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猿蓑集 巻之一 冬 初しくれ猿も小蓑をほしけ也  芭 蕉

2024年07月31日 11時41分42秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

猿蓑集 巻之一 冬

 

初しくれ猿も小蓑をほしけ也  芭 蕉

 

 集の巻の一に冬の句を出したる、おもしろし。

代々の和歌撰集には、春をこそ巻首には出したれ。それを古例にかゝはらずして、此頃の此句のふりを中心にして成りたる集のはじめに、初時雨をさっと降らせたる、いかにも俳諧の新味なり。

〇ほしげ也。

舊説に、定家卿の、

「篠ためて雀弓張るをのわらはひたひ鳥幅子のほしげなりけり」、

といふ歌に本づけりとなせり。されど此句は所謂「古歌取り」の句にはあらず。古歌取りの句といふは、後の人の句にて、「秋来ぬと目にさや豆のふとりかな」、といふやうなるを云ふなり。

ほしげなりといふ語は、いかにも古歌に見えたるべきも、そは背中に萬巻有れば、語を下すおのづから来歴無きは無きものなり。あなぐり論ずるはおもしろからず。

引きたる歌も定家卿のにはあらず、「夫木和歌抄」巻三十二に見えたる西行上人の歌なり。

 

あれ聞けと時雨来る夜の鐘の聲    其 角

 

 舊解に、三井の鐘とは聞えたり、と有るがあり。三井寺の鐘の聲の此句を誘ひ発したりや否やは知らず、必ずしも此鐘を三井の鐘としてのみ取るべきにはあらず

 

時雨きや并ひかねたる魦舟      千 那

 

 并ひ=並び 魦=いささ

 魦は世俗通用の字にして、「いさゞ」と訓まするを其頃の習としたり。

いさゞは細小の義にして、此の魚の小さきより魦の字の常てらるゝにも至りたるなるべし。

いさゞは二類あり。一は海産にして、乾して「疊鰯」または「ちりめんざこ」と為すもの、一は淡水産にして、近江の琵琶湖、越前の足羽川等にあるものという。こゝのは江州和爾あたりにて多く取りて京都に売るものを指す。一名さのぼり、長さ一寸ばかり、「はぜ」に似て頭まろし。魦舟はいさざを漁する舟なり。其漁法を詳しく知らねど、蓋し舟を並べ細目の網を張りて獲るならむ。

作者千那は江州堅田浦本福寺の住職、此句は是湖上の情、眼前の景なるべし。

 

幾人か時雨かけぬく瀬田の橋    僧 丈艸

 

 「金葉和歌集」、幾人か比叡山颪しのぎ来て時雨にむかふ瀬田の長橋、この歌を鋳型にして、かけぬくと詞ひとつにて誹諧とせり、と何丸等は云へり。されど妄言なり。金葉集にはさる歌見えず、他の集に見えたるにせよ、歌の體もまた餘りにつたなし。鬼實の萬葉のたぐひにて、俳諧者流の古歌の談は、信じが狸きこと毎ゞなり。

 

鑓持の猶ふりに立るしくれかな  膳所 正秀

 

 鑓待奴の猶更に時雨の中に鑓立つるとなり.人事に時雨の風情を看取し描破せる、

鄙しかれどもおもしろし。

 

廣澤やひとりしくるゝ沼太郎  史 那

 

 廣澤山城国葛野鄙嵯峨村の東に在る池なり。敦實親王の第二子僧寛朝之を造るとなり。

廣澤の名はあれど、さして大なるものにはあらず。たゞ古き池にて、六百番歌合、経家の歌に、

くまもなく月すむ夜半は廣澤の池も窓にぞひとつなりける、

とも詠まれ、ことに馨明に長けたる寛朝の如き人の舊跡とて、其幽寂閑嚝のおもむき、人の智に侵めるところなれば、今はすたれたるも却りて蕭散の情を惹くかた無きにしもあらず。且は都近くして、人知らぬ僻陬にもあらねば、作者も憚りなく實に貼きて取出し記るならむ。空悠長より廣澤といふ地を擇み来りたるにはあらじ。然るに近人廣澤の名にまどひて、大なる沼ゆゑに太郎の名を負はせて、山に安達太郎、川に坂東太郎などの如く、沼太郎と云へりと釋せるがあるよし。宜しからず。沼太郎即ち廣澤にては、一句何の興趣無し。沼太郎は鴻の一種なり。夏目蔭髄斎(成美)曰く、江戸ひしくひ、一名沼太郎。小野蘭山曰く、一種エトクヒシクヒ、一名ヌマタロウ、サカボウ、太抵眞菱喰に同じくして、眼上に淡白條あり、觜(くちばし)脚皆黒し。これにて沼太郎の鴻の一種なること疑ふべからす。蘭山曰く、此の島湖澤に集まり、好みて菱實を喰ふ、故に菱喰と名づく、其形雁より太なりと。菱など多かるべき廣澤の古池に沼太郎のしぐれたる、いかにも自然の景なり。

鴻雁の類、禮節信智の四袷ありとさへ云はれたる禽にて、婚礼に雁を用ゐるも、偶を失へば再び匹せざるを以てなりとの意を明道も云はれたり。「博物志」には、雁は色蒼くして、鴻は色白しと云へり。

其は大まかの事ながら、色白きかたの沼太郎の廣澤の古池に、ひとのしぐれたる、まことに感多き佳き句なり。

 

舟人にぬかれて乗りし時雨哉   尚 白

 

 ぬかれては出し抜かれてにはあらず出し抜かるこは、思はぬまに人に先んぜられて、我は後に残るなり。ぬかるゝは喪心を抜かるゝと云はんが如し。人の言に詒(あざむ)かる々なり。狂言「末廣がり」に、ぬかれたは憎けれど囃物がおもしろい、は詒(あざむ)かれたるなり。空定めなく覚束なければ、舟路は取りかねたるを、降りはすまじといふ乗合舟の舟人の口に詒かれて、その心になりて、舟に乗りしに、早くも時雨のさっと降来しなり。乗るという辞にも詒かるゝの意あるなり。

但しそこまで解到すれば少し嫌味ある句となれば、単に乗りしとのみ取るべし。

 

    伊賀の境に人て

なつかしや奈良の隣の一時雨   曽良

 

 舊解、なつかしきもの昔の京、といふ詞を取れりと為す。何に出で紀る詞なりや。

さる詞、又は諺ありとしても、単にそれのみのことにしては、句情浮泛にして妙無し。

或は曰く、万葉集巻六、

世の中を常無きものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば、

此歌の意を含むと。これまに北鵠南天の言なり。

宝暦後、俳諧おとろへて、空腹高心の徒の妄誕のみ多し、難ずべし。

これは中山内府忠親の撰といひ、源内府通親の撰といひて、筆者は定かならねど、嘉應の頃に成りて、世にもてはやされたる今鏡の花の主人の章に見えたる、また或時(中務少輔實重)

  奈良の都をおもひこそ遺れ

と侍りけるに、大将殿(源有仁)

  八重楼秋の紅葉やいかならん

と附けさせ穴まひけるに、越後の乳母

  時雨るゝ度に色や重なる

と附けたりけるも、後まで哀めあはれ侍りけり、とあるを知れば、曾良の一句、おのづからに解くべし。連歌といふは其の初は、歌の本に末を連ね、又は末に本をつけたるに過ぎざりしが、何時の頃よりか、三句を連ぬることゝなりて、「今鏡」の頃は二句以上連ぬるものを銷連歌と抄したるなり。

越後の乳母、小大進など云ひて名高き女歌読み、家の女房にて有るに、公達參りあひては、銷連歌などいふことを常にせらること同書同章に見え狸たり。

後の正式連歌は、此の銷連歌といふものゝ発達して、一巻首尾ある定型のものゝ成るに及べるなりとも思はる。

芭蕉の頃は、人多くは源氏物語、枕草紙、大和、伊勢、大鑑、今鏡などに親しみて尋常茶飯の如くにしたれば、後の人には耳遠けれど、常時はおのづからかヽる句も出で、世も受取りにるなり。奈良の隣は卸ち伊賀なり。「奈良の都を思ひこそやれ」は古句にして、「なつかしや奈良の隣」といへるは俳諧なり。時雨るゝ度に色や重なる、は金葉集作者の古句にして、一ト時雨は猿蓑作者の俳諧なり。

曾良の風趣もとより越後乳母に超え穴り。

 

しくるゝや黒木つむ家の窓あかり     凡 兆

 

 黒木は鹿朶柴をき程の長さにし、火移り宜くして、且爆裂して飛びなどせぬやう蒸し煙して、

黒くなりたるを薪火の用として八瀬あたりの者の京洛に鬻ぎしを云ふ。後には轉じて、たご薪をいう。

 

馬かりて竹田の里や行時雨       大津 乙 刕

 

 竹田の里、別に由縁あるところにはあらず、京都より南の方伏見に至る一路に竹田街道といふあり、

即ち其路に常るの里なり。馬にも時雨にも縁無し。但し伏見より宇治に至るの一路の上、殆んど伏見の中なる六地蔵は馬方など多かりし騨路のさま、元禄頃の叢著に覗ひ知られ、同じく伏見山につゞきな紀る木幡山、木幡里など万葉集のむかしより馬つぎにもありしにや、馬を詠み合せたる歌多し。

万葉集巻第十一、

山科のこはたの山を馬はあれどかちより吾が来汝を思ひかねて、

人丸が歌なり。此歌拾遺葉巻第十九に、山をを、山にと改め、第四第五の句を、「かちよりぞ来る君を思へ」ばと改められて収録されしより、人の耳近きものとなり、其後亦木幡の里に馬を詠めるもの多し。

本の人麿が歌は、「こはたの山を」とありて、徒歩より其山を經るといへるまでなるが、拾遺集のは、「こはたの山に馬はあれど」、と改められたるにより、木幡山は馬のあるところのやうになりて、本意とは異なることにりたり。されど木幡は夙くより京と宇治との通路にして、おのづから馬なども供へけむひまゝ歌も「木幡の山に馬はあれど」、と改められ、又それより、千載集巻第十九、

我が駒をしばしと借るか山幡の里にありと答へよ、

源浚頼朝臣の歌も出づるに至り、謡曲通小町、およびそれに因める俗談の文句にも、木幡の里に馬はあれど、君をおもへば歩行躓、などいひ囃すに至れり.

竹田は伏見より京への路に常りて程近く、木幡はもとより伏見に接せるところにて、木幡、伏見、竹田、皆幾程も無き境なり。

此句木幡とは云はねど、ことさらに木幡より少しさきなる竹田の里をいひて、行時雨と詠じたる味有りといふべし。馬借りての一句、必ずしも俊頼朝臣の歌に縁りたるとせざるも、以上の所説を知り置きて、よく咀嚼し味到せば、竹田の里の時雨のおもむきを現じ興じ得可けむ。

猿蓑さがしの、馬かりて、と濁りて濁りて読む解の如きは、うべなひがたし。

 

たまされし星の光りや小夜しくれ  羽 紅

 

此句に換骨脱胎の法を行ひて、蓼太の「五月雨や或夜ひそかに松の月の什あり。

 

新田に稗殼煙るしくれかな     膳所 昌 房

 

新田の新味多く、稗殼の煙りいとわびたれど、奮味ある句なり.

 

いそかしや沖の時雨の詰帆片帆   羽 紅

 

 句情はおのづから分明なれど、舌足らずの云廻しなればにや、

去来みづから仕損じ白りと去来抄に云へり。

 

    初霜に行や北斗の星の前      伊賀 百歳

 

 北斗の星の前に旅雁横たはり、南楼の月の下に寒衣を擣つ。「朗詠集」上洛に出でたる劉元叔の句なり

此句明らかにそれに本づけるながら、行くやの一語唐突にして味無し。焉に北斗は人君にたとへ、夙に出仕する人の姿情言外に見えたり、などといへる舊解を生じたり。霜暁星燦の景をいへるのみ。

 

    ひと色も勣くものなき霜夜かな   野 水

 

 風無く天清らにして霜七ご脈かに降る夜のさま也。

 

淀にて

初霜に何とおよるそ舟の中     其 角

 淀は淀河、夜舟著発の地なり。狂言「うつぼ猿」に、猿の舟漕ぐをす形するところあり。

そこの歌に、「舟の中には何とおよるぞ、苫を敷寝の楫枕」、といふ句あり。

およるは御寝なり。苫に霜しろむ川舟の、何とおよるの一語、使ひ得て景あり情あり。

軽妙爽利、しかも温藉なるは、其角の独壇なり。

 


八月四日 長短解  也有  萩原井泉水 著 昭和7年 刊 春秋社

2024年07月29日 07時07分10秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

八月四日 長短解  也有 

萩原井泉水 著 昭和7年 刊 春秋社

 

 「五百八十七年まわり」と云って、長寿の祝いの言葉である。」

 

大はよく小をかね、短は長にまかるゝためし、世にそのたぐひ多かり。

たゞ君を賀し人を壽くにぞ、よはひを長濱の鶴にたぐへ、

あるは鮑の尾山の尾を引て、五百八十七曲(まはり)と祝ひものするには、あくかたあらじかし。

その余はひたぶるに十八さゝげのゆたけきにならへば、独活(うど)梶だの大木の謐を逃れず。

矮雛(ちゃぼ)の足はみじかきを愛し、禿が返辞はながきにのどけし。

出る杭は頭うたれてつゐの益なく、下手の談議のとまりかねては、軒の柳もねむり顔なり。

ただ女の髪こそめでたくてあらましを、手ながき人は一門にも遠ざけられ、

鼻の下の伸び過たるは、大事の相談にもらされて、其夜の饂飩のながきをしらず。

されば必ながきはみじかきが上にも立がたし。

物はただ秋の夜のながくてよからむは長く、

難波瀉みじかき芦の長からずしてよきはみじかくてあらなん。

さるを聖人も右の袂の自由を物申ずけり。

世に式法をこまかにさだめて、かね合極まるものもあれど、そのむづかしき境は人の製作なり。

天地もと窮屈ならず、長短は自然にそなへて、寸分の詮議はなし。

摺粉木は両手に握るを程とし、杓子、さい槌はかた手にたれり。

下ざまの物ながら天理のまゝなるぞたうとけれ。

我友田氏、過し比、かりそめの旅のつとに煙管を財れり。その短きこと掌にかくすべし。

我この秋西郊にあそぶ事ありて、調寶はなはだ長きにまされり。

これを咥えて手をからず、久くして歯を労せず、行く行く野上に雲を吹,あく時は袖にむさむ。

張子が馬を懐にするがごとし、ここにおいて感あり。

つゐに長短の解をつくりて、茫をむくふの詞にかふ。

其辞の長過たるはまた才のみじかき放ならし。 (鶉衣)

 

山中の湯  芭蕉

 

北海の磯硫づたひして加州やまなかの湧き湯に浴す。

里人の曰く、このところは扶桑三の名湯のその一なりと。

まことに浴する事しばしばなれば、

皮肉うるほひ筋骨に通りて神心ゆるく、偏に顔色をとゞむるこゝちす。

彼桃源も舟をうしなひ、慈童か菊の枝折もしらす。

   やまなかや菊はたおらじ湯のにほひ   (加賀山中、醫王寺所見)

 

 

瓢の銘 芭蕉 素堂

 

一瓢重黛山 自咲称簑山

莫慣首陽山 這中飯顆山

 

顔公の垣穏におへるかたみにもあらず。恵子がつたふ種にしもあらで、

我にひとつのひさごあり。是をたくみにつけて、花入るゝ器にせむとすれば、

大にしてのりにあたらず。さゝえに作りて、酒をもらんとすれば、かたちみる所なし。

あるひとのいはく、草庵のいみじき糧入つべきものなりと。まことに蓬のこゝろあるかな。

やがてもちゐて隠士素翁(素堂)にこふて、これが名を得さしむ。

そのことばは右にしるす。其句みな山をもてむくらるゝが故に、四山とよぶ。

中にも飯顆山は老杜のすめる地にして、李白がたはぶれの句あり。

素翁、李白にかはりて、我貧をきよくせむとす。

かつ空しきときは、ちりの器となれ。

得る時は、一壷も千金をいだきて、黛山もかろしとせむことしかり。

   ものひとつ瓢はかろき我よかな       (隨斎諧話)

 

【註】

此瓢は所謂、芭蕉庵六物。二見の文臺・大瓢(米入り、号四山)・小瓢(帯はさみ)

桧笠・萄の繪・荼の羽織折……の一つで、文政年間には市川團十郎が家にあり、

文は成美の家に傳つてゐたと成美白身が、その著「髄斎諧話」にその真蹟のまゝを寫して載せてゐる。


八月三日 北枝 俳諧大意

2024年07月29日 06時04分11秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

八月三日 北枝 俳諧大意

 

 芭蕉が加賀の山中温泉滞在中、金澤より同行して日夕親灸したる北枝が、俳諧の大意を賀して聞きえたるところを、覚え書しておいたものである。「翁」は芭蕉,「私」は北枕。

 

 蕉門正風の俳道に志あらん人は、世上の得失是非に惑はず、烏鷺馬鹿の言語に泥むべからす、天地を右にして萬物山川、草木、人倫の本情精を忘れず、落花、散薬の姿にあそぶべし。其のすがたにあそぶ時は、道古今に通じ、不易の理を失はずして流行の変にわたる。然る時は、こゝろざし寛大にして物にさはらず、今日の変化化を自在にし、世上に和し、人情達すべしと、翁申したまひき。

 

一 

正風俳諧の心は萬物の道、よろずの業に通じて、一端にとどまるべからす。世に俳諧の文字を説いて、誹は非の晋にて俳の字然るべしといえる人もあり、或は史記の滑稽をひきて穿鑿の沙汰に及ぶものもあり。しかれども吾門には俳諧に古人なしと看破する眼より、言語にあそぶといへる道理に任せて、誹、俳の二字とも用ひて捨てず、他門に対して論ずることなかれと、翁申給ひき。

 

俳諧大意 道理と理屈との二種ある事

 

  一 

俳諧の道理に遊ぶ人は俳諧を転ず。はいかいの理屈に迷う人は転ぜられる。

世に上手・下手の諭のみして、俳諧といふ道の所以をしらず。

芭蕉翁は正風虚実に志ふかき人を、我が門の高弟なりと誉給いき。

  一 

虚実に文章あり、世智辨あり、仁義禮智あり、虚に實あるを文章と云い、禮智という。

虚に虚あるものは稀にして、正風伝授の人とするとて芭蕉翁笑い給いたる。

   私曰く、虚に虚なるものとは、儒に荘氏、釋に達磨なるべし。

  一 

いにしへより詩と云い、歌と云い、道の外に求るにあらず。

然るに、世のつね俳諧の文字に迷いて、和歌に対したる名の道理を辨へず、

頓作、當話の俚俗に落ちて、狂言綺語とのみ覚えたる人もあるべし。

これあさましきことなり。

  一 

俳諧は道草の花とみて、智を捨て愚にあそぶべしとぞ。

俳諧のすがたは俗談、平話ながら、俗にして俗にあらず、

平話にして平話にあらず、その境を知るし。この境は初心に及ばすとぞ。

 

  一 

世人俳諧に苦しみて俳諧のたのしみを知らず、

附句の案じやう趣向をさだむるに心得あり。                     

(山中問答)

 

薮 朱拙

 

  陋 巷

いざよひやそぞろに藪のうらむもて   (はせをだらい)

 

荒 畠 水田正秀

 

猪に吹きかへさるゝともしかな

しがらきや茶山しに行く夫婦づれ

日の岡やこがれて暑き牛の舌

澁糟や烏も食はず荒畠

月待や海を尻目に夕すゞみ

 

【註】 正秀は水田氏、通称利右衛門、近江膳所の藩士、曲翠が叔父にあたる。

    享保八年八月三日歿。此の句は季節が違うが、命日なのでここに録する。


八月一日 百花譜 萩原井泉水 氏著 昭和七年刊 俳人読本 下巻 春秋社 版

2024年07月27日 17時06分02秒 | 文学さんぽ

八月一日 百花譜

 

萩原井泉水 氏著 昭和七年刊

 

俳人読本 下巻 春秋社 版

 

當世の人の花過ぎ、古人の實すぎたる、いづれの時か、花實兼備の世あらん。

梅の風骨たる事、水陸草木の中に、似たる物はあらじ。十月一陽の氣に、燦々(さんさん)たる江南の玉妃、まづえめるより、生涯を物ずきにくるしみ、風流のほそみに終る。是を色にたとへていはゞ、吉野、高尾などいふべき遊君の、心おとなしく、名を恥ぢ、いき過ぎたる心より、相火(さうくわ)の高ぶり、かたち瘦(やせ)ぎすに涙もろく、きのふの我に飽(あ)きける心より、一たび著たる衣類調度など、ふたゝび目にもかけず、人に打ちくれ、金くれる男なれども、愚癡なるにはすりぬけ、請出さるゝ場所をはづして、はずんだる男の一言に、百年の富貴をかへたり。借錢の利に利を重ね、やうやう盛も過ぎたる頃、生前の本望を遂げて、幽(かすか)なる住居に、朝夕の烟をたてても、猶物ずき風流の細みに富めり。子さへなくて、夏冬の寢覺もやすし。待つ事もなくて、世を靜にいとなみ、同穴のかたらひを、なせる人には似たり。

 

紅梅といふ花は、一度(ひとたび)彼岸參の心を動かし、未開紅(みかいこう)の光をはなちぬれども、やがて莟(つぼみ)くだけ、花ひらけてより、日々におとろへ、雨風を帶び、夕日にしらけて、つぼめる色を失ふ。たとへば三十(みそぢ)過ぎたる野郎の、大躍(おほをどり)[四]につらなり、心ならず風流をつくりたる心地ぞする。

 

櫻は全盛の傾城なり。天晴(あっぱれ)當風[五]に打ちこみたる風俗、行末明日のたくはへの、一點もなき花なり。

 海棠は、同じく時を得たる野郎の、大夫と仰がれ、勢ひもさかんに、世の中猛(まう)とのゝしれども、質素にしてうるほひ少(すくな)し。誠に香のなき一色の、缺けたる心地こそ本意なけれ。

 

梨花は、本妻の傍に侍る妾のごとし。よろず物おもひにうちしづみ、常に人の下にたてるがごとし。

 

椿は、たゞありの人の、本妻とむかへたるが、端手(はで)なる風俗をも似せず、ありがかりに家を治め、身を修めるをもととし侍れども、さすがに女色なれば、うす化粧に紅粉をたえさぬ身持のよき花なり。

 

桃は、元來いやしき木ぶりにして、梅櫻の物好(ものずき)、風流なる氣色(けしき)も見えず。たとへば下司(げす)の子の、俄に化粧(けはひ)し、一戚(いつせき)[六]を著飾(きかざ)りて出たるがごとし。爛漫(らんまん)と咲きみだれたる中にも、首筋小耳のあたりに、産毛(うぶげ)のふかき所ありていやし。

 

藤は、執心のふかき花なり。いかなるうらみをか下に持ちけん、いとおぼつかなし。

 

山吹のきよげなる、眉目容(みめかたち)すぐれ、鼻筋おしとほり、襟廻(えりまは)り綺麗(きれい)に生れつき、たゞ透融(すきとほ)るなんどいへる許(ばか)りにて、さして命をかけてと思はざる類(たぐひ)こそ、女の本意(ほい)とはいふまじけれ。

 

長春(ちやうしゆん)、薔薇(しやうび)のたぐひは、紅白うつくしく、粧ひたるには似たれど、元來いやしき花の、殊にさかり久しきこそうたてけれ。たとへば惣嫁しいへる辻君の、日のくるゝを待ち兼ね、世上に徘徊し、物心おぼえてより、其ながれをたてて、五十にちかき頃まで振袖を著(ちゃく)し、始もなく終もなきこそうるさけれ。

 

 牡丹は、寵愛時を得たる妾(てかけ)の、天下にはゞかれる、心なげに打ちほこり、常は嫉妬(しっと)我執(がしゅう)のいかりふかくして、靑天にむかつて吐息(といき)をつきたる風情に似たり。

 

芍藥といふ花は、いまだ嫁せざる娘の、よはひも二八にあまりたるが、ねよげに見ゆる心地ぞする。

 

罌粟(けし)は、眉目容(みめかたち)すぐれ、髪ながく、常は西施が鏡を愛して、粧臺に眠り、後世なンどの事は、露ばかり心にかけぬ身の、一念のうらみによりて、ごそと剃りこぼして、尼になりたるこそ、肝つぶるゝわざなれ。

 

杜若は、のぶとき花也。うつくしき女の盗(ぬすみ)して、恥をしらぬに似たり。

 

あやめは、小づくりなる女の、目を病める心地ぞする。

 

百合花(ゆり)は數品おほし。笹ゆり、博多(はかた)ゆり、鬼百合、色は異なれども、元來一種にして、生得いやしき花なり。たとへば輿車(こしくるま)にのれる位なければ、かゝへ帶つよくからげあげ、上(かみ)づりに脛(はぎ)たかく、あゆみ出たる女に似たり。

 

姫百合は、十二三ばかりなる娘の、後(うしろ)に帶うつくしく結びたるがごとし。

 

合歡(ねむ)の花のねぶげなるは、深閨の中に縫物をかゝへ、晝眠る女に似たり。過ぎにし夜半の、いかなる事かありて、かくはねぶりけん、いとおぼつかなし。

其下に、晝顏の目を覺したるは、二十(はたち)にちかき頃まで、男心をしらぬ女の、はじめて宮づかへに出たる頃の、よろづつきなきありさまならんか。

 

紫陽花(あぢさゐ)の花は、色白に肥えふとりたるが、ちかくよりて見れば、白病瘡(しろいも)のあとのすき間もなくて、興さめてやみぬ。

蓮は、うつくしき所すくなし。たとへば上手の繪にかける天人の顏にひとし。どこやら佛めきて、心こそおかるれ。

 

卯の花は、第一名目よし。時鳥の來べき頃は、かならず咲くと覺えたるこそをかしけれ。うつ木(ぎ)の花といふ人は、無下の事なり。卯の花月夜の夕すゞみに、しろめなる衣裝に、黑き帶仕(し)なしたる女の、ふと打ちつれたるが、行違ふ程もなく立ちわかれて、顏のほどもおぼつかなく見かへせば、はや尻影ばかりを、見送りたる心地ぞする。何方へか通ふらんといとなつかし。

 

朝顏の盛すくなきは、よき女の常は病がちに打ちなやみ、土用八專のかはるがはる、隙なきに打臥し、一月の日數も、廿日はかしらからげ、引込みたるが、たまたま空晴れきり、朝日さし出たるに、心地よげに打粧ひ、衣裝などあらためて、ほのめき出たるに似たり。

 

鶏頭は、和のたき花なり。よからぬ女の、一筋に貞女をたてるがごとし。

 

蘭(らん)の花は、蝶の羽に筥物すと.先師の傷より授出し侍るこそ、其住人の面影もなつかしければ、これに先をこされて、口を閉ていはず。

 

 鳳仙花といふ花は。是もけばけばしく、紅粉鉄醬(べにかね)を装ひ、人の眼を驚かすやうなれども、手に携えて見るべきものにもあらす、木ぶり葉つきのいやしき事は、彼出女の李(すもも)口もとには似たり。

 

女郎花は、いにしへより女にたとへ、我落にきと、法師の破戒によめるは、女郎の二字になづめるならんか。初秋の風によろめきたてるも、菊にさきをかけられたらむは、手柄やすくなからんと、むもへる物すきこそやさしけれ。此女郎花といへる物、花にしてはちと請取がたし、たとへば聲のうつくしきを撰みて、小哥を習はそ、髪をおろして是を比丘尼とはいふ也。大卒(おおむね)は女色にして、かざりなければ、大象をつなぐべき、執心のきづなもなし。さればとて、男色のかたづまりたる類にもあらで、男女の中にたてる風俗也。此花百花に類する姿なし。

古人蒸粟のごとしといへるは、草實のたぐひに比すべきか、莖も花も等しく黄にして下葉すくなによろめきたるは、枝比丘尼のたぐひとや見む。

 

 桔梗は、其の色に目をとられり、野草の中に、おもひかけず咲出たるは、田家の草の戸に、よき娘見たる心地ぞする。

 

 萩はやさしき花也。さして手にとりて愛すべき姿はすくなけれど、萩といへる名目にて、人の心を動かし侍る。たとへば地下の女の、よく哥よむときゝつたヘたる、なつかしさには似たり。

 

菊の隠巡なるは。和漢ともに名にたちたる花なれば、あらためてはいひがたし。

風読物好、目だちたる事を嫌へるは、よき女のおつとなどにおくれて、閑なる片はづれに立しのび、よはひもいまだ三十になるやならすの盛なれば、さすがに髪などおろすべくもあらす。たゞ一人あるおさなきものにひかれて、心ならず世の中に住侘たるを、はづかしとむもへる人には似たり。

(風俗文選)

 

 【註】

八月一日

 ❖「野ざらし紀行」に 蘭の香や蝶の翅(はね)にたきものす  芭蕉

 ❖「古今集」に名にめでて折れるばかりぞ女郎花われ落にきと人に語るな 僧正遍照

❖蒸せる栗とは「文朝文悴」に、花色蒸栗俗呼為女郎   源 順

❖比丘尼といふは江戸深川邊に専らあつたといふ売女である。