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携帯用ファンを使う人を見ると、残念な思いに至る。或いは、新型コロナウィルスに対するヴァチカンの見立て

2020-09-03 20:26:48 | HPVワクチン
その背景を的確に説明する文書が、

にて紹介されていた。
その日本語訳

Covid-19 の現象は、単なる自然 の出来事ではない。自然において生じていることは、すでに経済 的選択と発展モデルという人間 の世界による複雑な媒介の結果であり、それ自体、我々自身の創造し た別の「ウイルス」のまさに「感染」によるものである。それは、放縦で過度の消費によって定義される、財 政的大食、ライフスタイルの放埒の原因というよりも結果である。我々は、我々自身のために、言い逃れ のエートスを構築し、創造の根本的な約束において我々に与えられたものを無視してきた。これが、我々 が、自然環境への我々の関係を再考するよう要求されている理由である。我々は支配者や君主として ではなく、地球に執事として居住することを承認する必要がある。
 という一節が目に留まる。


放縦で過度の消費によって定義される、財政的大食、ライフスタイルの放埒

その具現化が、

携帯用ファン。

或いは、

HPVワクチン

有限性を学ぶこと、そして我々自身の自由の限界に同意することは、哲学的リアリズムの穏健な 行使以上のものである。それは、この肉における 限界を超える人間の現実の前で、我々の目を開くことを 必要とする。生存のための最小限の条件を保障するための、自分の子どもと家族を養うための、災害の 脅威を克服するための、生き残りのための日々の挑戦において。他方では、入手するには余りに高価で 維持できない医療が使用できるのに

HPVワクチンの一セット分の価格は、
ネパールの一人当たりGDPを上回る。
ネパールより一人当たりGDPの低い国は約三十カ国。

その一方で、

などとツイートする恥知らずがいる。


確かに、すべての国において、公衆衛生という共通善は、経済的利益とバランスをとる必要がある。 パンデミックの初期段階の間、ほとんどの国は、最大限、生命を救うことに焦点を合わせた。病院と、特 に集中治療サービスは不十分だった。そして、莫大な苦闘の後にようやく拡大された。ケアサービスは顕著 に、テクノロジカルな投資以上に、医師、看護師、そして他のケア専門職の印象的な犠牲のゆえに、生 き残った。しかし病院のケアに焦点を合わせることは、他のケア制度から我々の注意をそらした。たとえば 高齢者施設は深刻にパンデミックに襲われ、十分な防護具や検査は遅い段階になって初めて使用可 能になった。資源配分の倫理的議論は、より高いリスクとより重い傷つきやすさを経験している人々に注 意を払わずに、主として功利主義的考察に基づいていた。多くの国々において、一般的なケア従事者 は、―多くの人にとって、彼らがケアシステムにおける最初の接触先であるのに― 無視された。結果は、 Covid-19 以外を原因とする死者と障害者の増加だった


それでもなお、我々は、特にグローバルなレベルで、人間の相互依存と共通の脆弱性に対して十分 な注意を払っていない。ウイルスは境界を認識しないのに、国は国境を封鎖する。他の災害とは対照的 に、パンデミックは、すべての国を同時に襲わない。これは、他国の経験や政策から学ぶ機会を提供しえ たのに、グローバル・レベルでの学習のプロセスは最小限だった。率直に言うと、いくつかの国は、時々相互 非難というシニカルなゲームに専念した。

そして、

第二の結論は、責任ある科学研究 の定義である。ここでは危険性が非常に高く、問題は複雑で ある。三点が強調に値する。第一に、科学の正確性 (integrity)とその進歩を促進する観念に関し て。もし完全に「分離されて」いないなら、コントロールされた客観性という理想、および研究の自由の理 想、特に利益衝突からの自由



第二に、危機にさらされているのは、平等、自由および衡平の規則によ って、民主主義の文脈において決定された、社会的プラクティスとしての科学的知識の性質それ自体 で ある。かかる決定と政治の領域は、その全体において、科学の力の逸脱からの自らの自律を保持する。 ―特に科学の力が世論の操作に変容するときは



最後に、ここで問われているのは、その社会に有益な 結果の追求における、本質的に「受託者的な(fiduciary)」科学知識の性格である。―特に、科学 的知識が、人間に対する実験と、臨床試験で試された治療の約束を通して獲得される場合には。社会 の善とヘルスケア領域における共通善の需要は、収益に対するいかなる関心よりも前に来る。研究の公 的次元は、私的利益の祭壇に犠牲として供されることはできないからである。生命とコミュニティの福祉が 危機にさらされているとき、収益は後部座席を占めなければならない。

「受託者的な(fiduciary)」は、信託の受託者を念頭に置くと掴みやすいです。

収益は後部座席を占めなければならない。

HPVワクチンでは、収益が運転席にいる。



最後の分析において、人間家族が現実に直面している本当の問題は、道徳的な、単に戦略的で ない、連帯の意味である。連帯は、それを必要としている他者への責任を含んでいる。それは、尊厳を付 与された人の主体として、どの人格もそれ自体で目的であり手段ではない、という認識に根差している。 連帯を社会倫理の原則として詳細に記述することは、現実に連帯を必要としている人の具体的な状況 にかかっている。かくして、我々に要求される対応は、同情という感情的な観念に基づいた単なる反応で はない。どの人間もが持つ生来的な価値を合理的に憂慮することを前提とした倫理的配慮を払うこと、 それが、者の注意を要求する他者の尊厳に対する唯一のふさわしい対応である。

HPVワクチン売り込みは、

者の注意を要求する他者の尊厳に対する唯一のふさわしい対応

で埋め尽くされているだろうか。

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