啄木鳥も庵はやぶらず夏木立(奥の細道)
啄木鳥(きつつき)
『芭蕉全発句』下巻 山本健吉著 昭和49年刊 河出書房新社
元禄二年
元禄二年 己巳(一六八九) 四六歳
四月五日、黒羽滞在中、臨済宗の寺雲巌寺の奥にある舊知の佛頂和尚の山居の跡を訪ねた時の作。
彿頂は芭蕉の憚の師で鹿島の人。芭蕉は鹿島紀行の折に訪た時の作、晩年は雲撒寺にあってここで歿した。紀行の前文に
「さて、かの跡はいづくのほどにやと後の山によぢのぼれば、石上の小庵、岩窟にむすびかけたり。妙禅寺の死闘、法雲法師の石室をみるがごとし」
とあってこの句を載せる。
とりあえず作った一句を柱に遺して帰ってきたとある。
啄木は俳諧では秋季とされているが、それは約束としてであって、肌寒い山奥で夏嘱目しても、異とするには當らない。だから芭蕉が夏木立の問に啄木のつつく音を聞いたか、或いは案内の人からここらに啄木の多いことを聞いたかして、即興的に啄木をこの句に詠み込んだと想像できよう。
彿頂に對する親愛の念が啄木を得て具象化の機會を見いだしたもので、そこからこの山深い幽寂境に、彿頂が啄木と共に脱俗的な明け暮れを送ったさまを生きいきと思い描いたのである。
啄木を友として夏木立の中の草庵生活送った彿頂の人柄への慕わしさを言っているのだ。