神はサイコロを振らされているだけだ!

2005-05-22 | 自然科学
さっき、前回までの電子や光子の二重スリット実験の話で、
最後にスリットに形跡を残す瞬間に、神がサイコロを振るのかどうかということについて、
意見を書いていたら、手元がくるってリターン・・・
すべて消えてしまった・・・
よって、要旨だけ書く。

波束が収束し、一点に形跡を残す。これは、電子や光子が粒子として、
一個二個と数えることができるということの存在形態にかかわることだろう。
素粒子のアイデンティティーの問題にも関連するだろう。
この辺は、しっかり勉強する必要あるかも・・・私自身。反省。

収束するのはあたかも、神がサイコロを振っているかのよう・・・

ミクロな実験装置をうまく作り、素粒子の物理現象について、
神がサイコロを振っていないものを観測したら、
それは偉大な発見となることは、間違いない!

トンネル効果や、不確定性原理の壁が立ちはだかって、思考が停止しがちな領域なのだろうが・・・

ところで、最近、電子などを小さな空間に閉じ込める実験が流行している。
ミクロな現象をミクロなまま検出し、理解したいという欲望の現われだろう・・・

一方、結晶の中の電子状態はミクロなままでは検出できない。これらから検出できる電流や光吸収などは集団的現象である。マクロな実験系だ。

スリット、電子銃、スクリーンといった実験系もマクロな装置のため、
神は、人間の作ったこのサイコロを振らされているのだ! 
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