慶長八)〜〇四〕「Zajen(ザゼン)」*虎明本狂言・花子〔室町末〜近世初〕「ぢぶつだうへとりこもってざぜんをいたさうほどに七日七夜の隙をくれさしめ」*盤珪禅師法語〔一七三〇(享保一五)〕「坐禅は本心の異名にて、安座安心の義なり。坐の時は只坐したまま、経行の時は経行のまま也」*法華経ー分別功徳品「随レ義解二脱此法華経一、復能清浄持レ戒与二柔和者一而共同止、忍辱無レ瞋、志念賢固、常貴二坐禅一、得二諸深定一」【語誌】(1)仏教では坐禅は釈迦の成道に始まる。日本では、挙例の『続日本紀』文武四(七〇〇年三月己未」に、入唐した道照(昭)が玄奘三蔵から禅を学んで帰朝した旨が記されており、これが坐禅のはじめである。(2)中古に入って、天台宗の止観でも禅は重視された。中世の栄西・道元らの禅宗では、三学(戒学・慧学・定学)のうちもっぱら定学(禅定・坐禅)のみを仏道修行の方法とした。ただし、この場合の「坐禅」は、行住坐臥すべてを含む。【発音】〈標ア〉[ゼ][0]〈京ア〉[ザ]【辞書】文明・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【坐禅】饅頭・易林・書言・ヘボン【獸禅】文明【座禅】言海
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