政治の過程には、
・イデオロギー政治のアリーナ
・利益政治のアリーナ
・政策政治のアリーナ
があるという(三つのアリーナ)。
さて、これらにもう一つ付け加えるならば、
・独裁と戦うアリーナ。
でしょう。
「独裁と戦うアリーナ」には、前述の三つのアリーナを守る役割があります。
「独裁と戦うアリーナ」の下では、利益政治のアリーナでの対立も、政策政治のアリーナでの対立も、イデオロギー政治のアリーナでの対立も、度外視しなければならない。独裁者の手にとよって、三つのアリーナが踏みにじられれば、各アリーナで闘う「戦士たち」はどのアリーナでも、戦えなくなるから。
背に腹は代えられない。呉越同舟。
だから、、、
だから、、、
ですから「思想を容認していないなら自分のリーダーとしません」とする理論の根拠をお尋ねしています。個人の思想信条を超え、知事罷免という一点を唯一の目的に呉越同舟で団結することが「ナチス」だという証拠をお示し頂きたい。#大村知事のリコールを支持します #イエスリコール大村知事 #高須克弥 https://t.co/tH7VGDkjrF
— 辻󠄀 博仁 (@tsujihirohito) August 29, 2020
となる。
こうなると、
こうなると、
「独裁と戦うアリーナ」が開いたきっかけなんて、
誰も気にしない。
あの独裁者を引き摺り下ろせるかどうか、
が「独裁と戦うアリーナ」における唯一の関心事だから(当方も深く気には留めていない)。
「独裁と戦うアリーナ」は江戸時代、しばしば開幕しました(当人たちは「アリーナ」という言葉すらしなかったでしょうけど)。
所謂、お家騒動からの「押し込み隠居」です。
お殿様が横暴働いて、嫌気が差した家臣たちが諸々の違い乗り越えて、一致団結して、お殿様を隠居させて、新たしいお殿様を迎える。。。
各藩で一回は起きた、という。
今風に言えば、「押し込み隠居」は、
クーデータとも、
革命とも、
評することができるのかもしれません。
「押し込み隠居」に至る当時の政治過程は、
「独裁」に対する抵抗感の強さを、
今に伝えてくれます。
ただ、さすがに
今は「押し込み隠居」の習慣がない。
なので、
首長相手ならばリコール
です。
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反論が自民もやってる論なの草。何で賛同者が保守前提で意見するんだろう。自分は中道なので、自民批判に同調しつつ、大村批判しない理由を聞くと黙っちゃうんだもん。
— ゆ (@yuyuyuseijin) August 30, 2020
リコール投票は左右どちらが正しいかじゃなく、知事に値するかを評価するもの#大村知事リコール#大村知事のリコールを支持します
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