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原爆・民族独立運動の朝鮮人犠牲者 朴慶植氏著 一部加筆

2023年09月01日 19時55分54秒 | 災害の記憶

原爆・民族独立運動の朝鮮人犠牲者
朴慶植氏著 一部加筆

広島・長崎の朝鮮人被爆者は十万人、そのうち死亡者が半数に達し、現在生き残りは二万人と推定されている。かれらの大半は戦時中、三菱重工業(三菱造船所、三菱機械製作所、三菱製鋼)、日本製鋼、川南造船所あるいは呉海軍施設部、軍需輸送労務などに集団的に強制連行されていったものたちである。
これらの朝鮮人原爆犠牲者・被爆患者に対し、日本政府当局、日本の大企業当事者は何らの責任も負わず、何らの保障も行っていない。
 広島の三菱造船所徴用工の一人であった朴海君のケースを例にあげよう。
「故郷の父母は八月十五日の解放を迎えて、息子の帰るのは今日か、明日かと毎日駅に出て待っていたそうだ。しかし八月を過ぎ、九月を越しても戻ってこないものだから、原爆の犠牲にあったものと泣き暮していた。その父母の前に私が現われたのは十月一日だった。数日間外出せず、弱りきった体の回復につとめた。隣近所や元の勤め先に挨拶に行ったところ、みんな幽霊でも現れたかという顔をして驚くばかりだった。勤め先の裁判所では解放後一か月しても帰らないので原爆のため死んだとみなし、他の人を新しく採用したという。…………広島に行って苦労したこと、原爆の恐ろしいことを他人に話せば聞いてはくれるが、馬鹿にされ、笑いものになるだけのように思えた。こうしてルンペンの苦難の道が始まった。当時は私だけでなく、広島や日本各地から帰国した人がみんな味わねばならぬ苦しみだった。
とくに広島や長崎の原爆被害者は原子病で次々と病床に倒れていった。私も例外でなく、日がたつにつれて、消化不良や貧血症で床につくようになった。診察費や薬代で家の財産をつかい、年とった父母や兄弟に面目なくて幾度も自殺することを考えた」(朴秀馥、郭責勲、辛泳洙『被爆韓国人』)
 一九三〇~四五年間、民族独立のために立ち上がった民族主義者・共産主義者をはじめとする愛国者三万余人が治安維持法・保安法などによって検挙投獄され、そのうち八・一五解放の日をみることができず犠牲となったものが多い。とくに中国東北地方で抗日パルチザンに参加した人たちは日本軍警の武力弾圧で多くの犠牲者をだした。
不十分な統計によってみても一九三二~四〇年に死亡者六五九三人、負傷者四万二五五二人、被逮捕者一万一二五〇人となっている。


エネルギー政策を見直し 100%再生可能エネルギーヘ 河野太郎 こうのたろう……

2023年09月01日 15時31分44秒 | 災害の記憶

エネルギー政策を見直し 100%再生可能エネルギーヘ

私達はどう生きて行けばいいのか『朝日新聞「エアラ臨時増刊」2011

河野太郎 こうのたろう……

1963年生まれ。96年初当選、当選5回。法務副大臣など歴任。2009年には総裁選に出馬し敗れた。父は洋平氏

今回の事故で、国が原子力政策の見直しを迫られることは確実です。 確かに、今回の津波は「想定外」でした。しかし、そもそも事故とは想定外のことが起きたときに起きるもの。

それへの対処があまりにひどい。国や電力会社の会見は責任をなすりつけあっているようにしか見えません。そもそも「想定内」のこともできていなかった。使用済み核燃料など放射性廃棄物をどう処分するのか。高速増殖炉もないのにプルトニウムを取り出してどうするのか。様々な矛盾をそのままにして、多大な金を原発につぎ込んできました。

 なぜ、そんなことが許されたのか。 それは電力会社を誰もきちんとチェックしてこなかったからです。自民党は電力会社とべったり、民主党は電力会社の組合とべったり。霞が関とは天下りでうまい汁を分け合ってきました。電力会社はメディアにもスポンサーとしてエネルギー政策に関する報道に介入してきました。それぞれが東京電力とともに、今回の事故に至った責任を認めなくてはなりません。政治家は電力会社から献金を受けず、メディアも電力会社から広告を受けるのをやめるべきです。

 日本は、将来的には、かなり遠い将来かもしれませんが、100%再生可能エネルギーに転換していくべきだと思います。原子炉の耐用年数がくるたびに、きちっと廃炉にし、とりあえずは一番クリーンな天然ガスに置き換える。サバリンに豊富な天然ガス資源を持つロシアとの関係を良好なものにしつつ、太陽エネルギーや風カエネルギーなど再生可能エネルギーを増やしていく。災害対策という意味でも、再生可能エネルギーは分散型だから、今回のように災害が起きても、一気にすべてがダメになることはない。政治は、物事がきちんとまわるようにするためのものです。日本の政治は、エネルギー政策に関してずっと間違ってきました。それが今回噴出した。原発事故が収束に向かったら、聖域なき見直しをしなくてはなりません。節電はもちろん大切ですが、電気のない生活はありえません。もうパソコンのない生活は考えられないのですか


物語の教訓はシンプル 「金より命」「マニュアルより直感」 私達はどう生きて行けばいいのか『朝日新聞「エアラ臨時増刊」2011

2023年09月01日 15時30分17秒 | 災害の記憶

物語の教訓はシンプル 「金より命」「マニュアルより直感」
私達はどう生きて行けばいいのか『朝日新聞「エアラ臨時増刊」2011
内田 樹(うちだ・たつる)1950年生まれ。3月末まで神戸女学院大学教授。専門はフランス現代思想、武道論、映画論など。阪神大震災で被災

 パニック映画の登場人物たちが直面する究極の選択は、「カネを取るか、命を取るか」あるいは「マニュアル通りにふるまうか、ルール破りを辞さないか」である。「ジョーズ」では、巨大人食い鮫が出没しているから海水浴客を避難させろという警察署長の訴えに、観先取入滅を案じた市長が耳を貸さない。市長が先走って「安全宣言」を発令したせいで、人々は鮫に食われてしまう。「ポセイドン・アドベンチヤー」(古い方)では、船が転覆したときに「想定内の事故ですから、マニュアル通り、じっと助けを待ちましょう」というパ-サ-、「想定外の事故だから緊急避難的な対応が必要だ」と自力脱出を主張する牧師が対立。パーサーたちは全員溺死する。 原発を鮫に、原発推進派を市長に置き換えると、今原発で起きている出来事は「ジョーズ」の構図とほとんど同一であることがわかる。おそらく津波直後の原発でも、現場の技術者と経営陣の間では、「ポセイドン」のパーサーと牧師の間の議論に似たものが展開していたのではないか。
 パニック映画を侮ってはならない。これらの物語はおそらく人類史の黎明期から繰り返し語り伝えられてきた原型的な説話を再演しているからである。 平穏な時代にどうふるまうと自己利益が増大できるかのノウハウについては、書店のビジネス書コーナーに有用な知識を満載した本が山積みしてある。
けれどもいったん秩序が失われ、マニュアルもガイドラインも無効になったときにどうふるまえば生き延びられるかについて書かれたものは、ビジネス書コ-ナ-はたぶん一冊も存在しない。それは物語の書架に見出す他ない。
 私たちが胸躍らせる物語のほとんどは「予想もしなかったトラブルにいきなり巻き込まれた主人公が、限られた情報と手持ちの資源だけで窮状を脱出する話」である。『城』から『ロング・グッドバイ』までその点では変わらない。それらワンパターンの物語を私たちは太古から倦むことなく服用してきた。そこに「危機的状況を生き延びるための知恵」があったからである。 物語が教える教訓はまことにシンプルである。「金より命」「マニュアルより直感」。


私達はどう生きて行けばいいのか 「答え」はいつも目の前にある 見えていないのは「問い」の方だ

2023年09月01日 13時14分13秒 | 災害の記憶

私達はどう生きて行けばいいのか

「答え」はいつも目の前にある 見えていないのは「問い」の方だ

  養老孟司(ようろうたけし)氏著

地震や津波は自然災害だが、福島第一原発の事故は完全な人災だ。携帯電話には防水機能があるのに、原発の電源装置はなぜ水に浸かると使い物にならなくなるのか。その根本が私にはまったく理解できない。東京電力は電気が専門の「電力会社」だ。これは、ものすごい手抜きである。

 原発が安全か危険かの議論をしている間に、本当の意昧での安全性が「嘘」になっていたのではないか。議論そのものが肝心な作業を妨げていたと言ってもいい。もっと悪く言うと、原発の反対派も推進派も、結果的に両者が共同して手を抜いていたということ。私が政治を嫌うのは、そういうところである。われわれの生活に関係があることは、賛成か反対かというイデオロギーで考えてはいけない。

 大切なのはトータルで物を見る総合的な合理性である。そういう意昧での「安心感」がない人が、非常に増えた。福島で起きたことは、部分合理性にしか目が向かなかった結果である。

 この震災が自分に問いかけているものは何なのか。最後は、教育に行き着く。長い間、アメリカ式の問題解決型の教育になっていた。自然を見るということが理解されなくなってきた。葉っぱはなぜ重なることなく配列されているのかと言えば、最大限の日照を得るためだ。その効率性はコンピューターで計算すれば何通りも答えは出るのかもしれないが、ともかく葉っぱは重なっていない。自然は初めから「答え」を出している。見えていないのは、なぜかという「問い」のほうだ。

 人生は何のためにあるのかという質問に意味がないのは、人生はいろいろな問題に対する答えだからだ。頭で「自分の人生は何なのだ」と考えても、絶対に答えは出てこない。

 震災をふまえた提言と言われると、ああすればいい、こうすればいいという話になる。それも、私からすれば根本から意見が違ってくる。千年にI度の大地震が起きた。その結果が目の前にある。けれども、被災者たち、われわれは、これからも生きていく。そのことに何ら変わりはない。

 拝すべきものは、「答え」ではない。この震災から「問われているもの」は何かということだ。