1.七宝古鎮の賑わい
上海市西郊の閔行区に残る七宝古鎮は1000余年の歴史を持った水郷です。
今では地下鉄で行ける市中心部から一番近い水郷として観光名所になっています。
模型はさながら江南の「清明上河図」のようですが、当時の紡績産品の集積地として賑わった様子が再現されています。
2.18世紀後期の花形輸出商品
当時中国製の綿布は「南京布」と呼ばれ欧米に大量に輸出されていました。
3.紡績は農家の副業
近郊の農家の様子。元明以来、手動の機織り機で農家の婦女子が副業として綿布製造をに担っていました。
4.外国製品の逆上陸
清国の国家経営を支えていた綿布の輸出も突然逆転します。
1842年アヘン戦争に敗れ開港された港に向け、欧州の産業革命により発明された自動織機により大量に製造された高品質の綿布と綿糸が輸入されます。
その代金支払いのために大量の銀が国外に持ち去られることになります。
5.外国資本の上陸
そして紡績業利益に目を付けた外国商社が上海に自前の工場を建設するようになりました。
6.またまた李鴻章大臣の登場
李鴻章大臣は日清戦争の敗戦処理で講和条約締結のため山口県下関市に来航しています。
斜陽の清王朝を立て直すべく奮闘する悲劇の大臣。
7.初の国営綿布製造工場
1889年、慌てた清国政府は李鴻章大臣に命じ、自動織機を購入し上海楊浦区に国営の機織り工場を建設させます。
中国近代紡績業の始まりです。
8.上海製糸工場の発展
その後民間資本も投入され激烈な市場競争となりましたが、1895年頃には全国の綿糸製造量の7割以上を上海で製造するまでに発展しました。
9.日系企業の上海進出
カネボウ、トーヨーボウ、ナイガイなど今でもお馴染みの企業は「紡績」から発展したのですね。
世界最大の自動車製造会社のトヨタも、もともとは織機メーカーでしたが、今の上海アメリカ総領事館は豊田佐吉の別荘でした。
10.日中戦争前夜
上海の毛織物の国内製造比率は民族資本と外資を合わせ6割以上となりました。
11.上海事変勃発
1937年8月13日、第二次上海事変勃発。各地の激戦で紡績工場も被害を受けました。
1941年太平洋戦争突入、上海租界も日本軍の管理することになりました。
12.抗日勝利
1945年日本敗北の後、国民党政権の中華民国が工場を再開させます。
13.服飾業界の発展
太平洋戦争終了後に中国は内戦状態となりましたが、1949年に共産党が勝利し中華人民共和国成立。
紡績業界も繊維産業の一部として再編されます。
14.最新の繊維産業
現在では繊維産業もすそ野が広がり、自動車用の特殊繊維なども手掛け益々発展しています。
15.エピローグ(後記)
「一つの時代にはその時代の使命があり、そこに生きた一人もその責任がある」
実際に繊維産業をけん引された方のお言葉でしょうか、なかなか含蓄のある言葉です。
予備知識もないままに見学しましたが、一つの産業の歴史館と言うよりも上海の歴史の多くを語っているように思えました。
残念な点は、
「近代上海紡績」の展示で具体的な数字資料の暦年表示がないものがあり前後関係が分かり辛い。
戦争被害は仕方ないですが、日本人に工場を騙し取られる風刺画の展示が必要なのか。
歴史的事実としては、次のことも知らなければなりません。
1924年頃の紡績工場労働者は中国共産党創世記の母体になっている。
1925年、この付近の旧内外紡工場の労働争議で日本人警備員により工員が銃撃され翌日死亡したが、現地には烈士殉難碑と歴史陳列室がある。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS
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