今年も 8/15が近くなってきた.今年は安倍さんが 変なものを持ち出すものだから 何となく不安な敗戦の日
になりそうである. もう戦争を知らない人達の時代になった ツイッターなどという奇妙なものが 流行りだした.
瞬間的な 人の心情に触れることが 多い 「真意が理会されていない わたしの言ったことのいちぶぷ゛ンを
切り取って 都合のいいように 使われた.などと トラブルが多い
しかし,一旦世間に飛び出した 言霊は本人がなんと弁解使用とも 人の嗽や真意を汲み取ってもらえるほど
世のなか甘くはない.
「敗戦の日も今年で終わりかな」と言うと女房は「あなたは生命力が強いから 100まで生きるかも」
というが ごめんだね.
特攻隊の人達の話を聴くたびに 知ラン飛行場を作ったときを思い出す まさかあの飛行場が特攻の基地になろうとは
夢 知らないことであった 丁度炎天下の夏に一ヶ月動員された 小学校が宿舎になった 毛布一枚支給された
勿論 風呂などが有るはずがない そばを流れる川の水で汗まみれの体を拭いた
蚊には悩まされた.それにダニ,虱一ヶ月を終えて 叔母の家に帰ったとき 疎とで釜をおいてきているものは
消毒した 驚くほどの虱の市外があった 体中皮膚病にかかって苦しんだ思い出がある
沖縄出身の赤崎中尉もここから特攻に飛び立っていった
最後の別れの帰省だったのだろうか.荒天のため船が欠航して 旅館で偶然に知り合った
「坊主 何かの縁だ ご馳走してやろう』といって料亭に連れて行ってもらった.
芸子さんたちも呼んでいた.「坊主はこんなところ先生に見つかったら 退学物だぞ といいながら
わたしの周りを屏風で囲んでもらった 深夜2時ごろまで付き合った 下宿は弁護士さんの家であったから
さぞご心配をかけたと思っているそれからまもなくして 赤崎さんは特攻で飛び立った
わたしも 赤崎さんの後和応用に 海軍和志願して 入隊 実践配備をマエニして敗戦の日和迎えた.
其れもう 恥ずかしくていえの門をくぐれなかった