にて
授業最終場面に際し、S先生は「憲法」を語って下さった。
「憲法の改正とは、“改正”ではなく“革命”」
素晴らしい“お言葉”である。
「憲法改正」を口にする人間は、その覚悟を持って発言して欲しいものだ!
という一節が出てくる。
これは、関東の学説「八月革命説」を念頭に置いた「お言葉」
芦部ら関東の学者は、どういう訳か憲法改正できる事柄には限界がある、という立場にある。
その立場からすれば、主権者変更を伴う明治憲法から日本国憲法への改正は、不可能。
だから、「革命」だ
と。
しかし、日本国憲法の最初をよく読むと、
朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
論より証拠。
京都学派は、憲法改正できる範囲に限界はない、という立場(他の法典と同じように)。だから、日本国憲法に書いてある通り、日本国憲法は明治憲法の全面改正に過ぎない、
という立場。
明文を殊更に無視して、存在すらしない「限界」なる概念を打ち立てることは、
少なくとも法学ではない。
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