1.細川忠興
1600年、関ヶ原の功により細川忠興が豊前と豊後2国を所領し中津城に入場しました。
翌々年に小倉城を築城し、中津城より移りました。
2.5重6層
現在復元された天守閣は4重5層ですが、築城当時は5重6層であったとか。
3.天守閣消失
1837年に天守閣は火災で消失、以降再建されませんでした。
4.長州征伐
幕末の1866年第2次長州征伐の際に高杉晋作率いる長州軍1000の奇襲を受け、幕府側2万の小倉守備軍は自ら城内の建物に火を放ち田川郡へと退却しました。
5.昭和34年再建
現在の天守閣は昭和34年に鉄筋コンクリート造りにより再建されました。
6.戦後速い復元
戦後14年目でこんな立派な城が復元できたのは、
当時の八幡・若松・戸畑・小倉・門司の5市が合併してできた北九州市が炭鉱や製鉄・貿易港などで経済情勢が良好だったからではないでしょうか。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL IS
1600年、関ヶ原の功により細川忠興が豊前と豊後2国を所領し中津城に入場しました。
翌々年に小倉城を築城し、中津城より移りました。
2.5重6層
現在復元された天守閣は4重5層ですが、築城当時は5重6層であったとか。
3.天守閣消失
1837年に天守閣は火災で消失、以降再建されませんでした。
4.長州征伐
幕末の1866年第2次長州征伐の際に高杉晋作率いる長州軍1000の奇襲を受け、幕府側2万の小倉守備軍は自ら城内の建物に火を放ち田川郡へと退却しました。
5.昭和34年再建
現在の天守閣は昭和34年に鉄筋コンクリート造りにより再建されました。
6.戦後速い復元
戦後14年目でこんな立派な城が復元できたのは、
当時の八幡・若松・戸畑・小倉・門司の5市が合併してできた北九州市が炭鉱や製鉄・貿易港などで経済情勢が良好だったからではないでしょうか。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL IS
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