たきき【薪】其の二
※9029の箇所を文禄本『平家物語』では、「残レル枝散レル木葉ヲカキアツメテ風冷シキ朝ナレハ、縫殿ノ陣ニテ酒アタヽメテタヘケハ薪ニコソシタリケレ」〔卷六・七一三頁1〕
室町時代の広本(=文明本)『節用集』に、
○薪(タキヾ)[平軽]シン〔た部草木門三三三頁1〕
とし、第三拍の踊り字は「ヾ」とし、濁音化表記としている。
刷り本の堺本(天正十八年版)、饅頭屋本、易林本の三種は、
○薪(タキヾ)〔堺本・上卷多部草木門二十九オ9〕
○薪(タキヾ)〔饅頭屋初刊本・上卷太部雑用門三十一ウ3〕
○薪(タキヾ)〔饅頭屋増刋本・上卷太部草木門60齣4〕
○薪(タキヽ)〔易林本・上卷太部草木門四五ウ5〕
とあって、饅頭屋本が初刊本では雜用門の排列したのを増刋本では堺本・易林本と同じ草木門に移動した点が此の語を分類していく上で当代の編纂者が此の「薪」の所在位置が斯くも揺れていたことを證明するものとなっている。また、易林本だけが第三拍を清音表記とし、上代語表記の語に回帰した語となっている点も見逃せない。
愈々、江戸時代の狩谷棭齋『倭名類聚抄箋註』の此の語をどう見定めているのかを検証するところに立ち帰ることになる。
薪 纂要云、火木曰レ薪、[音新、多歧々]、○説文、薪、蕘也、」昌平本下總本有二和名二字一、」應神紀同訓、多歧歧見二萬葉集相模國歌一、〔卷四・燈火部・灯火類〕
※『日本書紀』應神記
『日本書紀』一文訓み下し │
2126薪(たきぎ)の名をば嚴山雷(いつのやまつち)とす。 〔三 二一五15〕
4682群卿(まへつきみたち)、便(すなは)ち詔を被(う)けて、有司(つかさ)に令(のりごと)して、其(そ)の船の材(き)を取(と)りて、薪(たきぎ)として鹽(しほ)を燒(や)かしむ。〔十 四九三4〕
4695初(はじ)め枯野船(からののふね)を、鹽(しほ)の薪(たきぎ)にして燒(や)きし日(ひ)に、餘燼(あまりのもえくひ)有(あ)り。〔十 四九三11〕
9327嶋人(しまびと)、沈水(ぢむ)といふことをしらずして、薪(たきぎ)に交(か)てて竃(かまど)に燒(た)く。〔廿二五三三7〕
12986戊申(つちのえさるのひ)に、百寮の諸人、初位(うひかうぶり)より以上(かみつかた)、薪(みかまぎ)進(たてまつ)る。〔廿九〕
13056甲寅(きのえとらのひ)に、百寮(つかさつかさ)、初位(うひかうぶり)より以上(かみつかた)、薪(みかまぎ)進(たてまつ)る。〔廿九〕
13076△是の月に、勅(みことのり)すらく、「南淵山(みなぶちやま)・細川山(ほそかはやま)を禁(いさ)めて、並(ならび)に蒭薪(くさかりきこ)ること莫(なか)れ。〔廿九〕
14088戊辰(つちのえたつのひ)に、文武(ふみつはもの)の官人(つかさのひと)ども、薪(みかまぎ)進(たてまつ)る。〔卷卅〕
14167壬辰(みづのえたつのひ)に、百寮(つかさつかさ)、薪(みかまぎ)進(たてまつ)る。〔卷卅〕
14496己亥(つちのとのゐのひ)に、薪(みかまぎ)進(たてまつ)る。〔卷卅〕
14549甲午(きのえうまのひ)に、薪(みかまぎ)進(たてまつ)る。〔卷卅〕
14586戊午(つちのえうまのひ)に、薪(みかまぎ)進(たてまつ)る。〔卷卅〕
『日本書紀』中には、標記字「薪」字は十二例があって、卷廿九以降は、「みかまぎ」と訓む。「たきき」は、卷三、卷十二例、卷廿二の四例となっている。棭齋は應神記の語例を以て此の箇所を註記するのだが、卷十は「薪(たきぎ)として鹽(しほ)を燒(や)かしむ」と「鹽(しほ)の薪(たきぎ)にして燒(や)きし日(ひ)に」の二例の孰れかになる。
※『万葉集』相模國歌
卷十四・三四三三番 [題詞]
[原文]多伎木許流 可麻久良夜麻能 許太流木乎 麻都等奈我伊波婆 古非都追夜安良牟
[訓読]薪伐る鎌倉山の木垂る木を松と汝が言はば恋ひつつやあらむ[仮名]たききこる、かまくらやまの、こだるきを、まつとながいはば、こひつつやあらむ [左注]右三首相模國歌 [校異] [KW]東歌・譬喩歌・神奈川県・鎌倉・地名・掛詞・恋情
「万葉集校本データベース」所収の『万葉集』巻十四3433の初句語「多伎木許流」の語だが、江戸時代の寛永版本は、「たきぎこる」と第三拍めを濁音表記し、これに対し、古写本類は「たききこる」と清音表記を貫く。
此れを承けて、本文翻刻資料についても『万葉集註釈(仙覚抄)』『万葉代匠記』(初稿本)(精撰本)『万葉集古義』は、清音表記を以て記載するのだが、以下の『万葉集拾穂抄』『万葉集僻案抄・童蒙抄・剳記』『万葉集略解』『万葉集全釈』『万葉集総釈』『 万葉集評釈』『日本古典全書』『万葉集全註釈』『評釈万葉集』『万葉集私注』『日本古典文学大系』『万葉集注釈』『日本古典文学全集』『新潮日本古典集成』『万葉集全注』『新編日本古典文学全集』『新日本古典文学大系』『万葉集釈注』は、「たきぎこる」と此の語を濁音表記にして掲載する。
此の「多伎木」語の第三拍目、真名体漢字「木」字の上代かな表記の清濁表記については、改めて茲で回顧して考察することの必要性を説いておかねばなるまい。
先にも述べておいたが、鎌倉時代の高野本『平家物語』、それ以前で謂えば、院政時代の今様歌『梁塵秘抄』にあって、「たきぎ」の濁音化を見据えることになり、実際の語表記は、室町時代の広本『節用集』以下、刷版系の堺本、饅頭屋本『節用集』に「タキヾ」とその濁音表記を見定めるものとなっている。易林本は、「タキヽ」と清音表記にて所載する。
棭齋は、日本文献資料のなかから、当該語の「薪」に関して『日本書紀』卷十應神記の語例と『万葉集』巻十四3433相模國歌を示すのだが、具体的な語例は一切添えずにその拠り所のみを『倭名類聚抄箋注』の語註記に引用する。今回は、此の語例を稽査してみた。また、現今「たきぎ」と第三拍目を濁音化して発音し表記するのだが、実際上代の資料に関しては、清音表記となっている点を検証した。いつ濁音化が明記されたかを溯る資料は今後の課題ともなろう。いま、最大溯って院政期の今様歌『梁塵秘抄』、鎌倉時代の高野本『平家物語』となり、実際の濁音表記については室町時代の広本『節用集』、堺本〔天正十八年版〕饅頭屋本『節用集』ということになる。無論、『日葡辞書』となる。