東電を庇護する経産省の責任
原発めぐる鉄のトライアングル
アラエ臨時増刊号NO15 2011・4・10号
東日本大震災 AERA 臨時増刊号
一部加筆 山口素堂資料室
経済産業省の事務方トップが杜撰な原発耐震指針にかかわっていた。
どさくさに紛れて官邸を牛耳った経産官僚は原発推進派だ。未曽有の大事故をもたらした経産省の罪は重い。
経済産業省の事務方トップである松永和夫事務次官(59)は、東京電力の福島第一原子力発電所が津波に弱かったことに責任がある。なぜならば松永氏は2002年7月から05年9月まで原手力安全・保安院の次長、院長として、原子力安全委員会とともに、原発の「耐震設計審査指針」の改訂作業にかかわったからである。省内にはいま「松永さんが津波に弱い耐震基準をつくった」という話が静かに広がっている。松永氏離任後の06年9月にまとめられた新しい耐震設計審査指針は、阪神火貫乳を教訓に地震の揺れに対する施設の強度を強めるものとなったが、全15ページのうち津波への言及はわずか3行にとどまった。津波からの防災という視点が甘い。日本の原発は、軒並み海沿いにあるにもかかわらず、である。
津波に甘い耐震指針
連日の記者会見で原発事故の状況を報告している経産省の西山英彦審議官は3月23日の会見で、「津波については、耐震設計審査指針に詳しく書かれていませんでした」と認めた。津波の相定は、過去の経験を踏まえつつ、「土木学会の調査報告書に盛り込んであるもの」を参考に各発電所が予想される高さを想定したという。
松永氏は経産省広報室長を通じて、自身の責任について「当時は国際的にも高い水準で想定しており、決して津波の影響を軽視したわけではありません」
と弁明した。東大卒のエリート官僚たちが想定以上の規模の津波の襲来を予想できなかったのは、そう予想したくなかったからだろう。
経産省のある中堅官僚のこんな解説は、わかりやすい。
「高い津波がやってくると相定したら、日本に原発は造れないのです。全部海沿いにあるからアウトになってしまいます」そのうえで、こう続けた。「そもそも経産省は電力業界と『ずぶずぶ』の関係にあるので、電力会社がいやがることをできるわけがありません」
若手官僚と夜の勉強会
津波に甘い耐震指針
連日の記者会見で原発事故の状況を報告している経産省の西山英彦審議官は3月23目の会見で、「津波については、耐震設計審査指針に詳しく書かれていませんでした」と認めた。津波の想定は、過去の経験を踏まえつつ、「土木学会の調査報告書に盛り込んであるもの」を参考に各発電所が予想される高さを想定したという。
東電の福島第一原発の場合、こうした方法で想定した津波の高さは約5メートルだった。しかし、実際に襲った津波は14メートルだったと推定されている。予想の3倍に近い。それによって電源が失われ、原子炉を冷やす機能を喪失した。行き着いたのは、原発の相次ぐ爆発だった。チェルノブイリ原発事故に次ぐ惨事である。
松永氏は経産省広報室長を通じて、自身の責任について「当時は国際的にも高い水準で相定しており、決して津波の影響を軽視したわけではありません」と弁明した。
東大卒のエリート官僚たちが相次疋以上の規模の津波の襲来を予想できなかったのは、そう予想したくなかったからだろう。経産省のある中堅官僚のこんな解説は、わかりやすい。
「高い津波がやってくると相定したら、日本に原発は造れないのです。全部海沿いにあるからアウトになってしまいます」そのうえで、こう続けた。
「そもそも経産省は電力業界と『ずぶずぶ』の関係にあるので、電力会社がいやがることをできるわけがありません」
若手官僚と夜の勉強会
日本の産業界の意向をしばしば代弁する経産省だが、自動車や電機といった他の業界と比して電力業界とは、はるかにつながりが深い。国家公務員倫理が2000年に施行される以前は、東電による料亭での接待や接待ゴルフは当たり前のように繰り広げられてきた。東電の企画部門には、経産省をロビイングする渉外担当幹部……昔の大手都銀の旧大蔵省担当(MOF担)に相当……を複数配置し、旧通産省や資源エネルギー庁を日参し、将来を嘱望される若手官僚たちを勉強会名目で誘い出した。
「会場は、東電の人しか使わないという歌舞伎座近くの銀座の割烹でした。東電側は副社長や東電は若いうちから唾をつけていたのだ。
課長補佐から課長へ、そして局長や長官、次官へ。いちど作られた「夜の勉強会」は途切れることなく続いてゆく。東電側、旧通産側それぞれ数人ずつが出席し、東電の用意した接待所や料亭で舌鼓を打つ。「宴会代は東電持ちと思ったら、グループ会社や下請け会社に回しているようでした」
経産省側のメンバーは言う。やがて発電所の見学会に誘われ、ついでゴルフに行きましょうと囁かれる。こうした「ずぶずぶ」の関係は、公務員倫理法施行以前の世代……いまの局長級以上が中心で、平成人省組はここまでの深い関係はないという。しかし、いまの若手が襟を正そうにも、幹部連中がひいきにすれば、政策はどうしても業界に甘くなる。
電源開発(Jパワー)の株を英国系投資ファンドの「ザ・チルドレンズ・インベストメント・マスターファンド」(TCI)が買い増そうとした08年には、経産省は財務省とともに外為法上の外資規制を発動し、TCIに株の買い増しの中止を命じた。電発は、両省によほど恩義を感じたのか、その年の役員人事で、経産省の天下り役員の藤冨正晴氏(61)をヒラ取締役から常務に昇格させるとともに、旧大蔵省出身者の新たな天下りを受け入れた。今は常任監査役になった藤原隆氏(62)である。
電力11社に13人天下り 電力業界は、経産省にとっておいしい天下り先である。つい先日まで電力業界を所管していた石田徹・元資源エネルギー庁長官(58)は、退官してわずか4ヵ月後の今年1月1日付で、東電の顧問に天下りした。いずれ副社長に就くと予想されている。
民主党政権は天下り斡旋を禁止してきたのに、石田氏のケースは、経産省の大臣官房などの事務方がOB人事の押し込みを組織的に斡旋したのではなく、来電が石田氏本人に再就職を要請して本人が自発的に受諾したので、「斡旋にはあたらない」という珍妙な理屈を持ち出し、経産省は正当化した。
このほか、関西電力は商務流通審議官を務めた迎陽一氏(59)を常務に迎え、中部電力は旧通産省生活産業局長だった水谷四郎氏(66)を副社長に遇した(現在は顧問)。電力11社に判明しているだけで経産省出身者が13人も天下っている。四国電力や電発は原子力安全・保安院の経験者を迎えており、取り締まる側が取り締まられる側に平然と転じる露骨さである。迎え入れる東電は「国家のお金で育てられた逸材を受け入れることのどこが悪い」(勝俣恒久会長)と言ってのける。
電力業界は、経産OBたちの天下りだけでなく、経産省幹部の子女も受け入れている。来電には、現職の局長級や部長級、有力OBの子どもが入社している。来電の対経産省ロビイング担当者の中には、そんな有力OBの息子もいる。もちろん情実入社ではなく、本人の実力で採用試験をくぐり抜けたのかもしれない。しかし、父親が経産省幹部であると東電の面接官が気づけば、阿吽の呼吸だろう。
「そういう関係だからといって、ふだんから私たちが東電に手心を加えるなんてことはありませんよ。そんなことしていたら、省内で『あいつおかしいぞ』と睨まれてしまいますよ」
そう同省の中堅は言う。「でも」と彼は続けた。「危急存亡のときに、私たちがどちらに一匙を入れるか、どちらにコインを入れるかは、言うまでもないですよね」
経産省の官邸ジャック
今回の原発事故で経産省は電力庇護モードに入っている。危機対応のどさくさに紛れて、経産省は柳瀬唯夫大臣官房総務課長(49)を官邸5階に送り込んだ。菅直人首相や枝野幸男官房長官の執務室があるフロアである。
1984年入省の彼はエネ庁で原子力政策課長を務めた後、麻生太郎首相の総理秘書官として働いた経験がある。 原手力に明るいうえ、権力中枢である官邸を動かす術を知っている。次官コースに乗る省内の「スーパーエリート」と言われる人物を、菅政権の舞台回し役にしつらえることに成功したのだ。節電啓発担当相に抜擢された蓮筋氏にはエネ庁の省エネルギー対策課長を配し、官邸と経産省の「連絡将校」役にはエネ庁の政策課長をおくなど、官邸には4、5人の官僚を配置している。
まるで官邸を経産省がジャックしたかのようである。財務省支配が長らく続き、官邸の中枢から遠ざけられがちだった経産省にとって、千載一遇のチャンスが訪れたのだ。
【電力業界への主な天下り】
および各社への聞き取りによる。東北電力は個人情報保護という名目で氏名や履歴は開示できないとしている)。青色は経度省(旧通産省)のOB 柳瀬氏が原手刀政策課長時代の06年にまとめたのが、「原子力立国計画」だ。核燃料サイク
ルの着実な推進や高速増殖炉の商業ベース化、海外への原発輸出など、国策として原発産業を育成することを盛り込んだ。民主党政権に交代しても、その原発推進の政策は変わらない。
「事故」でなく「事象」
民主党の最大の支持基盤である連合は、電力会社の労組でつくる電力総速の存在感が大きい。内閣特別顧問として菅首相のアドバイザー役である笹森清・元連合会長は東電労組委員長、電力総速会長の経験者である。原発メーカーの日立製作所や東芝の労組は、やはり連合を構成する有力産別である電機連合に加わる。日本経団連の中核企業は、その労組が連合の有力単組なのである。官民一体となってベトナムなど海外への原発輸出にいそしむ背景だ。
原手力立国計画には、老朽原発を廃炉させずに、「高経年化対策」という言い回しで延命させることも謳われている。71年に営業運転を始めた福島第一原発1号機や74年開始の同2号機など古い原発をだまし、だまし延命させてきたのは、こうした国策とも関連している。
福島原発の大惨事で国民世論は脱原発に舵を切りそうだ。そうした大合唱に対して経産省はいまは音無しの構えだが、やがて原発擁護、東電擁護に舵を切っていくだろう。電力需要が高まる夏あたりが潮目の変化のタイミングである。すでに、そんな前兆はある。「枝野官房長官の記者会見の言い回しを注意深く聞いてごらん。『事故』や『爆発』と言わずに『事象』と言うなど、表現を弱めているよ。役人の作る言葉だ」経産省のベテラン官僚はそう観察した。 危急存亡のときに最後の一匙をどちらに入れるか、もう決まっている。
Asahi ShimbUnWeekly AERA 2011.4.10 38
電力会社への主な天下り
四国電力
中村進取締役(土木建築部担任) 1976年通産省入省 2001年原子力安全・保安院首席 統括安全審査官 2003年電力中央研究所研究参事
中国電力
佐藤正夫常勤監査役 1975年警察庁入庁2007年関東管区警察局長
平野正樹執行役員(経営企画部門部長)1979年通産省入省2006年通商政策局通商交渉官
九州電力
掛林誠海外事業部長 1977年通産省人省 2004年通商政策局通商交渉官
沖縄電力
遠藤正利取締役(東京支社長) 1972年通産省入省 1998年資源エネルギー庁海洋開発室長 2003年日本エルピーガス連合会専務理事
北海道電力
山田範保常務(札幌支店長) 1973年通産省入省 2000年通産省経済協力部長
2001年環境省大臣官房審議官
野崎幸雄監査役 1993年名古屋高裁長官
東北電力
非公表顧問 元通産官僚
北陸電力
荒井行雄常務 1972年通産省入省 1998年国土庁長官官房審議官
東京電力
石田徹 顧問 1975年通産省入省 2008年資源エネルギー庁長官
中部電力
水谷四郎 顧問 1968年通産省λ省 2002年特許庁長官
藤冨正晴 常務 1973年通産省人省 2001年原子力安全・保安院審議官
2003年日本エネルギー経済研究所 常務理事
電源開発
藤原隆 常任監査役 1972年大蔵省入省 2002年金融庁総務企画局長
2006年ジヤスダック証券取引所 代表執行役会長
1997年通産省生活産業局長
関西電力
迎陽一 常務(燃料室担当) 1975年通産省入省 2004年経産省商務流通審議官2006年商工中金理事
土肥孝治 社外監査役 1996年検事総長