で検討した通り、
「自粛警察(自粛ポリス)」の類は、ルールの空白を埋めるために登場する。
言い換えるならば、秩序の欠損や治安崩壊生じたときに生れる。
なので、
は、因果律の取り違え。
ダーティハリー云々は、「自由からの逃避」ですらある。
高須は、自由主義に盾突いている。
ていうか、
ステイ・ホームならば、
自炊一択・自作弁当一択じゃん。
なぜ飲食店をわざわざ開く必要があるのか。
(自営業ならば、六か月、売上断たれても、生き残れる程度の蓄えをするものです。まさか、遊興道楽に経費を使ったのか?それとも、雑な事業計画を立てていたのか)
そもそも、新型コロナウイルスは、「ノアの方舟」に出てくる長雨の如く、悪事・悪人――風俗店を含む夜の店・飲食店を含む非効率な事業者・文化芸術界隈に集う怠惰・享楽的なキリギリス連中・任侠ほか――を洗い流しつつある。
「自粛警察(自粛ポリス)」は、さっさと悪事・悪人が洪水に流されるように支援しているだけ。
「ノアの方舟」に乗っている側にとっては、歓迎すべき事。
「自粛警察(自粛ポリス)」を叩こうとする連中は、
『我は「ノアの方舟」に乗れない悪人デス』
と自白したも同然。
追記。
だから、夜の店は悪事・悪人の魔窟なのだ。どの国においても。
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