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増補 日本文學史 池田秋旻 氏著 第四章 連歌の格調

2024年07月06日 20時19分40秒 | 山梨県歴史文学林政新聞

 

増補 日本文學史 池田秋旻 氏著

 

一部加筆 山梨県歴史文学館 山口素堂資料室

 

第四章 連歌の格調

 

今『筑波集』其の他の諸書に出でたる、連歌の二三を掲げて、

當時の格調を示さん。

    かゞみの山に月ぞさやげき

にほてるやにはほのさざなみうつり来て        家 隆

    たえぬ烟とたちのぼるかな

春はまだ浅間たけのうす霞              為 家

    思ふ程にはいまだうらみす

風かよふなつのゝまくすわかばにて          善 阿

    空にも冬の月はすみける

やどるべき水は氷に閉られて             西 行

 

     紹巴獨吟干句

年毎の花ならぬ世の恨かな              紹 巴

  ふりにし跡も庭の春草                同

山の端の薄雪残る露みゑて                同

  羽風を塞み雁わたる群                同

船とめし枕は秋のうら波に                同

  月を旅寝の袖のかたしき               同

 

     春の夢草

面影を月と花とに袖ぬれて              肖 柏

    ものことになど戀はかなしき           同

  花にたる況のゆうべわすれめや            同

    身にまかすへき思ひともなし           同

 さきかへす川に包れか落すらん             同

 

壁 草

    われからに世のうきやのがるゝ          宗 長

  誰たえて誰雲にのる身なるらん              同

    いたこのたひはすみそめの袖             同

  花ならでわけんもかなし吉野山              同

 

    宗祗終焉記

  消し夜の朝露分る山路かな              宗 長

    名残すきうき宿の秋風              宗 碩

  小荻原旅寝の月に散を見て                同

    鹿のなくねも袖ぬらせとや            宗 長

  物ごとあはれはくれを帰る野に              同

    雲をかたみの春ぞあだなる            宗 碩


詞花和歌集 巻第一 春(一) 1~30

2024年07月04日 03時47分21秒 | 山梨県歴史文学林政新聞

詞花和歌集

詞花和歌集 巻第一 春(一) 1~30

  

     堀河院の御時百首の歌奉りけるに春たつ心をよめる     

                             大蔵卿匡房

一   氷りゐし志賀の唐崎うちとけてさざ浪よする春風ぞ吹く

寛和二年内裏の歌合に霞をよめる              藤原惟成

二   昨日かも盾霧ふりしはしがらきのと山の霞ははるめきにけり

天徳四年内裏の歌合によめる                平 兼盛

三   ふるさとは春めきにけりみ吉野のみかきが原を霞こめむり

       はじめて鶯の声をきゝよめる         道命法師

四   たまさかに我が待ちえたる鶯の初音をあやな人やきく覽

       題しらず                  曾彌好忠

五   雪消えばゑぐの若菜もつむべ今に春さへ晴ぬみ山べの里

       冷泉院春宮と申しける時百首の歌奉りけるよめる 源重之

六   春日野に朝嗚く雉の羽音は雲の消えまに若菜つめとや

       鷹司殿の七十賀の屏風に子日したるかたかきたる所に詠める 

                              赤染衛門

  七   萬代のためしに君がひかるれば子の日の松も羨みやせむ

       題しらず                   新院御製

  八   子日すと春の野ごとに尋れば松ひかるゝ心地こそすれ    

       梅花遠薫といふ心を              源 時綱

  九   吹きくればかを懐かしみ梅の花散らさぬ程の春風もがな

       梅花をよめる                 右衛門督公行

十   梅の花匂を道の志るべにてあるじも志らぬ宿に来にけり

       題知らず                   悛恵法師

一一  真菰草つのぐみ渡る澤邊にはつながぬ駒も放れざりけり

                              僧都覚雅

一二  もえ出づる草葉のみかはを笠原駒の景色も春めきにけり

       天徳四年内裏の歌合に柳をよめる        平 兼盛

一三  佐保姫の糸そめかくろ青柳かふきなみだりそ春の山

       贈左大臣の家の歌合によめる          源 季遠

一四  いかなれば氷ふきとく春かぜにむすぼゝろらむ青柳の糸

       古郷の柳を詠める

  一五  古里のみ垣の柳はるばるとたがそめかけし浅みどりぞも

       題知らず                   源 頼政

一六  み山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり

京極前太政大臣の家に歌合志侍りけるによめる         康資王母

一七  紅のうす花ざくら匂はずばみな志ら雲とみてやすぎまし

       この歌を判者大納言経信紅の桜は詩に作れども

歌にはよみたることなむなきと申しければ

あしたにかの康資王の母の許に遣はしける         京極前太政大臣

一八  志ら雲は立ちへだつれど紅のうすはな桜こゝろにぞそむ    

       かへし                  康資王母

一九  志ら雲はさもたゝばたて紅の今ひとしほを君しそむれば

おなじ歌合によめる                   一宮紀伊

二〇  あさまだき霞なこめそ山桜尋ねゆくまのよそめにもみむ

                            大蔵卿匡房

二一  白雲とみゆるによる志るしみよしのゝ吉野の山の花盛りかも

       水府二年内裏の後番歌合によめる      大納言公實

二二  山桜をしむにとまるものならば花は春とも限らざらまし

遠山のさくらといふ事をよめる              前斎院出羽

二三  九重にたつしら雲と見えつるは大内山のさくらなりけり

       題しらず                 戎秀法師

二三下 春ごとに心をそらになすものは雲ゐに見ゆる桜なりけり

       志ら川に花見にまかりてよめる       源俊頼朝臣

二四   白川の春のこずゑを見渡せば松こそ花のたえまなりけれ

       所々に花を尋ぬむ云事を詠せ給ける     白河院御製

二五   春くれば花の梢に誘はれていたらぬ里のなかりつるかな

       橘としつなの朝臣のふしみの山庄にて水邊桜花と

       いふことをよめる             源俊頼朝臣

二六   池水の汀ならずばさくら花影をもなみにをられざらましやは 

一條院の御時ならの八重桜を人の奉りけるを其折御前に侍り

ければその花を題にて歌よめとおほせごとありければ    伊勢大輔

二七   古のならの都の八重ざくらけふこゝのへに匂ひぬろかな

       新院のおほせ事にて百首のうた奉りけるによめる

                            右近中将教長朝臣

二八   古里にとふ人あらば山桜散りなむのちをまてとこたへよ

       人々あまたぐして桜の花を手ごとは折りて帰るとてよめる  

                            源 登平

二九   桜花手毎に折りて帰るをば春の行くとやひとにみるらむ

       題志らず                 道命法師

三〇   春毎に見る花なれど今年より咲き始めたる心地こそすれ


寛文8年 素堂と芭蕉

2024年06月09日 14時49分01秒 | 山梨県歴史文学林政新聞

◇寛文 8年 戊申 1668 素堂27才

▽素堂、この年刊行の加友撰、『伊勢踊』に発句五入集。

【註】寛文七年の項に前掲。(俳号、信章)

  加友生没年不詳、寛文頃六十~七十才で歿か。

 伊勢国松坂樹敬院の住職。はじめ望一門、後に貞徳に従う。季吟とも交遊がある。素堂との関係は定かではないが、素堂句のみ前書があるのを見ても関係の深さが偲ばれる。

 

**芭蕉発句 寛文8年(1668)24歳

 

寛文8年(1668)25歳

波の花と雪もや水の返り花


素堂と芭蕉 ◇寛文7年 丁未 1667 素堂26才 芭蕉24才

2024年06月09日 14時45分48秒 | 山梨県歴史文学林政新聞

◇寛文7年 丁未 1667 素堂26

素堂、この年に加友撰、『伊勢踊』に投稿か。    

『伊勢踊』素堂翁句初見 春陽軒 加友撰 

◎松阪市史、第七巻所集 寛文七年(1667)著 八年刊。

  伊勢踊 加友編 序

紗の紗の衣おしやりしことは世中の狂言綺語にして一生は夢のことくなれともことにふれつゝ目に見こゝろに思ひくちにいふ霞舌の縁に引れてやつかれ若年のころほひより滑稽の道にをろかなるこゝろをたつさゆといへとも宰予か畫寝かちにおほくの年月を過し侍りぬまことに期すところは老と死をまつのおもはんこともしらす又爰にわれにひとしき二三子あつていはく此ころ諸方に何集のか草のとて誹發をあつむる事しはいまめかしされは都のえらひにうちのほせんをも流石に目はつかしまた田舎のあつめにさしつかはさんこともはたくちはつかしさはいへとをのれらうちこゝろをやりてなし置たるを月日をふる句になし行事いとくちおしくて予を時のはやりをとりの哥挙に物せよとよりそゝのかされて氣を瓢箪の浮蔵主になりつゝ足拍子ふみとゝろかし手ひらうちたゝきて人々まねきよすれは赤ゑほしきたるとち腰うちひねり頭をふりてわれもとうたひのゝしる小哥ふしらうさい片はちやうのものはいふにたらすは哥舟哥田植えうた巡礼比丘尼樵夫の哥なとをとりあつめて小町躍や木曾踊住吉踊土佐踊是はとこをとりと人とはゝ松坂越て伊勢踊と名付答る物ならし   ・寛文七年霜月日                    

** 伊勢踊 素堂入集句 **

 

予が江戸より帰国之刻馬のはなむけとてかくなん

    かへすこそ名残おしさは山々田     江戸 山口氏信章

 花  花の塵にましはるはうしや風の神

                          註…「はうし」は「法師」

餘花 雨にうたれあなむ残花や児桜

                           註…「児桜」は「ちごさくら」

相撲 取結へ相撲にゐ手の下の帯

                            註…「ゐ手」は「ぬき手」か 

相撲 よりて社そるかとも見め入相撲

                             註…「社」は「こそ」               

 

** 参考資料 ** 『俳文学大辞典』 角川書店

寛文 七年(一六六七)

一月、『誹諧小相撲』刊。諸国点者の批点を比較する俳書の嚆矢。

季吟『増山井』刊、以後の季寄せの範となる。

書『貝殻集』『玉海集追加』『続山井』『八嶋紀行』

『やつこはいかい』

 

芭蕉発句 寛文7年(1687)24歳

   号 伊賀上野 松尾氏宗房        

時雨をやもどかしがりて松の雪       「続山の井」

花の顔に晴れうてしてや朧月        (以下同じ)

盛りなる梅にす手引く風も哉

あち東風や面々さばき柳髪

餅雪をしら糸となす柳哉

花に明かぬなげきや我が歌袋

春風に吹き出し笑ふ花も識哉

夏ちかし其口たぱへ花の

うかれける人や初瀬の山桜

糸桜こや帰るさの足もつれ

風吹けば尾ぽそうなるや犬桜

五月雨に御物遠や月の顔
降る音や耳も酸うなる梅の雨

杜若似たりや似たり水の影

夕顔に見とるるや身もうかりひよん

岩躑躅染むる泪やほととぎ朱

しばし間も待つやほととぎす千年

秋風の鑓戸の口やとがり声

七夕のあはぬこころや雨中天

たんだすめ住めば都ぞけふの月

影は天の下照る姫か月のかほ

荻の声こや秋風の口うつし

寝たる萩や容顔無札花の顔

月の鏡小春にみるや目正月

萎れ伏すや世はさかさまの雪の竹

霞まじる帷子雪は小紋かな

霜枯札に咲くは辛気の花野哉