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今泉準一 編 元禄江戸俳書集 白帝舎 延命冠者・千々之丞

2024年06月28日 12時16分18秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

今泉準一 編 元禄江戸俳書集 白帝舎

延命冠者・千々之丞

 

放 言

 

此の道をおもてとして裏坐敷をかまへ妻子を遠ざけ在家出家の閑をもとめて友なふ人のしは/\も心は止水に同し魚を観て鹿にしたがはずといへともより/\の塵垢を払って山屐田衣の佗を知る事小楽の至れるもの也。かく安頷の人果にふける事我国我代しろしめしてより」ォ此かた神慮仏皆自得心通の理にもれさる民の賑によるものならしかしされは、住吉の四節をわすれす佃鴫に渡りて藤波かかる松蚊遣火たつる家居しきつのうらに似通ふめる品川の沖よりかみつさの山なみ富士扇形の夕日漁舟の月に心すまし、一声越る浜千鳥のあとさきかたらひ置し発句ともを事のはしめとして」一ウとり集めたる物人にしられかましく名も恥しとおもへと是をさして延命冠者千々の丞といはんと云。その義ゆへありすみよしの神翁と顕して海青楽を舞たまふも友成が感応に逢る相生のためしそかし、今此鴫も末の代にさかへて沖津しら浪声そふる松苗をはこはしめんにはなと一十竹が私と云へからす波うるはしき」ニォ花の集といひあし引の山伏かしはさと名付て姿だみたるものさへや古人のなつかしき便にひかれしためしなるをくるしかるましき私事(シワサ)なりとて春湯に句水を添るのついて硯とりて筆をかり侍る序ならば猶目に付詞をもつゝけまほしくや此の事けふにはしまれるにあらすと云て一揖の猶予をのへたり多少の」句品沙金石玉のましへを分さるは恨を益て道にうとからん事を煩ふにやといへは、一十竹か心それしかにはあら敵と云文字をひとしく共よませたれは是非一箭と存と云、いと興あり

  元禄丁丑若葉の後                 晋其角序 □□ 印 

 

自 訳

 

あらゆるさし合をくりて輪廻の沙汰に及ぶ事やき鳥に緯付たる詞なり、油揚は釈教にて棒に打越を可嫌なと持ってまはりたる了簡也しほ鯛も干鮭(からさけ)も生類と云のゝしろ俳除は舌に及はすと示されしに大根のからみを見分かねて此道の進速にまとひながら」三ウ去年花鳥鰂(いか)といへる集を絹て傍門の雅子をなくさめける其外の薙粒すいものたべ残けるを恨といへり此つぶやきを市中の紛編みとかもてなすへしと云のはし置侍るに此春一子疱瘡になやみけるをめおと守りあかす神と云

清浄なる床に硯を寄看抱のたれかれ志有面々の云捨をかきつゞり一日は我頼む程か佃の」四方御柳奉納の句おもひ寄て日記のはしめとす

    此藤のかたしけなさよ礼参り

これに次かれにいひ流してしどけなさ巻々は何とも一冊と成ぬ彼三番の翁の舞今一さしと悦の酒湯かけ特る日晋子に序をこひて延命冠付と名付たれは沾徳跋を加へ侍るをあとの太夫殿に」四ウ颯と見参の面を引掛て千々の丞と名付て下巻とす

鈴ふり立し親馬鹿の心を子にめてし事そおもひゆるしたうべよと也またまきことに云捨しさし合共わさともうけたるにはあらねと寸心の屈る事殊に俳諧の障昇とかや俗にわれらを魔道に引こまれしなと

嘲られ侍るをあさましく」おほへて此神の力をあふきてもと奉幣奉納の信趣にて一二の龞に何所をとり分四季不同に門例を定る事これまたあてしまひなり

  けむろく(元禄)丁丑

     かぶとたつる日

    武江商   一十竹

 

佐保姫や紅(もみ)に筒める童病   子 孑   童病 わらはやみ

柳のゑみを我延命灰者         一十竹   我延命灰者 えめいくわしゃ

小家ほと雛の竈積舟さして      玉 牙

七十両と直の付た石         四四谷

御袋は肩をとらせて夕涼ミ         一十竹

赤手拭に迷ふ蝙蝠(コウモリ)       其 角

  従者何某か年季明けて近き隣へ入り婿にやり某家ことに乏しからすと聞きて弔いければ

  片田舎とはいえ世に好ましき住居なりけり
    蚕の食や桑摘む娵(よめ)は猿のつら  玉 牙

 草庵にて菜ばかりをもてなす遍照か大椀梅の端に折けんそれこそ風騒の本意なるべけれと戯

れて

花盛り民のかまどは煮しめ哉      専 吟

  卿の人のために関所の近くにわたらひ黄昏に及びて

寝て行けと女の声や百千鳥       一十竹

  狂 倡

蜻蛉や小磯の砂も吹きたてず      其 角

  良少将の太刀の緒監命婦に歌詠みてもらいたまひけん

梅の花下緒(さげを)を解いて酒手哉  一十竹

 夢は信ずべからずと青砥に親しむ者有る俳家の伝に吉凶悔惜しむを転んじて夢想ひらきなと公卿より庶民に及ぶ式法尤も故有る事也 その実を取趣心に秘して連俳の古老のめてたふ認め置かれし真書など取乱したる虫干しの中に転寝してうつゝともなき心より佃の御神え詣でけるに折節会日にて数輩の老若ぞよみき幕の傍らに吟句を名乗る人基佐と云ひ花咲の翁と称して宗因はあれこなたが兼載鼻くつめかす人は芭蕉翁といへりこの人言いながら悉き事に覚えて前句よくば一句差しでん事を励む心の自ずからいたけ高になりければ、執筆筆を止めて一十竹参りたりと披露せしに厳かに畏まりたれば優しさ扇を投げて思ふ事書きて神慮をすゝしめよ当意即時の風流を見んと有る時に、彼の扇を取り拝殿のかたに額づき侍るに、一の絵馬に台に薄などをあしらい馬をその上に乗せたり、これは以外の野馬台とおもひなかして綴りける詞(図参照)

 

  右の句加左

 

能き歌に重荷を下ろすや花の下

硯の海も匂ふふし浪

のり物の簾うらゝに巻揚げて

下馬する武士は折目高也

腰にさす扇に雪や隠すらん

半鐘の音に衣紋つくろふ

澄月の窓を畳に移しつゝ

蚊帳の目にもとまれ秋風

 

 紹巴の末の輩まで賢き御もてなしにあひ奉る。御代の嘉端は神代今も万葉も古今も文字足ら

  ぬ句も人の信を起して夢則住吉の松風にさめぬ

 

  中 陌

桃にゑめ女中預かる雛さらへ     蛍 嚢

  花 陰

人の子を見て詠まん百千鳥      未 伯

  花 興

ハゼを撒く娘が尿(しと)や吉野川  白 亀

  路 柳

ぶら/\と沓に風釣る柳かな     柳 笠

  雛 棚

ビイトロや人をあてがふ桃の酒    武 竹

  霧 雨

腰元や茶台を憎む春の雨       十万家

  霧 雨

春雨や引出しの琴も夜の鶴      茶 夕

  春 屋

雑部屋の風巾(凧)から春は暮にけり 瓠 水

  春 風

御隠居の丸ふなられし節小袖     嵒 狙

  春 畠

茶袋やうつて付けたる摘薺蒿(ヲハキツミ) 琴 口

  祀 逢

春なれや小判投げ込む最花料(サイクワレイ)柳 笠

  呂 音

はつとしや浜の烏も初音なる     一 拙

  望海観遊

みるのかや汐こす風のそなれ松

みるの砂ふるはゝいかに蟹の足

  浜店求有

蛤の焼かれて鳴くや時鳥       其 角

諸札は腹にたまらぬ硯(シジミ)哉   山 皷

しらいをや大きな口で打ち崩す    泉 川

白いをや魚翁か歯にはあひながら   其 角

白いをや惜しまぬ宿の鍋の音     一十竹

閑籬尋花              三千芝

ちらはらと穴八幡の花見哉  

     子を燕に甘茶養ふ     一十竹

春の風蹴鞠のように尻出して       芝

 信濃が役に似合う小屋番        同

朝の月磨き立たる御膳爪         竹

 三百石で勝手賄ふ           竹

向きのようだうこを誉める竈清め     芝

 犬もかぶろも雪を祝ふ         竹

嶋原に關の悪治はなかりけり       芝

唐櫃越えにかかる乗物         同

金瘡の卵をさがす遅桜          竹

 独活(うど)百本て肩はのり也     同

山寺の春の夕暮れやいじり焼き

句を季ぬかりたる何にて春に限らず秋の夕昏ともいはれ冬の夕くれともいはるゝと評する者と 
    も有刃をヤキバとよみて面皮面を焼と云句の打越に批言せし点者あり作者はハモノと云句な    
    り申せしかは当追の眉をかたむけし事もあり

掘りえ穿の述ひから也くまたかを鷹とか心得て鷹おもてに出候と書たるも笑止なり       
    望月駒と云脇を名所でないと云も有日/\夜/\の見おとし返答のひまのないくるしみこそ猫    
    の空ねむりするに鼠の飛付てとらるゝがか如し身からのさび口から高野とのゝしる相手かはれ  
    と品かはらす風情をはなれたる獨眼一句の清葉をとる事覚束なし   
    沾徳は蛙をきらひて蛙と云句に一点もひかす人よく知て沾徳判の巻に蛙の句を禁しけるしらぬ  
    人おもひよらす蛙と云句仕りて余朱を取たる巻をみれば至情の感動には好悪の天命を離る事自  
    然の妙と云へし   
    是を頼もしうおもふ人の俳諧の邪正を弁へて他の点を好まぬは禅宗のかたひに似て一理有。  
    ことく堅てもつた作者なるへし晋子はことに禁凶の詞を吟味して不吉の句きらひ侍れと

火事の時女の馬上ゆゝしくて

出かはりに鬼の斎也手打すき

なと云句は一興有と感られし也

 

過ぎし年の類焼に文庫塊―土昌

 

となりて庭掃く槌ももたず漸々木を寄せ釘を集めて仮屋そこ/\にしつらひ家子を補侍るに、

こゝかしこより亡残の鼎銅錫のながれ拾い集むかゝる中に我が家に代/\伝えてなべかぶりと   
    云うなる。日親上人曼荼羅炬中より堀得て拝み奉る事めでたき事目出度事ならしかし何者のの   
    けたる共しらす書笥一つ印に基づき見顕てくるる詠艸放戯の文なり狄吟の一冊災を逃れたる不

思議左に彫むものなり

 一十竹

ひくさだに樽を持参や山桜

 らくあみふえて蚕なる連(つれ)

腰掛に舟漕奴(こげやつ)を呼小鳥

 きつい曲(歪み)やさし出る月

いけたこの底をしやぎりに秋の風

 嬢(かか)かわめいて角力崩る

ほんほちの俵を戻す二人扶持

 すんふくろから煙管(キセル)引ぬく

蛇のやうな文字に崩して金亀山

  ちよつと鞁をかりて三百

 かんどうを免す使は家守にて

  頓頂(しころ)頭巾をあかつきの風

 眼をあけと転だ馬をたゝく也

 胡桃カ谷ツに柴胡(さいこ)たづぬる

 突き出しにいくと娘の値打ちして

  昔からちやも憎し縫紋

 素直なる遺跡拠(さわぎ)や周防殿

  御所へも上る有明が酒

   露時雨貝ふだ金を見消さるy

   碁が釣り付けてけふも蜩(ひくむらし)

  めつきりと香具のはやる花の店

  赤城の巻は榎まて注連(しめ)

尻り餅に杖は弓なる雪解にて

  さすが抵(ぶた)れもせぬそ塁

 乗物は医師とみへたり鑪(かんき)町

  食堅。飩箱にならぶ立臼

 郭公地中が経を呻(うなる)なり

  札て頁にかよふほりぬき

 手はしかく生干(なまひ)の鱚(きす)を打返し

  曽呂里に成って勝手とり持つ

 腰元を女房にかぶる笹枕

  誰が名をたてて石原の家

 珍敷鶉嗅出す朝の月

  くどひ跡鉢僧(はっち)の首は

霊ま棚の髪搔(かうかい)橋に流るめり

通れ/\と辻の小便

五月闇何やら筥をうけとりて

      飛思案なり兄の甚六

     からしりや東坡被る雪の笠

  油堤は磯臭ひ風

  家中で猫はひまなる干鰯時

   門徒衆かとなぶるれんじやく

 手の筋やあたる/\と我(が)を折て

  念比あひの無尽調

 押入れのあいた所に桑名盆

  塵劫記から炬燵わり出す

 薬師寺と太鼓をそやす衣配り

  きうが恨は二朱判てちる

 月花のあざをさゝれて荷付け馬

  隠居もねする六日年越

ぎり/\と猿戸の音や百千鳥

   河合寺の酢を誉めて吸う

  湾(せせらぎ)を風呂褌で游(およぐ)也

 腕をつかふとりきむ血の肋

  町代は撒(もみち)に掛るおもひ種

 てうど五万に御奇はしまる

  鴫焼にとくりをしぼるしらしぼり

   二本の地には絵が見事也

 申さぬか大悲擁護は左右ぞと

  味噌の鼾に月も時雨るゝ

 餅米は死合(しあい)すかたでかしにけり

   金魚にうき身やつす跡取

  地の人も白人狩りにそそり出

  末摘花や見ぬうちがいろ

数寄/\は紺屋の形と点頭(うなづき)て

  屎(ばば)する松に犬も足危(つくはう)

  鎗持の馬上をつもる仲間われ

  火事のはなしといへは無縁ン寺

  坷(くにりみつ)疊の髭て乾きけり

   躪(にしり)揚りを忠常に這う

  目のさむる出来なり薬研(やけん)藤四郎

   切強飯(こわめし)にかかる鷹師

   能い風と泊か礒に吹れつゝ

   こくらき月に夜談義の鉦(かね)

  御内儀はけすりけはひに秋もくれ

   他屋をしまへは蓮の実に飛

  真青になりて団子の花さかり

    いさ月行おしとむかふ春雨

 裂装掛けに燕の糞を椽つの上ヘ

   幟建賠れは女中うわつく

  下戸性の見ふ宣干(ほさ)る五つ入

   鈴鹿の雪に足はすりこぎ

  耳鐘に此世の風も欲(なか)かれて

   急に敲は火のつかぬ鎌

  水が来て井戸のまはりはうきになる

   虎少将を嘉太夫でやる

 面あてに枕をほとく小夜時雨

   しめた奴等が椀を揃ゆる

  道途(かといち)や草鞋はしほで傷めつゝ

  ころりげんこは百五十なり

  うそく/\椛(かは)焼さかす岡の月

  河内木綿を菊の綿入

宰領(さいりょう)のしほから声を秋の蝉

  突きのめされて肘尻は泥

 井筒屋の蘇鉄もそこで無理を聞け

  皆(みんな)がなけはびいどろも泣ク

 馞(いぶ)されて蚊に飛び出る橋の上

  虱うつりて気をくさらかす

 葛の葉や花見ぬゝまに明盲

  芽ぐむ艾(よもぎ)に取り子呼ぶ也

 秋興

子の魚や待たで飛び込む放生会      平 砂

 旅夕

 繦(かんざし)の枕にさはる夜寒裁   沾 秀 


玄 峰 集 春之部 精選版 日本国語大辞典 朝日日本歴史人物事典 「服部嵐雪」の解説

2024年06月27日 08時50分24秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

玄 峰 集 春之部

精選版 日本国語大辞典

朝日日本歴史人物事典 「服部嵐雪」の解説

没年:宝永4.10.13(1707.11.6)

生年:承応3(1654)

江戸前期の俳人。幼名久米之助,長じて孫之丞,次いで彦兵衛と改める。治助は名乗り。

別号,嵐亭治助,雪中庵,不白軒,寒蓼堂,玄峰堂,吏登斎など。松尾芭蕉門。

江戸湯島に生まれ,元服後約30年間,転々と主を替えながら武家奉公を続けた。

芭蕉への入門は延宝3(1675)年ごろ。元禄1(1688)年1月,仕官をやめ,宗匠として立ち,榎本其角と共に江戸蕉門の重鎮となった。

芭蕉は,同5年3月其角と嵐雪を「両の手に桃と桜や草の餅」と称えているが嵐雪は師の説く「かるみ」の風体に共鳴せず,晩年の芭蕉とはほとんど一座していない。

しかし,師の訃報に接し西上して義仲寺の墓前にひざまずき,一周忌には『芭蕉一周忌』を編んで追悼の意を表すなど,師に対する敬慕の念は厚かった。青壮年期に放蕩生活を送り,最初は湯女を,のちには遊女を妻としたが,晩年は,俳諧に対して不即不離の態度を保ちつつ,もっぱら禅を修めたことからもわかるように,内省的な人柄であり,それが句にも表れ,質実な作品が多い。

「出替りや幼ごころに物あはれ」(『猿蓑』)

「蒲団着て寝たる姿や東山」(『枕屏風』)

などがよく知られる。なお,嵐雪の門からは優れた俳人が輩出し,なかでも大島蓼太の時代になって嵐雪系(雪門)の勢力は著しく増大した。<参考文献>堀切実『芭蕉の門人』(加藤定彦)

 

芭蕉没後も其角と江戸蕉門の勢力を2分し,その一派を雪門という。

編著『其袋 (そのふくろ) 』 (1690) ,『或時 (あるとき) 集』 (1694) ,

『若菜集』 (1695) ,『杜撰集』 (1701) など。

 

嵐雪……秋の部    菊花 九唱 嵐雪

 

素堂亭にて人々十日のきく見られけるに

かくれ家やよめ菜の中に交ル菊              嵐雪

九月十日菊のかへりとて、集のふくろからげて、立よられけるに

秋のくれ井手の蛙のからをみん              舟竹

といひて、土産ねだられけるに、人丸の柿の實

山ノ邊の栗のから今日の得ものゝあまりなりと笑ひ興じて

朝のからよしのゝ山の木の實見よ        嵐雪

 

素堂……九月、『餞別五百韻』立吟編。発句一入集。

 

すみ所を宮古にと聞えければ、我あらましも嵯峨のあたりに侍れど、

かの池に蓮のなき事をうらみ申す

いづれゆかん蓮の實持て廣澤へ              素堂

 

玄 峰 集 春之部

 

其角と嵐雪とは庵中の桃桜なりと蕉翁の称し申されしは、天下の桃李ことごとく公が門に在りといひけむ心ばへなるべし。かゝれば此ふたりは一隻の名家にして、世人も人丸赤人のやうにおぼえたれど、その中にも聊かの勝劣はなきにしもあらざるべし。そも/\嵐雪は、風雅に禅味をかねて無門の關もさはる事なく世理の外に遊び、千里蜀歩の気性あり、晋子(其角)は志學の年より功をつみて、はたちばかりの頃は既に次韵の作者に許されたり。

かく?諬の心あつき上に、酔郷に入りてはいよ/\奇語人を驚かす。おのづから松の尾の神の助あるにや、こやとも人をいふべきにとよみしやうに、人の思ひ及ぶまじき妙處に至る。

されば嵐雪が下にたゝむ事かたくなむあるべき。翁も俳諧の定家卿なりと賞誉し、さわやかなる事は此人に及ばすと向井去来もぬかづきぬ。すべて潤達の中にほそみありて、句々みな自在をつくせり。誰の人か世に敵するものあらむや。此ごろ句集を板に刻むに、懐にひきいるばかりに殊にちひさくしたてゝ、學者に使あらせむとす。牛をたづねて跡を求め、魚をうらやみて網をむすぶ輩、この書をはしだてとしてただちに百尺竿頭に歩をすゝむべしと也。

     髄斎成美 序

改 正

四海波魚のきゝ耳あけの春

元日ややう/\動くいかのほり

元日やはれて雀のものがたり

年すでに明けて達磨の尻目哉

面々の蜂をはらふや花の春

三つの朝三タ暮を見はやさむ

今朝春の奥孫もあり彦もあり榾を富

若水に智慧の鏡を磨うよや

五十にて四谷を見たり花の春

あら玉の馬も泥障(あわり)をおしむには

初空や烏をのする牛の鞍

楪(ゆづりは)標の但阿佃祭りや青かづち

惟茂と起しに来たる二日かな

      此句は睦月二日にあさいせしを

人の来て起せしにかく申されしとかや

       寶ぶね詞書有 爰に略

須磨明石見ぬ寝ごころや寶舟

夢明けて浪のりふねや泊瀬寺

      む月はじめのめをといさかひを人々に笑はれ侍りて

よろこぶを見よやはつねの玉はゝき

      若菜七つがいを判する詞略

七草を三べんうつた手首かな

ぬれ縁や蕎こぽるI土ながら

霜は苦に雪に渠する若菜かな

      憶翁之客中

据折て菜をつみしらむ草枕

とゝ(夫)ははやすめは聲若しなつみ歌

      春 朝

蔀(しとみ)あげてくゝだち買はむ朝まだき

風渡つて石にすがれる薺(なずな)かな

      題しらす 

ほつ/\と喰摘(くひづみ)むあらす夫婦かな

鶯にほうと息する山路かな

うぐひすや書院の雨戸はしる音

鶯をなぶらせはせじ村すずめ

鶯の宿とこそ見れ小摺り鉢

      梅

梅一輪一りん程のあたゝかさ

      此句ある集に冬の部に入りたり又おもしろきか

輪に結ぶ盲をぬけたる月夜かな

      臥龍梅

白雲の龍をつゝむや梅の花

      荏柄天一奉納 

こぼれ晦かたじけなさの涙哉

      北といふ二字題

手のゆかぬ背中を海の木ぶり哉

梅ちるや歯のない馬に恥しき

      桐雨のぬし京うち参りとて出ぬ行くか仁の覚束なく

知る人はそこ/\に道のほどはかう/\と言ひふくめて

      出したてつ仰の花の雪消え五月雨のくもらぬほどに

帰り来べきなれどいと名残をしくて

梅にさむる朝け忘るな辛きもの

  翁の春もやゝけしきとゝのふと申残されし句意を味へ侍りて

この梅を遥に月のにほひかな

梅干じゃ見知って居るか梅の花

      椿

鋸のからき目見しを花つばき

      柳

目前に杖つく鷺や櫛かけ

      中納言藤房

      於馬場殿龍馬に肘て直諌を奉られしが

其言行未如鏡

亂るべき風の柳をさすの神子(みこ)

春の水に秋の木の葉を柳鮠(やなぎばえ)

      題しらす

正月も廿日に成七難煮かな 

一鹽の聲さぞあらむ南部雉(きじ)

せはしなき身は痩せにけり作り獨活

蕗のとうほうけて人の詠かな

狗背(ぜんまい)の塵にえらるゝわらび哉

きさらぎや火燵のふちを枕もと

春風の石を引切るわかれかな

      此句は門人なにがしが旅立けるに

蝸石をおくるとてかく申されしとなり女にかはりて

なれも戀猫に伽羅焼てうかれけり

      燕

簾に人て美人に馴るゝ燕かな

柳には吹かでおのれ嵐のタ燕

      帰 雁

巡礼に打ちまじり行く帰雁かな

      箱根にて

かへる雁關とび越ゆる勢なり

      紙 鳶

糸つくる人と遊ぶや風巾(いかのぼり)

      惜暫別

虚空(おほぞら)引きとどめばやいかのぼり

      蚊足が鄰かへたるに申しつかはしける

此夕ベ軒端へだちぬいかのぼり

  行脚惟然へ申しおくり侍る

木の枝にしばしかゝるや風巾(いかのぼり)

  蛙 合

よしなしやさでの芥とゆく蛙

  上野より帰り侍るとて

酒くさき人にからまる胡蝶かな

      朧 月

中川やほうり込んでも朧月

      我等今日聞佛音教歓喜踊躍と読誦し奉りて

嬉しいか念佛をどりの柄木夕ふり

      出かはり

出かはりや幼心にものあはれ

出かはりや其門(かど)に誰辰の市

      接

見たい物花もみぢより接穂(つぎほ)かな

      苗 代

なはしろに老の力や尻だすき

      青精飯

    桐柳民濃(こまやか)に菜飯(なはん)かな

  上 巳

隣々雛見廻るゝ小家かな

うまず女の雛かしづくぞ哀なる

鶯の来て染めつらむ草の餅

  汐干に

水莖の馬刀(まて)かき寄せむ筆の鞘

しほひくれて蟹が据引くなごり哉

      桃

おの/\の挑の席や等持院

桃の日や蟹は美人に笑はるゝ

      花

あらおそや爪あがりなる花の山

白鳥の酒を吐くらむ花のやま

花に風かろくきてふけ酒の泡

      桜川はほそくながれて青柳の

一かまへうちかすめり

膝木よる長女(をりめ)いやしや糸桜

殿は狩りつ妾餅うるさくら茶屋

手習の師を車座や花の兒

兼好の筵おりけり花ざかり

      逍遥鵬喘之間出入是非之境

花の夢此身をるすに置きけるか

花はよも毛虫にならし家桜

はなを出て松へしみ込む霞かな

新発意が花折るあとや山嵐

      頼光山人之讃

なまくさき風おとすなり山桜

  小町讃

    我が戀よ目も鼻もなき花の色

      原の宿を通るに勅使の帰京ましますとて

海辺も塵をはらひ山も殊更に恥しけに

けふを晴とつくろひたてり砌のすだれ

はね上げけられたるにゑぼうしの用意なんどき

      だら/\と見ゆ恐らくはいまだ聞かず

      富士に雲ゐの客人を見る人は什合なる旅に參り合ひたり

富士を見ぬ歌人もあらむ花の山

雪雲と仇名も言はじ花ざかり

筆とるは硯やほしき兒ざくら

花片々鼓にあたる舌の先

月花の其ひとふしや火吹竹

女中方尼前は(あまぜ)花の先達か

      大和廻りの東淵めぐれ/\風車東風ふかば西へ行き

西吹かば戻れ前後興す

箱根は手形あり大井は川越あり左右廣し

空吹く凰の何が吹くやら

逢坂は關の跡なりばなの雲

大井川船有るごとし花の旅

      躑 躅

白つゝじまねくやうなり角櫓(すみやぐら)

      藤 詞書あり略す

ふぢ浪に鶚(みさご)は得たりいらこ崎

      小奴吉齊に花を見せて

小坊主よ足なげかけむ松に藤

      立志追善

山吹のうつりて黄なる泉哉

       ばせを翁は普化の師晉は臨臍の怨子三十年来は

面にから竿をならして他のつらを出せるなし末期に及て

半句を吐かず

さらに遺跡を止めざるは若夫それもしらす

       大悲院へ齊喰(とこくひ)に行く歟

       中陰廻向

晋化去りぬ匂ひ残りて花の雲

       亡 跡

菜の花や坊が灰まく果てはみな

       三七日

鶯や弓にとまりて法の聲

       墓 參

山吹の實を穴掘の鍬ひとつ

飯焚の輔は筆師よ釈尊(をぎまつり)

雷や油のまじる春の雨

雷の姑なれや花の父母

羽子板や只にめでたき裏表

名月を家陸にゆるす朧かな

草餅にあられを炒るやほろ/\と

       男もすなる俳諧は女もすなり童もすなり誰もすなり

       鋤立もすなり我もすなりとて

それの日も硯とりけむ土佐の海

       武蔵野八百里といひし頃を思ひ合せて

武蔵野の幅にはせばき霞哉

名取川笠は持ちたりさくら魚

草庵と捨てしも秋や花の庵

 


名家俳句集 宝井其角 其角発句集 冬之部 一 塚本哲三 著 坎穿久臧 考訂 昭和十年刊

2024年06月26日 19時44分43秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

名家俳句集 宝井其角

其角発句集 冬之部 一

塚本哲三 著 坎穿久臧 考訂 昭和十年刊

 

神無月ふくら雀にまづ寒き

高砂や禰立宣の湯治の神無月

  玉津島にて

御留主居に申しおくなりかみな月

  高野にて

卵塔の鳥居やけにも神無月

  東には祗園清水とうたへば

揚弓に名のる女や紳無月

神の旅酒匂は橋と成りにけり

家々の留主居よろなり大社

あれ聞けと時雨くる夜の鐘の聲

鷺からす片日がはりやむらしぐれ

しぐるゝや葱臺のかた柳

  遊 金閣寺

八畳の楠の板間をもるしぐれ

蓑を着て鷺こそすゝめ夕時雨

むらしぐれ三輪の近道ちたづねけり

釣柹(かき)の夕日にかはる北しぐれ

  芭蕉翁 病床

吹井より鴫をまねかむ時雨裁

飼猿の引窓つたふしぐれかな

時雨痩せ松私の物干にと書けり

  時雨もつ空の間にあへ酒のかんといふ人に

しぐれ来る酔や残りてむら時雨

  大麻寺奥の院にて

小夜しぐれ人を身にする山居かな

松陰の硯に息をしぐれかな

三尺の身を西河のしぐれかな

  本多総州公に侍坐しける夜

村雨とひとしく蝙蝠の鳴くに発句せよとあるに

    蝙蝠や柱(ず)を捻りたる一しぐれ

    守山の子にもりを葺く時雨かな

夢よりか見はてぬ芝居むら時雨

柴はぬれ牛はさながら時雨哉

神鳴のまことになりし時雨かな

今熊をしぐるゝ頃はあれぞかし

  國阿の檜

我山は足駄いただく時雨かな

  よそに名たつるからさきの松

しぐるゝやありし厠の一つ松

おもしろき人をよび出す時雨哉

島むろで荼を申すこそしぐれ哉

松原のすきよを見する時雨かな

 

  ばせを翁終焉の記に

なきがらを笠にかくすや枯尾花

  同年忌に 三句

しぐるゝやこゝも舟路を墓まゐり

七とせと知らすやひとり小夜しぐれ

辰霜(あさもじ)や鳳尾の印のそれよりも

達摩忌や自剃(じそり)にさぐる水鏡

  文有 略

凩よ世にひろはれぬみなし栗

こがらしとなりぬ蝸牛のうつせ貝

こからしや沖より寒き山のきれ

凩に氷るけしきや狐の尾

木仏や瀬多の小橋の塵も渦

  曲翠と幻住庵のあとを尋ねて

まぼろしもすまぬ嵐の木の葉かな

しばらくもやさし枯木の夕づく日

からびたる三井の仁王や冬木立

冬木立いかめしや山のたゝすまひ

  霊山のみちにて

かまきりの尋常に死ぬ枯野かな

  画 賛

松一木乞食の夜着のかれ野裁

捨人やあたゝかさうに冬野ゆく

  芭蕉翁を見送りて

冬がれを君が首途(かどで)や花ぐもり

三日月のをぐらきほどに玄猪(キノコ)哉

  何某の家にて御流頂戴のことぶきに

紅葉の下部もあらむゐのこかな

玄猪とや祖父のうたふ枝折萩

くろものの代々の玄猪にかへり花

帰花それにも敷かむ筵切れ

  牛島新五郎上京(歌舞伎役者)

鉢の木の扇わらふなかへり花

  坊主小兵衛の道心に

坊主小兵衛坊主と帰り花

口切や袴のひだに線葡蔔

爈開や汝を呼ぶは金の事

  朝叟老父七十の賀に

白川の浪かゝとばや桐火桶

埋火の南をきけばきりぎりす

うづみ火に…トやく人は薫す

埋火や土器かけていじり僥

  閉居安慰

へら鷺の爐を残さぬや灰ぜせり

寝ごころや炬燵ぶとんのさめぬうち

炬燵のうたゝ寝夢に真桑を枕とす

  周防殿は才ある人にて政事行はるゝに一生非なしひなきをめでて

板倉殿と申すとかや此の中より錢を袷ひて

こたつから青砥が錢をひろひけり

松風や爈に富士を僥く西屋形

侘びにたへて一爐の散茶気味ふかし

さびしさはひとり我住むほいろかな

  片手打落しねろ火鉢を幸の物我とて

忠度と灰にかがれし火鉢かな

  名も忠度といふべしこれに対して

炭とりに鏡のぬけし手樽哉

炭焼のひとりぞあらむ荼のきは

炭竈や鈴木亀井が軒のまつ

炭竈やおほろの清水鼻を見る

すみがまや煙をぬけば猿の聲

かた炭もその木の葉より発りけり

炭屑にいやしからざる木の葉かな

  新 宅

竹の場の小庭なるべし炭俵

とてもならかのI車とのゐずみ

茶の幽居炭の黒人を佗名なり

  蚫(あわび)のうつせ貝を盃にして

  都烏と名づけたるによせて

炭うりは炭こそはかれ都鳥

眞炭割る火箸を斧の幽なり

表えびす十九日から見えぬなり

  大黒のうせたる家にて

酔さめて大黒出でむ夕えびす

まな板に小判なけけり夷講

嵯峨山や都は酒のえびす講

打鎰に鰒(ふぐ)も恵比壽の笑かな

  法霊寺老僧春色と聞こえたり

源氏もや季吟(きたむら)の家の蛭子講

福天に床机にするや仕切帳

子は衣装親はつねなり恵比須講

  幻住庵にて

鼠にもやがてなじまむ冬籠

蕗のたう其根うゑおけ冬がまへ

つくづくと壁の兎や冬ごもり

  霜月朔日の例を

諸人や嵐芝居を冬ごもり

顔見せや曉いさむ下邳(げひ)の橋

何よけむ藻魚はた白冬ざかな

 

閑(すづか)さや二冬なれて京の夜

帆かけ船あれや堅田の冬けしき

此木戸や鎖(じょう)のさゝれて冬の月

山鳥の寝かぬる聲に月寒し

人を見む冬のはしゐもタ納涼

冬川や筏のすわる草の原

  住吉にて

蘆の葉を手より流すや冬の海

憎まれてながらふる人冬の蝿

  立 厩

冬持の足下をかけむなるとぜめ

冬来ては案山子にとまる烏かな

關守の紙子もむ矢か手束弓

 1

縫ひかIる紙子にいはむ嵯峨の冬

むかしせし嶽の重荷や紙子夜着

紙子若てわたる瀬もあり大井川

紙子きてくIり頭巾もみそぢ哉

目ばかりを気借頭巾の浮世かな

朝あらし馬の目で行く頭巾哉

おき出でて事しけき身や足袋頭巾

榜人のための切とて火打かな

  大町新宅

水仙や飽ついでの小島豪

水仙になほ分けゆくや星月夜

  伺求老人の手向

山荼花や鶏もれたるお盛もの

二五六

  對 友

内蔵の古酒をねだるや室の梅

園より大工めしけり室のうめ

朝鮮の妻やひくらむ葉人參

玄賓を世に見るさまか干菜資

御殿場に馬休めけり大根ひき

お師どのは先づこなれへと大根引

日本の風呂ふきといへ比叡山

茎の刈る蕪をかしやみふめなき

かぶ汁や霜のふりはも今朝はまた

祀蔵がろ鏑のかるさや筑摩汁

  文 略

茶の湯にはよだ取らぬなりひさご汁

閑居の糠味噌浮世に配る納豆かな

砧つきて又の寝覚めや納豆汁

  遠水三十五日

おほふ哉覚まさぬ袖を納豆汁

つみ綿に兎の耳を引き立てよ

金蔵のおのれと唸る霜の聲

鬚の霜木賊の一夜枯れにけり

紫香楽の火洞にあらば霜の聲

貞佐新宅

    この宿を御師もたずねて杉の霜

酒くさき蒲團剥ぎけり霜のこゑ

      妙舟童女を葬りて

霜の鶴土にふとんも被されず

  宗隆尼みまかり給ふ年

?逢ひにかゝる命や瀬田の霜

  野々宮の藪陰に槌の音しけるに

鍬鍛冶に隠者たづねむ畑の霜

はつ霜に何とおよるぞ舟の中

石菖の露も枯れ葉や水の霜

  播州の僧をいたむ

栗めしの焦けて匂ふや霜の聲

あな寒しかくれ家いそけ霜の蟹

山犬を馬が嗅ぎ出す霜夜かな

螻(けら)の手に匂ひのこるや霜の菊

ふれみぞれ柊の花の七日市

みぞれにも身はかまへたり池の鷺

  宿僧鳥

あられなし閼伽の折敷に冬菜哉

取次へあられをはじく長柄かな

武蔵野や富士の霰のこけどころ

海へ降るあられや雲に波の音

みがかれて木賊に消えゆる霞蔵

  市川三升を祝す

みつますやおよそ氷らぬ水の筋

瀧幅や氷の中にゐざり松

  閑倚橋

うすらひや鐙長なる僑ばしら

煮凍(にこごり)や簀子の竹のうすみどり

  長屋割付られし人の有明の月に

酒売皆不許入内とてなきあかしたり

水窓の網手もきるゝ氷柱かな

柳寒く弓はむかしの憲清なる

夢なほ寒し隣家に姶をかしぐ音

たかとりの城のさぶさや吉野山

使者ひとり書院へ通るさぶさ哉

  父が腎師なれば戯に

魨汁(とんじる)にまた本草のはなしかな

河豚あらふ水のにごりや下河原

人妻は大根ばかりをふくと汁

生煮をふぐといふなりふくと汁

世の中に舅をよぶや河豚汁

  ふけゐの浦打めぐりて

魨ひとつ捕へかねたる綱引かな

ふぐ汁や祝言のこす能もどり  

妻ならぬ鰒(あわび)なうらみそ小夜衣

鐵砲のそれと響くやふくと汁

手を切ていよいよにくし魨の面

詩人ゆるせ松江の鰒(あわび)といはむに

鯖にこりず松魚にこりず雪の鰒(あわび)

鮟鱇(あんこう)をふりさけ見れば厨かな

足袋うりやたびかさなれば學鰹(まながつを)

蠣(牡蛎)むきや我には見えぬ水かがみ

鯉ひとつあじろの夜のきほひ裁

  梅津某秋田へ発駕を送り侍りて

こゝに呑む座敷しつらへ網代守

網代やに心太屋の古簾

夜興曳(よこうびき)盗人犬や龍田山

犬引で豆腐狩り得たり里夜興

衿巻きの松にかゝるや三穂の海

  市隅の佗人に

宮藁屋はてしなければ矢倉賣

  松永貞徳翁五十年忌

帯ときも花たちばなの昔かな

  霜月廿七烏候于黄門光圀卿(水戸光圀)之

御茶亭題ス周山之佳景ニ硝子の御茶屋

水の工み酔顔清し氷荼屋

  清水寺音羽

桜精舎梢や千々の雪ざかり

  耕作の御茶屋

根深ひく麥の早苗やあやめ草

  黒木の御茶屋

我や賤牛に雪吹く黒木茶屋

  藤 棚

藤茸やあられにやどろ不破庇

  西行堂

炭や岩間こかしの清水とくとくと

  唐 橋

長橋やせたにあひ見むふぶき松

  八はしの花のかほよきを恥て

坊主かけ月にも冴えよ御川水

  河原書院

八千代とぞ河原御館の御千鳥

  西 湖

詩をあさろなるらむ雪の樽小舟

   右十章

越後屋の算盤過ぎて小夜ちどり

啼く千鳥いく夜明石の夢おどろく

むら千鳥その夜は寒し虎が許

心をや筌(うけ)にゆらるゝ浦ちどり

浦鵆さこそ明石も大神鳴

しほ擔や投げてたゆたふ磯千鳥

よき日和に月の景色やむら鵆

妹が手は鼠の足か小夜鵆

  人丸講 月継

沖の帆も十はたみそや浜千鳥

氷にも蓋とじよ鴛(エン おしどり)の中

十石は鴛につくなり竜安寺

瀧口や思ひすてゝも池の鴛

  夜学感

鴛氷る夜や蜉蝣燈盞に羽を閉ぢて

揚屋の外邊に鴨の毛を引くを見て

鴨の毛や鴛の衾の道ふさげ

盬汲みの猪首も波のかもめ哉

菰(まこも)一重わぶ乞食のぬくめ鳥

めづらしき鷹わたらぬか對馬舟

  京なる人に案内して

ゑぼし着た船頭はなし都どり

町神楽店の日蔭をかつらとし

  ひたち帯のならはしなど思ひよせ侍りて

たれとたが縁組すんで里神楽

夜神楽や鼻息しろき面のうち

はつ雪や犬のつら出す杉の垣

初雪に此小便は何やつぞ

  智恩院町にやどりて

はつゆきに眞葛が原の妾かな

初雪に人ものぼるか伏見ぶね

はつ雪や赤子に見すろ朝朗

初雪や雀の扶持の小土器

はつゆきは盆にも心べきながめ哉

初雪やうちにゐさうな人は誰

めづらしい物が降ります垣根かな

  人も来ぬ夜の獨酌

はつゆきや十にな心子の酒のかん

  或御方より雪見に迎へさせ給ふ馬上にて

初雪に牧やえられて無事なやつ

  楠の銅壹四間に一間とかや萬客の唇をうろほせば

はつ雪や湯のみ所の大銅壷

  市中閑

はつ雪や門に橋ある夕まぐれ

雪買に雪を沽(賣)らばや鶴の雪

 清水修行にとまりで

むかしたれ雪の舞豪の日の気色

雪の日や船頭どのの顔の色

馬士(うまかた)に貧しきはなし雪の宿

  寒山の讃

寝る恩に門の雪はく乞食かな

我雪とおもへば軽し笠のうへ

  門といふ字を得て

馬に炭さこそはたゝ雪の門

  賀茂川にひとむれとよみたるを

釈迦とよぶ頭も雪の黒木かな

芭蕉空庵を訪いて

衰老は簾も明けず庵の雪

  官城御普請成就して

  諸家褒美を給わりける

陪臣は朱賣臣なりゆきの袖

軍兵を炭圓でよつや雪つぶて

まつの雪蔦につらゝの下りけり

  前といふ字にて雪の句

叡覧の人になりつゝ今日の雪

  出口にて

きぬぎぬに犬をはらふや袖の雪

  すてゝあるといふ小歌か句の題にして

おもはめや捨ててあらかは雪の宿

腸を鹽にさけぶや雪の猿

饂飩(うどん)屋へゆく念佛なり夜の雪

  文 略

黒塚のまことこもれり雪をんな

埋木のふしみ勝手や雪の友

雪の日は聲ばかり賣る黒木かな

  不二の烟のかひやなからむとの御製をよくよく了簡せばふし

無念に思ひ浅間を討ちぬべきものとかく作を

麁相に極めおいて浅聞がうらみ成べしといひて

諷(うたひ)にてあさまになりぬ富士の雪

青漆を雪の裾野や丸合羽

富士うつす麦田は雪の早苗かな

奈良茶の詩さこそ慮仝も雪の日は

抜き出してゆき打拂ふ柄ぶくろ

雪おもしろ軒の掛け茶にみそさゝい

  秘蔵の鶉の落ちたるををしめる人に

黒染に御弔や雪うづら

朝ごみや月雪うすき酒の昧

雪にとへばかれも蘇鐵の女なり

  雪 窓

損料の史記も師走の螢かな

書出しを何と師走の巻柱

秋にあへ師走の菊も麥ばれけ

  大小の唫 元禄十年

   こ    同 六     K J

大庭(二)をしろ(四六)くはく(八九)霜師走哉

荷よばりの小坊玉にこそ師走ごゑ

化けながら狐まづしき師走かな

  不分當春作病夫

酒ゆゑと病をさとる師走哉

新堰にて喰うふやうに師走かな

ありがたき親の悋気もしはす哉

山陵の壹分をまはす師走かな

千鳥たつ加茂川こえて鉢たゝき

ことごとく寝覚めはやらじ鉢敲

伊勢島をにせぬぞまこと鉢敲

あかつきの筑波にたつや寒念佛

寒念佛橋をこゆれば跡からも

酒飯の飲酒はいかにかんねぶつ

  南都にあそべふ時

寒聲や南大門の水の月

並蔵はひびきの灘や寒造り

  極 寒

さだめよの遺精もつらし寒の水

  漫成五倫

君臣有義 家の子等けふを忘ろな年忘

父子有親 魨計や憎き嫁にはなほくれじ

夫帰有別 鉢敲めをと出ぬもあはれなり

長幼有序 はかま着は娘の子にも袴かな

朋友有信 君と我爐に手を反すしがなかれ

  極月十四目日 西吟大坂へのぼるに

いそがしや足袋賣にあふ宇津の山

節季ゟや口を閉ぢたるわたし舟

元日を起すやうなり節季候

節季ゟは左の耳になると哉

煤はいて寝た夜は女房めづらしや

すゝはらひ暫しと侘びて世捨て蔵

童にはしころ頭巾やすゝはらひ

忠信が芳野じまひや煤彿

  閉窓に羽箒をめでて

煤ごもりつもれば人の陳皮かな

鼻を掃く孔雀の玉や煤ごもり

  辰之劾に申す

すゝはきや諸人がまねる鎗踊

寒苦鳥明日餅つかうとぞ嗚けり

餅花や灯りたてゝ壁のかげ

餅と屁と宿はきゝわく事ぞなき

  震威流火しづまりて

妹が子や薑(椒 はじかみ)とけてもちの番

女子疱瘡しける家にきげんとりて

餅の粉や花雪うつる神の咲(笑み)

弱法師(よろばふし)わが門ゆるせ餅の花

としの市誰をよぶら羽折どの

梟(ふくろう)よ松なき市の夕あらし

鰤(ぶり)荷ふ中間どのにかくれけり

行露公萬句御興行巻軸

満代の〆をあげけり神楽帳

 揚屋に酔房して

戀の年差紙籠をさらへけり

戀の年差紙籠をさらへけり

詩商人年を貪る酒債かな

いざくまむ年の酒屋の上(うへ)だまり

行く年も板戸めでたし餅の跡

ゆくとしに唾はくらむ鏡とぎ

  座右銘

行く年や壁に恥ぢたる覚えがき

ゆくとしや貉(むじな)評定夜明まで

やりくれて又や狭筵としのくれ

行幸の牛あらひけり年のくれ

小傾城行てなぶらむ年の暮

鳩部屋のタ日しづけし年のくれ

子をもたばいくつなるべき年の暮

千観の馬もせはしや年のくれ

年中の放下みえけり年の暮

  ばせを翁はてのとしは堅田のゆかり伊賀のしるべ

おもひの外になりぬるをわびてうつの山より人々に申遣はす

おきずてに笈の小文や年のくれ

流るゝや千手陀羅尼の年の垢

流るゝ年の哀世に白髪さへ物うき

年の瀬やひらめのむ鵜の物おもひ

  臘兎五つの子を産めり樊中にやしなはれて

若草にかけらむ事を祝ひて

年をとろ兎に祝へ熬(煎)らぬまめ

  駿洲久能の別當さんざめかして御通あるを

ゆゝしさや御年男の旅すがた

豆をうつ聲のうちなる笑かな

  三升所持 鐘馗の自画賛

今こゝに團十郎や鬼は外

  乾元の節分

長き夜の遠くてちかし得方丸

とし越やただ業平の御袖ひき

乗物の中に眠沉て

年忘れ?伯倫は負ぶはれて

乳母ふえてしかも美女なし年忘れ

  千山宅年忘れに

割りすそや八乙女神楽男より

  御玄関より破魔矢を数へ奉りて

誰いふとなしに大殿としわすれ

大晦日ねいつたうちが年わすれ

  聖 代

鶴おりて口こそおほきに大晦日

 

雑の部

尋牛 闇の夜は吉原ばかり月夜かな

呼牛 呼子鳥あはれ聞てもきかぬ哉

隠牛 夏の夜は寝ぬに疝気の起こり鳧

貧牛 二朱判や取るがうへにも年男

廻牛 小便も筧(かけい)にあまる五月かな

番牛 ほとゝぎす晩傘を買わせけり

半牛 何となく冬夜隣を聞れけり

無牛 きりぎりす枕も床も草履哉

送牛 さめよとの千手陀彌尼や霜の聲

老牛 けふも又温飩のはひる時雨哉

於冠里公 各題五色梅 黒

黒梅や花のしらべのかけちがへ

村雨のとぎれ/\や曽根の松

  天智天皇

うちをさむ入鹿が首四海波

 

  文化十一年甲戊


西脇順三郎 生涯と芸術/鑑賞案内 西脇順三郎 生涯と芸術/鑑賞案内

2024年06月25日 10時42分29秒 | 文学さんぽ

西経順三郎 生涯と芸術/鑑賞案内

 

千葉宣一 氏著

明治27・ 1 ・20生

【生涯と芸術】

 

西脇順三郎は、目本の現代詩の運命に決定的な役割を果したが、R・M・リルケやP・ヴァレリー、T・S・エリオットと共に、二十世紀を代表する四大詩人の一人であり、ノーベル文学賞の有力候補にも擬せられ、極めて独自な詩風を誇る国際的な学匠詩人(Poeta‐Doctus)として、現在、名声の絶頂にある。

 明治二十七年一月二十日、小千谷(おじや)銀行の頭取であった父、寛蔵の次男として、新潟県北魚沼郡小千谷町に生れ、小学時代は異性とばかり交遊し、算術が不得意で図画が好きであったと言う。

県立小千谷中学時代は、英語に異常な関心を持ち、絵画に熱中、卒業後、画家たらんと志し、上京して藤島武二や黒田清輝に面識を得るも、当時のデカダンな画学生の生活態度になじめず断念。明治四十五年、

慶応義塾大学理財科予科に入学、高橋誠一郎・小泉信三等の指導を受けたが、専門の経済学よりも文学や語学に親しみ、大正六年、ラテン語で書いた「社会学としての経済学」を卒業論文として提出。その後、ジャパン・タイムズに入社、外務省嘱託として条約局に勤務するも大正九年、母校に復帰、やがて大正十一年、二十九歳の西脇は、英語英文学研究のため留学、オックスフォード大学で、古代中世英語英文学を学ぶ一方、ヴァインズやコリーなどの若き芸術家と交流、エリオットの『荒地』やジョイスの『ユリシーズ』が刊行され、ダダやシュールレアリスムなどのレスプリヌーボオが渦巻く、モダーニズムの全盛期であったイギリス文壇の空気を全身で吸収し、文学的青春の形成に決定的影響を受けた。

翌年、エジプト、フランス、イタリーを旅行、直接ヨーロッパ文学の風土的背景に触れ、女流画家、マ

ジョリ・ビットルと結婚。

大正十四年には、ロソドンのケイム・プレスより『spectrm』を刊行、ロンドンタイムズ等で好評を受けたと言うが、ジョージアン・ポエイトの亜流で、信じられないような平凡な詩風である。

かかる留学体験の最大の意義は、西脇をして、ヨーロでハの文学や芸術家に対して、何等の劣等感も抱かぬ目本における唯一の詩人とし、常に自己の芸術に対する衿持を世界的水準で維持させたことであり、西脇の詩的教養や学問のスケールの偉大さも、そこに淵源を発している。『エリオット』(研究社・昭31)

『荒地』(創元社・昭27)で、堂々とエリオットを断罪する西脇の自負も、このことにつながる。

大正十五年、母校の英文学教授に就任、上田敏雄・滝口修造・佐藤朔等と文学的サロンを形成、「詩と詩論」を中心に、ヨーロッパ・モダーニズム文学運動の最も権威ある導入・指導者として、圧倒的影響を与え、日本の現代詩の基調動向に運命的な役割を演じた。

滝口の「超現実主義と私の詩的体験」(「ユリイカ」昭35・石)……西脇論の嚆矢も、彼の「西脇氏の詩」(「山繭」第二巻五号)上田の「超現実主義」(『現代詩の歩み』宝文館 昭和27)貴重な証言である。西脇の誌的初恋は、萩原朔太郎と、J・キーツであり、ヘレニズムヘの詩的関心を決定づけたのもキーツとの邂逅であり、日本語による詩作の可能性を覚醒させたのも朔太郎である。

『Ambarvalia』には、イメージの質においてキーツの影響が意外に強く、語法は朔太郎から来ている。「PRUFAjNUS」(「三田文学」大15・4)から「ポイエテス」(「無限」創刊号、昭34)にいたる、西脇詩学の原郷には、「美は永遠の喜び」(エソデミオン)、「美は真にして、真は美である」(古甕のオード)と言うキーツの詩観が、象徴主義や超現実主義の美学よりも強く生きている。暗い谷間の完全な沈黙から敗戦体験を媒介に、詩的回心を告げる『旅人かえらず』は、詩の美的生命は<哀愁>にあるとして、汎神論的無常態や東洋的玄の詩風土に傾斜し、『近代の寓話』(昭28)『第三の神話』(昭31)を経て、遂に、西脇の達した境涯の詩観は、「詩学は<無の壮麗>を学ぶことであり、すぐれた詩は、<無の栄華>である」。(『詩学』)

西脇の詩的世界の特質は、東洋と西洋の美的伝統の最高のエッセンスを、存在論的観点から主体的に統一したシンクレチズムで、その、無国籍的な天衣無縫の詩風は、古典主義的風格を誇り、現代詩の可能性を拡大深化すべく今なお新鮮な詩的創造を展開している。

『古代文学序説』で文学博士。世俗的にも、慶大文学部長、日本学術会議員を歴任。日本芸術院会員である。

 

【鑑賞案内】

 

標準的なテキストは『西脇順三郎全詩集』(筑摩書房・昭38)で、あとがきの「脳髄の日記」は、詩的教養の形成や詩観の変貌過程を考察する上で、貴重な一種の詩的自叙伝であり、木原孝一・鍵谷幸信篇の書誌・年譜も良心的である。

処女詩集「Ambar.valia』は、復刻版(恒文社・昭41)があり、「近代人の憂欝」と題する、西脇の詩集の成立事情を巡る回想や、木下常太郎の解説を収録した別冊が添えてある。

再刊本『あむばるわりあ』(東京出版・昭99一)は、異質の詩精神の発動と考えるべきで、改作が多く、本文校定に慎重を要す。研究成果としては、

分銅惇作の「ギリシャ的拝借詩」(「国文学」学燈社・昭40・9)、

関良一の「ギリシ申的抒情詩」(「国文学」学燈社、昭40・1、2、3、4、6、9連載)がある。

西脇の超自然主義時代の活動に就いては、千葉宣一の「『詩と詩論』シュール・レアリスム」(「日本近代文学」第七集)が詳説している。

個性的な分析視角を持つ西脇論として、

北園克衛「詩集『旅人かえらず』への手紙」(『黄いろい楕円』宝文館・昭28)、

篠田一士「西脇順三郎論のためのノート」(「無限」昭35・春季号)、

大岡信「西脇順三郎論」(『芸術と伝統』晶文社・昭38)、

安藤一郎「西脇順三郎論」(「文学」昭43・5)等が出色。

福田陸太郎の「対談・西脇順三郎全詩集をめぐって」(「英語青年」昭38・12)、

「本の手帳」(昭38・10)の西脇特集号は有益。

詩論関係では、『西脇順三郎詩論集』(思潮社・昭39)が便利。

『西脇順三郎渠(私の講義)』(大門出版・昭42)には、「馥郁タル火夫」に就いての西脇の自己解説が吹込まれたソノシートが付録。

『詩学』(筑摩書一房・昭43)は、西脇詩学の総決算。

『礼記』(筑摩書房・昭43)は、境涯の詩境。

「詩学」(昭42・4?12)に連載された「西脇セミナー」は、西脇自ら職業の秘密を解く鍵を提出しており必読の文献である。但し、西脇の記憶違いや、意識的に語らざる部分の検討が重要。詩的教養の背景

を理解する上で

『ヨーロッパ文学』(第一書房・昭8)、

『現代英書利文学』(第一書房・昭9)、

代表的研究業績は『ラングランド』(研究社・昭8)、

『古代文学序説』(好学社・昭23)。

なお民俗学や詩経・唐詩・伊勢物語・古今集・梁塵秘抄への関心も強く、折口信夫との出会いの意義も興味ある問題である。


名家俳句集 宝井其角 其角発句集 秋之部 一 塚本哲三 著 坎穿久臧 考訂 昭和十年刊

2024年06月25日 08時52分12秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

名家俳句集 宝井其角

其角発句集 秋之部 一

塚本哲三 著 坎穿久臧 考訂 昭和十年刊

 

文月や陰を感すろ蚊屋の中

      詞書略

空や秋蚊屋を明れば七多羅樹

身にしむや宵曉の舟じめり

      父の煩はしきを心もとなくまもり居たるにいなみがたき會に

呼びたてられて此句を申出たれば一折過るほどに

快しを告けたり妙感のあまりこゝにしるす

秋といふ風は身にしむくすり裁

      格枝亭柱かくしに

坎震離艮坤巽

      空や秋水ゆりはなす山嵐と御よみ候へ下の字

自然にまはり候こそ彌三互郎にて候

  秋夜隠林

雨冷(あまびえ)に羽織や夜の簑ならむ

文月やひとりはほしき娘の子

七夕や暮露(ぼろ)よび入れて笛をきく

星合やいかに痩地の瓜つくり

ほしあひや山里もちし霧のひま

ほし合や女の手にて歌は見む

星あひやあかつきになろ高燈籠

ほしあひや大のこゝろの爪はじき

      比叡にのぼりて

ほしあひやそう雙林塔の鈴のおと

丸腰の冶郎笠とれ星むかへ

筒の菓に枕つけてやほし迎ヘ

二星うらむ隣のむすめ年十五

      雨 後

鵲(かささぎ)や石をおもしの橋もあり

はしとなる烏はいづれ夕がらす

露橋やまつとは宇治の星姫も

かさゝぎや丸太のうへに天の川

      新 居

塀梢かけてかよへや銀河

あまの川けふのさらしや一しぼり

      弄化生

あひろの子孚(かえ)るといなや天の川

樽買がひとつ流すやあまの河

大切の夜は明けにけり天の川

 

     素堂が母七十七歳の賀 題 秋七草

星の夜よ花火紐とく藤ばかま

 

妻星よあふに一くせある女か

けふ星の賀にあふ花や女郎花

葛花や角豆も星の玉かづら

明星や額に落ちる鞠(まり)ぼくろ

      二挺立帰棹

畳をやくまくらつれなし星の露

      女わらべの心ばへして籠に

      露かひ侍るを七夕の手向草にせしかば

露まつや味噌こしふせて蟋蟀

      七夕盡しなどいふ草紙

行く水に倣かくよりも鴛に傘

三遷のをしへに貰ひて七つになりける姪を

寺へのぼせたれば二日ありて七夕に歌を感じ奉りて

あさがほは仙洞様をいのちかな

朝顔にしをれし人や鬢帽子

あさ顔やとれぎはに咲く猪口の物

朝顔に立ちかへれとや水のもの

あさがほやよし見む人は竹格子

      すゝきを書けるかけ物の讃

朝顔や穂に出るまで這ひあがる

蕣(あさがお)にきのふの瓜の二葉かな

あさ顔にいつ宿出し御使

    殊に晴れて雷朝にいさぎよし

あさがほの日陰まだあり中老女

  墓蕣といふ題を

あさがほに花なき年の夕かな

道心の妻しをれて恨む槿垣

      市 隅

西側に燈籠なかれや三日の月

美女美男燈籠にてらす迷ひかな

      増上寺晩景

馬老ぬ燈籠使の道しるべ

見る人もまり燈籠に廻りけり

遊山火を蘆の葉わけやたま迎

かへらずにかのなき魂の夕ベかな

たらちねに借金乞はなかりけり

  右二句文有略

魂まつり門の乞食の親とはむ

      棚経よみに参られし僧の袖よりおじねりを

      落しけるかの授記品の有無價宝珠と説せ給ふ心かおもひて

衣な心賤ともいざやたままつり

棚経やこのあかつきのあかい水

棚経や聲のたかきは弟子坊主

送り火や定家のけぶり十文字

淵明が隣あつめや生身たま

生霊(いきみたま)酒の下らぬ親父かな

  侍 坐

さし鯖も廣間に羽をかはしけり

      文月をかねて刺鯖(さば)を獵領し

      世の人はいはす草とすと

    鯖切のかくてもへけり大赦迄

    親も子もきよき心や蓮うり

      阿羅尼品

    銀を罪のはかりや墓参り

      分郊原

みぞはぎや分限にみゆら骸髏

小娘の生ひさきし心しかけ踊

一長屋錠をおろしてをどり哉

      青山邊にて

躍子を馬でいづくへ星は北

誦召して番の太郎に酒れうべけむ

伊勢の鬼見うしなひたる踊かな

      千之と黄檗にあそぶ

盆前をのがれし山の二人かな

      玉川の水筋かれたるとし

水汲の曉起やすまふぶれ

投げられて坊主なりけり辻角力

よき衣の殊にいやしや相撲とり

ト石やしとどにぬれて辻ずまふ

上手ほど名も優美なり角力取

相撲気を髪月代(さかやき)のゆふべかな

紙のため女もうらや角力札

壹両が花火まもなきひかり裁

扇的花火紅てねろ扈従かな

    小屋涼し花火の筒のわるゝ音

    鵜さばきも逆櫓もやるや花火賣

稲妻やきのふは東けふは西

齊院の此の戸さしけむ露なれや

船ばりをまくらの露や閨の外

殊に晴れて雷朝顔にいさぎよし

      周信が瓢の畫に

    しら露も一升入りの恵みかな

      石蔵寺對僧

    手に掲げし茶瓶やさめて苔の露

    露の間や浅茅が原へ客草履

霧汐烟行くすゑかけて須磨の浦

  宇治山水

川霧や茶立ぶくさののし加減

      中の郷にて

幸清が霧のまがきやむかし松

      遠里小野の忠守にまかりて

霧雨は尾花がものよ朝ぼらけ

あさぎりに一の鳥居や波の音

宵闇や霧のけしきに鳴海がた

笠取れよ富士の霧笠しぐれ笠

朝ぎりや空飛ぶ夢を不二颪

      彌陀のりさうをかうむらずばとこそ

      たのしみにこれらが結縁は

夏の内に杓子をかぶる鼠かな

      杓子のうせけるをとぶらひけるなり

蕾ともみえず露あり庭の萩

      ことば書 略

萩もがな菩薩にて見し上童

萩な苅りそ西瓜に枕借す男

      文はこゝ略

はぎの露絵貝にくすり哉

      切悠亭にて

日盛を御傘と申せ萩に汗

  曉松亭

獅子舞の胸分にすな庭の萩

ねだり込は誰の内儀ぞ萩に鹿

  仙石玉芙公御加番に餞別

萩すりや傘すかすむかし鞍

  専吟庵

萩すゝきむすび分けばやササ?

  二間茶屋にて

白馬の足髪吹きとる薄かな

召すことになれし子方や花すゝき

  在原寺にて

僧ワキのしづかにむかふ芒かな

  井筒を略したる畫に

いそのかみ竹輪にむすぶ薄かな

角文字や伊勢の野飼の花すゝき

  ぜにかけ松

蛛のいや薄をかけて小松原

  二見にて

岩のうへに神風寒しはな芒

  水間沾徳 餞別

點せがむ人の宿かれ花すゝき

牛にのる嫁御落すな女郎花

  遍昭の讃

僧正よ鞍がかへつて女郎花

  一夜前栽といふ事を

御城へは何に成るやらをみなへし

短冊かゝせらるゝ迷惑さ

葛の葉のあかい色紙をうらみかな

悲しとや見猿のためのまんじゆさげ

茶筌もて蠅の掃除や白芙蓉蔘

あまがへる芭蕉にのりてそよぎけり

ばせを葉に雀も角をかくし鳧

醤油くむ小屋の堺や蓼のはな

花もうし佐野のわかりの蓼屋敷

酢を乞ふあり隣の蓼のはなざかり

鶏頭や松にならひの清閑寺

たばこ干す山田の畔の夕日かな

取る日よりかけてながむる烟草かな

夢となりし骸骨をどる荻の聲

奴山昆のながれけり

西瓜くふ奴の髭のながれけり 

西瓜喰ふ跡は安達が原なれや

山城がまだ鑄ぬ形や鈷西瓜

芋植えて雨を聞く風のやどり哉

やま畑の芋ほるあとに伏猪かな

      松倉嵐蘭一子孤愁をあはれむ

芋の子もばせをの秋をちから哉

      浅茅が原

仇し野や焼きもろこしの骨ばかり

  吉田氏

唐秬(からきび)も糸をたれたる手向かな

唐秬を流るゝ沓や水見舞

蘆の穂や蟹をやとひて折りもせむ

  妓子萬三郎を悼て

折釘にかづらやのこる秋のせみ

鬼灯のからを見つゝや蝉のから

  工齊をいたむ

其人鼾(いびき)さへなしあきの蝉

  亡父葬送場にて

一鍬に蝉も木の葉も脱(もぬけ)かな

頬摺やおもはぬ人にむしやまで

元結のねるまはかなし虫の聲

  柴雫と伊勢をかたりて

故郷もとなり長屋か虫のこゑ

松むしに狐を見れば友もなし

すむ月や髭をれてたるきりぎりす

まくり手に松虫さがす浅茅かな

猫にくはれしを蛼(いとど)の妻はすだくらむ

すずむしや松明さきへ荷はせて

蜉蝣やくるひしづまる三日の月

山の瑞をやんまかへすや破れ笠

遇さびて盃やく野の草もみぢ

酒買にゆくか雨夜の雁孤つ

一しほの妻もあるらむ天つ雁

  翁にともなはれて来る人の珍らしきに

おちつきに荷兮が文や天津雁

題湯豆腐

あとの湯か雁を濁さぬ豆腐哉

  隣家に元結に落つる鴈

雁の腹見送る雲やふねの上

しら雪に聲の遠さよ數は雁

冠里公御わたまし祝い奉りて

初鴈や臺は場はれて百足持

品川も連にめずらし鴈のこゑ

  自 畫

片足はやつしゟ也小田の雁

  詞書を略す

陣中の飛脚もなくや鴈の聲

鴫(しぎ)たちてさびしきものを鴫をらば

泥亀の鴫に這ひよろゆふべかな

順検に問はずがたりや百舌の聲

 .むすめ喰いぞめに

鵙(もず)啼くや赤子の頬を吸ふときに

  感微和尚に對す

そば打つや鶉衣に玉だすき

  錢秋航

諸鶉駒はまかせぬ脇目かな

  平家の衰を語る心に

かへり来て福原さびし鶉たつ

鵂(みみずく)の頭巾は人に縫はせけり

木兎や百會にはかり巾りもの

仁兵衛の片山かけやわらひ菟

  秋葉禅定下山

かし烏に杖を授けたるふもと哉

山雀の戸にも窓にもなら柏

春澄にとへ稲負烏といへるあり

  小烏盡長歌

四十から小夜の中山五十から

  中村少長夫婦連にて上京せし時

山鳥も人をうらやむ旅寝かな

つばくらもお寺のつゝみかへりうて

鹿の一聲といふ小歌のさんに

更けかたを誰か御意得て鹿のこ八

さをじかや細分こゑより此ながれ

  木辻にて

門だちの袂くはへる男鹿かな

小原女や紅菓でたゞく鹿の尻

合羽着て鹿にすがるや秋葉道

暮の山遠きを牡鹿のすがた哉

  白画賛

さを鹿やばせをに夢の待ちあはせ

苅りのけよそれを繩なへ小田の鮭

鍬(かじか)此夕愁人は猿の聲を釣る

さちほこに箭をかます心鱸(すずき)かな

  遠州二股川を河ふねにて下り侍るに

  推河脇といふ所逆水大切所を超えて

打つ櫂に鱸(すずき)はねたり淵の鋳いろ

小鰯や一口茄子藤の門

ほのぼのと朝飯匂ふ根釣りかな

  高雄にて

此秋暮れ文覚覚我をころせかし

岡釣のうしりろ姿や秋のくれ

ない山の不二竝ぶや秋の暮

木兎のひとり笑や秋のくれ

あきのくれ祖父(オホジ)のふぐり見てのみぞ

青海や浅黄になりてあきの暮

  寂 蓮

和歌の骨(こつ)槇たつ山のゆふべ哉

あきの空尾上の杉をはなれたり

 

  鑑素堂秋池

風秋の荷葉二扇をくゝるなり

  背面の達摩を畫て

武帝には留守とこたへよ秋の風

秋山や駒もゆるがぬ鞍のうへ

  相模川洪水落水接天

狼の浮木にのるやあきの水

あきの心法師は俗の寝覚め哉

  野田玉川に西行上人の堀井あるよし

濁る井を名にな語りそ秋のあめ

工齊三回忌に智海師をともなひて

三人の聲にこたへよ秋のこえ

子々等には猫もかまはず夜寒裁

  酒もる詞を切題にして問を

あびせばや夜寒さこその空寝入

  悼朝叟

此人に二百十日はあれずして

  春目法楽

今幾日あきの夜結を春日やま

砧の待ち妻吼ゆ心犬あはれ也

  芭蕉廬の夜

墨染を鉦鼓に隣るきぬた哉

點取におこせたる懐紙のおくに

二巻に目をさましたる砧かな

  みの路に人て

きぬたきかむ孫六屋敷志津屋敷

  ある長者のもとにて

中の間に寝ぬ子幾人さよぎぬた

  和水新宅

さい槌の昔を仕舞へば砧かな

  銭青流難波

蘆刈のうらを喰せてきぬた哉

  雪の下にて

きぬたうつ宿の庭子や荼の給仕

奥好きの殿やうつらむ唐ごころ

駒曳や岩ふみたてゝもと筥根

  こまひきの題にて

甲斐駒や江戸へ/\と柿葡萄

眺めやる凾谷やけふ驢馬(ろば)迎

  盃と椀を畳て

中桐の黒いも御意に三日の月

  紀川いくせもあり

たつか弓矢に行く水や三日の月

池水も七分にあり胃の月

  雲井にかけれの査に

傘持は月に後ろすがた也

小くらがり故郷の月や明石潟

  水想観の繪に

我書てよめぬものあり水の月

夢かとよ時宗起きて月の色

 熱田にて

更々と禰宜の鼾や杉の月

月出て座頭かたむく小舟かな

宿とりて束をとぶやくれの月

  維摩の讃

山のはは大衆なりけり床の月

  張良国

讐中の兵いでよ千々の月

  布袋の月を掬ろ繪に

有てなき水の月とや爪はじき

  閉倚橋

猿這ひに我とらんとや橋のつき

寺の月葡萄膾は葉にもらむ

  小野川検校に錢

入る月や琵琶を帒にをさめけむ

聲かれて猿の歯白し峯の月

  契不逢戀

閨の火にひかる座頭や袖のつき

  病中制禁好

橋桁の串海鼠(くしこ)はづすや月の友

  遊 子

いねぶるな松のあらしも江戸の月

鴈啼くや弓弛をみれば暮の月

  玉津島帰望

わかはみつ更井の月を夜道かな

燃杭に火のつきやすき月夜裁

包丁の片袖くらし月の雲

月のさそふ詩の舟加山市か川武か

  長柄文臺之記

もろ月も打かしの橋に朽目かな

  仲麿画賛

月影や匹を帆にまく三笠やま

月をかたれ越路の小者木曾の下女

月になりぬ波に米守る高瀬歌

  満 百

ありあけの月になりけり母の影

有明や時夜ながらの君と伯父

  所 思

いざよひも公づくしや十四日

待ち宵や明日は二見へ道者われ

木母寺に歌の會ありけふの月

烏帽子屋はゑほしきて見よけふの月

  雨

駒とめて釜買ひとりけふの月

川すぢの關屋はいくつけふの月

納屋に何雨吹きはれてけふの月

  含秀亭

富士に入る日を空蝉やけふの月

  琵琶行をよむ

北ハ角我句猿

十五から酒をのみ出てけふの月

  所思 京にて

いはぬ事三つ心に名ありけふの月

汐汲をかゝヘて見ばやけふの月

鯛は花は江戸に生れてけふの月

ましらふに飲まざるもありけふの月

  文 略

信濃にも老子はありけふの月

酒くさき鼓うちけり今日のつき

(註 其角の弟信濃にあり、老父の看病の為に江戸に来た折の句)

  湯妻舟の檜に

おもふ事なげぶしは誰月見舟

  得蟹無酒

蟹を畫て座敷這はする月見哉

人音や月見と明かすふしみ草

  風 雨

雷に楫はばひきそ月見船

  平家落ちの屏風に

宿無しのとられて行きし月見哉

てっぺんに丸盆おいて月見かな

  一休の狂歌自畫を寫して

律師沙羅相剃りをして月見かな

  上交語上

平家なり太平記には月も見ず

娘には丸き柱を月見かな

  僧と咄あかして

少便に起きては月を見ざり鳧

名月や畳の上に松のかげ

名月やこゝに住吉の佃島

名月や居酒呑まむと頬かぶり

名月や竹を定むるむら雀

名月や金くらひ子の雨の友

名月や輝くまゝに袖几帳

  三日糧を包むといふに

名月や十歩に錢を握りけり

  柴ふるひ荷へる人に

名月や皺ふるびとの心世話

名月や人を抱く手を膝がしら

  鐘聲客船

名月や御堂の太鼓かねて聞く

名月や今年も筆にへらず口

新月や何時を昔の男山

  閏十五夜 前の十五夜江戸雨降りければ

御番衆は照る月を見て駿河舞

  待乳山

今宵満てり棹の蒲団にのる烏

  松前の君に申しおくろ

こさ吹かば大根でけさむ秋の月

  宗囚がまづ月をうるの句をとりて

芋は/\は凡そ僧都の二百貫

君が云いけむと云すてゝ出たるあした

物かはと青豆うりが袖のつき

いざよひや龍眼肉のからごろも

十六宿は儒者と名乗りし姿なり

あたかの童に扁とらする畫に

關守の心ゆるすや栗かます

山川やこずゑに毬はありながら

いが栗に袖なき猿のおもひ哉

栗賣の玄闘へかゝる閑居かな

  あふひの上の後花子喜太郎に 

三栗のうはなりうちや角被(つのかずき)

生栗を握りつめたる山路かな

  如是果の心を

二子山双子ひろはむ栗のから

泊瀬女に柿のしぶさを忍びけり

  嵯峨遊吟

清瀧やしぶ柿さはす我心

  霧香月灯を憐む

古寺や澁紙ふまむところだに

  駿府御番に旅立給へる人に

たがうへに賤機ごろも木澁桶

御所柿やわが歯にきゆるけさの霜

問ひ来かし椎いる里の松葉より

月日の栗鼠葡萄かつらの甘露あり

千籠の柚の葉にのりし匂ひかな

南天やおのが實ほどの山の奥

南天の實をつゝめとや雁の聾

南天や秋をかまへる小倉山

  子なきことをな嘆く夫婦に

おもふ葉は思ふ葉にそへ秋菓

  種竹三竿

竹のこゑ許由がひさごまだ青し

茸(くさびら)や御幸のあとの眉つくり

茸狩や山のあなたに虚勞病

たけがりや鼻の先なる歌がるた

  松吟尾の庭に嵯峨野の土を掘り移して

  薄に松などそのまゝにもてなす中にしめじ初茸あり

行かずして都の土や木の子狩

松の香は花と咲くなり桜蕈  

鳳来寺の山の邊を過ぎる時

冷泉の珠数につなげる茸かな

松の葉にその火先づたけ蒜醤油

川芎の香にながるゝや谷の水

稲葉見に女待らそへすみだ川

いねこくや鷇(ひよこ)をにぎら藁の中

敷臺に稲干す窓は手織かな

いつしかに稲を干す瀬や大井川

稲塚の戸塚につづく田守かな

にはとりの卵うみすてし落穂哉

早稲酒や稲荷よび出す姥がもと

足あぶる亭主にとへば新酒かな

  太郎二郎の貝をとりて

かけ出の貝にもてなす新酒裁

  横几追悼

一鍬を手向にとるや新麴(こうじ)

よこ雲やはなれ離れの蕎麦畠

種茄子北斗をねらふひかり哉

茶のけしき咄しむころや新豆腐

生綿とる雨雲たちぬ生駒山

あほうとは鹿もみるらむ鳴子曳

七十の腰もそらすか鳴子引

雛の下葉つみけり宿のきく

いきぬけの庭や鐙摺菊の花

手のうちのひよここぼれて菊の宿

駕にぬれて山肺の菊を三島かな

しほらしき道具何ある菊の宿

  荷兮が従者短冊ほしがるに

土器の手ぎは見せばやけふの菊

けふの菊小僧で知ろやさらさ好

きくの香や瓶よりあまろ水に迄

白雞の碁石になりぬ菊の露

雨重し地に這ふ菊をまづ折らむ

こは誰に雨ののこりの袋ぎく

  畫 菊

きく白く莟(つぼみ)は後にかゝれけり

 

  素堂残菊の會に

此きくに十日の酒の亭主あり

 

  菜 苑

菊をきる跡まばらにもなかり鳧

  病 起 千山より菊を得て

大母衣のうしろを押すや瓶の菊

  三島にて重陽

門酒や馬星のわきの菊を折る

  宮川のほとりに酒送らせられて

重箱に花なきときの野菊かな

  みととせの桃の名におふとよみけるに

いかで我七百の師走菊にへむ

  竹苑のやごとなき種を移して

出世者一もとゆかし作り花

時服蔵菊に菊の笆(まがき)かな

千々のきく歌人の名字しのばしく

  袖の浦といふ貝づくしに

白菊を貝の實にせむ袖のうら

  笠きたる西行の圖に

菊を着てわらぢさながら芳しや

  女の子をねがひてまうけたる人に

かに屎にうっらふ花の妹かな

観世殿十日の菊をかねてより

宸宴の残りもがもな菊鱠

  未曉唫

鐘つきよ階子に立つて見る菊は

翁さび菊の交(つる)に任せたり

籠鳥のゆるすにうとし園の菊

  千家の騒人百菊の餘情

菊うりや菊に詩人の質(かたぎ)をうる

柚の色や起きあがりたる菊の露

きくの酒葡萄のからにしたみけり

あほうとは鹿もみるらむ鳴子曳

七十の腰もそらすか鳴子引

鷄の下葉つみけり宿のきく

いきぬけの庭や鐙摺菊の花

手のうちの雛こぼれて菊の露

駕にぬれて山路の菊を三島かな

しほらしき道具何ある菊の宿

  荷兮が従者短冊欲しがるに

土器の手ぎは見せばやけふの菊

けふの菊小僧で知るやさらさ好

きくの香や瓶よりあまる水に迄

白雞の碁石になりぬ菊の露

雨重し地に這ふ菊をまづ折らむ

こは誰に雨ののこりの袋ぎく

  畫 菊

きく白く莟は後にかゝれけり

 

  素堂残菊の會に

此きくに十目の酒の亭主あり

 

  菜 苑

菊をきる跡まばらにもなかり鳧(けり)

  病 起 千山(紀伊国屋文左衛門)より菊を得て

大母衣のうしろを押すや瓶の菊

  三島にて重陽

門酒や馬星のわきの菊を析る

  宮川のほとりに酒送らせられて

重箱に花なきときの野菊かな

 みちとせの桃の名におふとよみけるに

いかで我七百の師走菊にへむ

  竹苑のやごとなきたねをうつして

出世者の一もとゆかし作り菊

時服蔵菊にはきくの笆(まがき)かな

千々のきく歌人の名字しのばしく

  袖の浦といふ貝づくしに

白菊を貝の實にせむ袖のうら

  笠きたる西行の圖に

菊を着てわらぢさながら芳しや

  内藤風虎公十三回忌

菊の香やたぶさよごれぬ箙(えびら)さし

  九月九日偏を拾ひける人に

きくや名も星に輝く鐙あふぎ

  菜花餞別

友成は菊の使いに播磨まで

手入かなよしある賤がむかし菊

  産寧坂くだりて

菊紅葉鳥邊野としもなかり鳧(けり)

菊もみぢ水やはじけて流るめり

水鼻にくさめなりけり菊椛(もみじ)

  母と月見けるに

寝られねばこ雨元政の十三夜

うれしさや江尻で三穂の十三夜

しかぞ住む茶師は旅寝の十三夜

薬研では粉炊(こがし)おろすか後の月

後の月上の太子の雨夜かな

のちの月躍りかけたり日傘

白鷺の蓑ぬぐやうに後の月

  いづれも古郷をかたるに

後の月松やさながら江戸の庭

はらゝ子を千々にくだくや後の月

家こぼつ木立も寒しのちの月

樽むしの身を栗に嗚く今宵かな

住の江や夜芝居過ぎて浦の月

白玉に芋を交(かへ)ばや瀧のつき

観匿殿十日の菊をかねてより

宸宴の残りもがもな菊檜

やよや月夜は物なき木挽町 

漬け蓼の穂に出る月を名残かな

笈の菓子古郷さむき月見哉

  御遷宮の良材ども拝奉りて

大工達の久しき顔や神の秋

  御齊詣で奉りて

御穂をとりて髪ある真似のかざし哉

  内宮法體の遠拝なるに

身の秋や赤子も参る神路山

  外 宮

日は晴れて古殿は霧の鏡かな

太々や小判並べて菊の花

  雲津川にて

花薄祭主の神輿送りけり

  二月堂に参りけるに

七日断食の僧堂のかたはらに行ふ聲を聞きて

日の目見ぬ紙帳もてらす栬(もみじ)かな

かつちりて翠簾に掃(はか)るゝ紅葉哉

  戸越山庄

むら紅葉荏(え)の實をはたく匂かな

谷へつけ鹿のまたきの紅葉がり

  三條橋上

片腕はみやこにのこす紅葉かな

紅葉にはたが教へける酒のかん

山姫の染がら流すもみぢかな

  筥 根

杉のうへに馬ぞ見え来る村紅葉

もみぢ見る公家の子遠か初瀬山

道役に紅葉はくなり佐夜の山

もみぢして朝熊の柘といはれけり

  大 山

腰押やかゝる岩根の下もみぢ

山ふさぐこなた面や初もみぢ

  新殿六開港

水つかぬ塵のはじめや下紅葉

気のつまろ世やさだまりで岩に蔦

木葉の食蘿を狄(えびす)秋のにしき哉

この風情狂言にせよ蔦のみち

  うつの山の檜に

笈の角梢の蔦にしられけり

  鶴が岡古樹のもとにて

ありし代の供奉の扇やちる銀杏

  道弘福寺

木犀や六尺四人唐めかす

うら枯や馬も餅くふ宇津の山

  餞(はなむけ)少長上京

うらがれに花の袂や女ぼれ

  白扇倒懸東海天といへる句をつねに此頂に対して

手に握りたる心ちせらる

白雲の西に行くへや普賢不二

  洞房の茶屋孚兄生前笛を好みけるが失せたるを悼て

とぶらへや笛のためには塗足履

見し月や大方晴れて九月盡

  吉野山ぶみせし頃

頼政の小唄は悲し九月盡

  怨閨離 

傾城の小歌は悲し九月盡

雁鹿蟲とばかり思うて暮けり暮

  九月盡

寝ぬ夜松風身のうき秋を師走哉