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祖母が就寝前に唱えていたオラショの記憶。或いは、潜伏キリシタンが潜伏しなくなった理由らしき何か

2022-11-30 21:48:40 | カトリックや南山
幼少の頃、母方の祖母宅を訪れ、その客間で就寝前の支度をしていた。
そのとき、隣にあった祖母の居室から、
念仏めいた何か
が聞こえてきた。
客間には、イエス様やマリア様の像に、カトリックの宗教画が多々。

なので、
教会のミサで耳にする祈りの言葉とは、
明らかに違う
念仏めいた何か
に驚いた。

かといって、
隣室にヅカヅカと入って
「何を唱えているのか」
と問うような無礼者では、なかった。

かといって、
「ランドセルを手にするかどうか」という当時の記憶力では、
その念仏めいたものを
聴いて覚えることなど、
到底、無理でした。

祖母の唱えていたものが、

潜伏キリシタンに受け継がれていた
オラショである、

と気付いた頃には、
祖母は帰天済み。

オラショを習う機会はとうとう、
なかった。


まずは、帳方の基本となるオラショ(お祈り)を覚えないといけなかった。最初の3年間は、父が紙に書き残したオラショを暗記し、近くの墓地で唱える練習をした。

 ――オラショとはどのようなものなのか。
 「葬儀や洗礼、復活祭などあらゆる場面で必要になるものだ。種類が多く、それぞれ意味も異なり奥が深い。長い歴史を経て、今は日本語、ポルトガル語、ラテン語が混ざったものになっている」

『ポルトガル語、ラテン語が混ざったもの』
これは知らなかったです。
京大には、ラテン語を教える科目もありますけど……在学当時は敬遠してました。(京大には、ポルトガル語を教える科目はなかったはず。)

信仰を続けるのに、お金があまりかからないこともあるかもしれない。年会費はなく、葬儀などの際も最低限しかいただかないので、貧しくても続けられた。

カトリック教会には、月々の会費や建物建て替え・修繕のための積立金の仕組みがあります。
戦前には、聖堂の建設工事を信徒が担った、という話もちらほらと聞きます(Dash村のような感じ)。

私も(信者となる儀式の)洗礼を何年もしていない。それでも、先祖が大切にしてきた信仰なので、何とかして後世に残したい

……祖母帰天のとき、カトリック教会での葬儀を含む諸々が一段落した夕刻、当方を含む親戚一同などが客間(決して広くはない)に集められた。

その理由を一切、聞かされないまま。。。

集められた全員が正座で着席すると、
祖母の友人(?)がオラショを唱え始めた。
しかし、
当方を含むいとこ連中も、
母上を含む祖母の子たちも、
全くオラショを唱えることができなかった。

ていうか、
一人一人交代で唱える、
という段取りすら知らなかった。

祖母の友人(?)が
「誰も唱えないのかい」とボヤキつつ、
オラショを繰り返し唱えていた。

夕刻特有の眠気
正座によるしびれ
祖母の友人(?)から醸し出される威圧感
に苦しめられながらも、
「……いえす、かんのん、かんのん……」
というオラショの断片は、記憶に残った……。

ただ、その場にいた者のうち、
幾人かはオラショを唱えていた。
言葉のイントネーションや衣装から察するに、全員
地元住民。

カトリック教会は、使用言語は違えど、
典礼で使う祈りの言葉を含む諸々の体系が、

チェーン店のマニュアルのように
統一化されている。

引っ越した先の教会で、
元居た場所の教会と同じような流れで、諸々の儀式が行われる。
(たとえ国境を越えても……)

また、
儀式を司る神父様は、統一化されたカリキュラムの下で養成され、
(出来不出来の差はあれど、)
それなりの水準が担保されている。

更に、
神父様には人事異動があるため、
信徒には、ミサに出る出ないの自由があるため、
相性の悪さを回避できる余地がある。

一方、
潜伏キリシタン・かくれキリシタンの場合、
その土地土地に先祖から伝えられた「過去の典礼」に依拠。
しかも、禁令時代の影響で、永らく文書化が困難だった。
そのため、土地ごとに、口伝で、伝えられた。

その結果、
オラショが一言一句同じである、
という保証すら、ない。
つまり、
個人営業の店舗のように、
不統一のまま。

居住移転が珍しくない現代、
不統一な信仰では、
信徒側に混乱を招く。

また、
養成のプロセスが明確化されていないため、
それなりの水準が担保されていない。

更に、信仰を維持するためには、その土地とその土地の人々から「離れない」(地理的とは限らい)ことが、必要。

つまり、
かくれキリシタンの信仰を維持する限り、
相性の悪さから逃れることができない。

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