図解 邪馬台国の謎を解く 関 裕二
PHP研究所
〈著者紹介〉関 裕二
1959年、千葉県柏市生まれ。歴史作家。
仏教美術に魅せられて足繁く奈良に通い、日本古代史を研究。
古代をテーマにした書籍を意欲的に執筆している。
著書
『藤原氏の正体』(東京書籍)、
『謎とき古代日本列島』(講談社)、
『大弐天皇 隠された正体』
『封印された日本創世の真実』『検証 邪馬台国論争』
(以上、KKベストセラーズ)、
『出雲神話の真実』『天孫降臨の謎』に図解]
「古代史]秘められた謎と真相』
「古代史」封印された謎を解く』(以上、PHP研究所)、
『古代史の秘密を握る人たち』
『消された王権・物部氏の謎』
『大化の改新の謎』
[壬申の乱の謎』(以上、PHP文庫)などがある。
装画・本文イラストノ垂井ひろし
本文デザイン/荒井雅美(タイプフェイス)
編集協力/ことぶき社
本書は、雑誌「歴史街道」の連載(2005年11月号~06年6月号)に図解を加えたものです。
(1)百年も続く邪馬台国論争って何?
不謹慎な物言いかもしれないが、戦乱の時代の歴史ほどおもしろいものはない。そこには命がけの駆け引きがあり、誰もが知
恵を絞り、強く逞しく生き抜いていたからである。
その葛藤と闘争、憎悪と苦悩のなかに、人間の本質を知るためのヒントがいくつも隠されているはずだ。だからこそ、戦国の武将や幕末の志士たちの活躍に、われわれはドキドキハラハラするのだ。それにもかかわらず、邪馬台国論争が退屈でしかたないのはなぜだろう。
「魏志倭人伝」なる文書には、「邪馬台国は戦乱と混乱の時代だった」とはっきり書かれているのに、なぜ邪馬台国論争は、その何よりも大切なヒントを無視し、生かそうとしないのだろう。
もし、仮に、『三国志演義』に登場する諸葛孔明や、武田信玄の名参謀・山本勘助に、「魏志倭人伝」と日本の地形図(東アジアの地図も必要か)と考古学資料を手渡せば、「私なら、倭国の都(邪馬台国)をここに置く」と、即座に指し示すだろう。
その理由は明らかだ。弥生時代後期の戦乱の時代を生き残るための要害は、「ここしかない」というほど、明快に地図上にあらわれているからだ。それは、日本列島の因縁の地形が、歴史に大きな影響を及ぼしていたからなのだ。
また、逆の立場ならば、「邪馬台国を攻め落とすには、こことここから兵を繰り出す」と、迷うことなく、邪馬台国の所在地を言い当てるに決まっているのだ。
どうかひとつ、読者諸氏も名参謀になったつもりで、邪馬台国論争に加わってみてはいかがだろう。地図帳を広げ、日本列島の地形を俯瞰してみるのだ。そこには、二世紀から三世紀にかけての邪馬台国の時代、どのような人間活劇がくり広げられていたのか、多くのヒントが眠っているに違いない。
邪馬台国論争は、けっして「魏志倭人伝」の字面だけ追っていても解けるものではなかったのだ。戦乱の時代であるからこそ、「戦略と地理」から邪馬台国の所在地を探し当てる必要があった。
そこでまず、第1章では、邪馬台国論争の基礎の基礎を押さえておこう。百年にわたって繰り広げられてきた論争がどのようなものだったのか、なぜ邪馬台国の位置はいまだに特定できないのか、その理由を、はっきりとさせておきたい。
邪馬台国はおもしろい。けれどもその本当のおもしろさを、今まで誰も教えてくれなかったのだ。一人ひとりが戦国の武将になって、邪馬台国を守り、邪馬台国を攻めてみてほしい。