『JM』とは、
北野武さん、
(おそ松さん「ハタ坊(Mr.Flag)」のキャスティングにすら影響を与えた)キアヌ・リーブスさん、
そして、
(「メーデー!」でお馴染みの)デニス・アキヤマさん
らが、出演していた映画(小説「記憶屋ジョニー」の映画化です)。
映画の内容は、要するに、
「或る疾病の対処療法で巨万の富を得ている」製薬会社が、
ヤクザ一味(演、北野武さん、デニス・アキヤマさんら)を雇って、
その疾病の根治方法を「抹消」しようとする
という話です。
ちなみに、キアヌは……要するに、「抹消」から逃れる役であり、「疾病の根治方法」を記憶している役です。
(……思い入れのある映画は、簡潔な紹介が難しいものです。)
さて、
に
ドイツにこんな逸話があります。
「あるが、息子二人に言いました。
『我が領地のどこかに、大金を埋めた。二人のうち、見つけた方に、その大金を遣る。』
その結果、領地は隈なく、イイ感じに耕されました。」
ちなみに、領主が実際に大金を埋めたかどうかは、不明。
「アビガン論争」
は疾病の完治を遠ざけることで、医薬品の需要を耕しているようにも見えます。
営利企業は、不合理な選択をしてはならない(不合理な選択は、営利企業のステークホルダーたちに説明できない選択であり、ステークホルダーたちに説明責任を果たせないだから)。
不合理な選択の筆頭は、手に入るはずの利益(勿論、NPV換算)を捨てること。
疾病の完治を遠ざけることで利益が増す営利企業は、
疾病の完治を遠ざける、という選択をしなければならない。
疾病を完治させる手段の提供で利益が増す営利企業は、
疾病を完治させる手段の提供、という選択をしなければならない。
両者の対立が、「アビガン論争」の背景、でしょう。
その背景の前で、学者たちが踊っている(踊らされている)。
当方は、
産学連携の旗が大いに振られていた頃に、
大学に入りました。
その頃は、
寄付講座を引っ張る事、
学内ベンチャーを立ち上げる事、
が賞賛されました。
そのためか、
学者たちが経済的利益のために踊り、踊らされている姿には、
あまり違和感はないです(「総長カレー」には、「あなたの仕事はそれではないでしょ」とは思いましたけど)。
ただ、真っ当な感性があれば、
利益一辺倒では「壊れる」
という危機感を、多かれ少なかれ抱くものです。
(そういう危機感に動かされて、経営理念的なものを作った組織ならば、心当たりあります)。
幸い、アビガンの開発者は、「治す」という強烈な軸が定まっている(「アビガン」にとってみれば長年、待ち望んでいた晴れ舞台。その晴れ舞台に立たせたいと思う親心、でしょう)。
けど、……。
自然科学界隈には、
世の中で、大衆で、「科学」が軽んじらている
という類の嘆きが時々、出てくる。
その嘆きには、こう打ち返したい。
「あなたたちが盛んに振り回している、それって、そもそも『科学』ですか。『欲望の化身』では?」
法の世界では、「八何」(6w2h)を使って「内心」を探り当てる(前述の金持ちな領主、質問を数回投げれば、「狙い」を吐いただろう)。
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