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伊万里市の「大川内山」は江戸時代に佐賀藩鍋島家の御用達窯として門外不出、採算度外視の最高級の磁器「鍋島」を製作していました。
豊臣秀吉の朝鮮出兵時、鍋島藩は朝鮮半島から陶工たちを日本に連れ帰りました。
伊万里市のお隣の有田町は日本磁器発祥の地とされています。
有田の泉山で磁器の原料となる良質の白磁石が発見され、1616年に焼成に成功したと言われています。
1.関所跡
藩は「鍋島」製陶の技術が他に漏れないようにするため、大川内山には関所を造り出入りを厳しく制限しました。
関ヶ原で西軍に付いた佐賀鍋島藩は江戸時代外様大名として不安定な地位にありました。
長崎港の警備を担当していたことで出島を通る中国磁器などを手に入れ将軍家に献上していました。
中国が清代となり鎖国を始め中国磁器が手に入らなくなったため、1628年自ら有田に窯を作り磁器の製造を始めました。
選りすぐりの技術を持つ陶工を選抜し、腕が落ちると入れ替えを行うなど厳しい管理がなされ、その反面、武士と同じように給料をもらい、苗字も身分も保証されていました。
2.大川内の地図
里は300年ほどの歴史があり、今なおは30軒の窯が現在に伝統の製法を受け継いでいます。
3.レンガ造りの煙突
高台から里を見下ろすと窯の名前を記したレンガ造りの煙突がいくつも見えます。
4.石畳の坂道
里の坂道は石畳で舗装されています。
5.登り窯の再現
平成四年に伝統保存のため再現されたと記されています。
6.耐火煉瓦の塀
窯の廃材で作られた塀のようです。
7.鍋島藩窯公園
里の入り口に鍋島藩窯の公園が整備されています。
8.陶製の風鈴
「めおとしの塔」と呼ばれえる大きな風鈴は人が「陶工橋」を渡るとセンサーにより心地よい音色を奏でます。
9.唐臼小屋
「鹿威し」の原理で大きな杵がシーソーのように動き陶石を砕きます。
10.唐臼
中国から伝わったのでしょうか「唐臼」と呼ばれています。
三本の杵は大きさも違い、打つ間隔も水量と重りで調整されているようです。
11.唐臼の説明
昭和40年代まで使用されていたものを再現したそうです。
すぐ近くには高麗人を始め陶工の無縁墓標800余をピラミッド型にした「供養塔」があります。
〇「古伊万里」の輸出
1602年に設立されたオランダの「東インド会社」は中国磁器をヨーロッパなどに輸出していましたが、中国が内乱で明朝から清朝となり磁器が輸出できなくなりました。
そのころ磁器の生産が活発化していた「有田」に目をつけ日本と輸出契約を結び、1659年、海に面していない「有田」のすぐ近くの「伊万里港」から船積みされた磁器は長崎の出島でオランダ船に積み替えられ海外へ輸出されました。
この後、約100年間「伊万里焼」の輸出は続き、ヨーロッパの王侯貴族を魅了しました。
当時国内で「古伊万里」は皇室や公家・幕府将軍家への献上品、諸大名への贈答品とされていたため一般に流通しておらず、明治になるまでその存在が知られず、より一層の価値を高めています。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
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