中国自動車道から萩市に向かい北上すると市街地の5kmほど手前に「道の駅萩往還」があります。
萩往還は慶長9年に萩城主の毛利氏が江戸へ向かう参勤交代のための「御成道」として開かれましたが、
萩から瀬戸内海の三田尻まで山陰と山陽を結ぶ道は、当時もっとも重要な道で険しい山道でした。
幕末の志士たちもこの道を通り過ぎて行ったことを思い起こし、多くの人に知ってもらおうと道の駅は開設されました。
1.吉田松陰と村塾の双璧
倒幕の志士たちの思想的中心となったのが中央「吉田松陰」で、その思想を繋ぎ村塾の双璧と謳われた門下生が「久坂玄瑞」と「高杉晋作」でした。
2.吉田松陰の紹介
毛利藩の藩校「明倫館」は武士身分の者しか入れず、足軽など軽輩は除外されましたが、松下村塾は身分は無関係に志ある者を入塾させました。
3.右「久坂玄瑞」の紹介
藩医の三男として生を受けましたが、15歳で親や兄を失い藩医の当主なりました。
16歳の時、九州遊学で熊本の宮部鼎蔵を訪問した際、吉田松陰に従学することを勧められました。
4.左「高杉晋作」の紹介
藩命で22歳の頃中国上海へ渡航し、海外情勢などを実際に体験し学んでいます。
平民を募集し奇兵隊を創設し、毛利藩内でクーデターを実行し、藩論を倒幕へと向かわせました。
5.松陰記念館
「道の駅萩往還」は松下村塾を主テーマにした道の駅です。
6.松下村塾の講義の様子
人形とナレーションで松下村塾の講義を再現しています。
7.松下村塾の教育
身分に関係なく先進的な教育方針でした。
8.左「品川弥次郎」と右「山田顕義」
9.品川弥二郎の紹介
明治の政府の中心的人物となった門下生の一人です。
10.山田顕義の紹介
10.吉田松陰の意思を継いだた門下生達
左から山県有朋・木戸孝允・伊藤博文・天野喜代三郎・野村和作。
明治政府の中心的メンバーとなりました。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます