千年 万年の知恵

2015-08-12 20:15:25 | 日記

島国の中で生まれ 海水で産湯を使ったわたしたち日本人のDNAの中には「船板 一枚地獄の底」という重いが隠されている

それは 大自然を 恐れる 大自然を敬服するという敬虔な至誠である

今日のように マスメディヤが発達したIT社会では 刻々と転校の変化が報じられる時代と違って そんなツールを持たなかった時代は

神のお告げの代弁者として 古老の一言は 大変な重みを持っていた

「おじさん 今日の天気は どげんな」『そうな 東風やなあ 中の瀬あたりで うねりが強いかなあ うん まあたいしたことなか』

今年も台風が来るンかいな   そうやね 2,3回はくるね  でもたいしたことはなか

自信たっぷりだが これが良くあたる

おじさんたちは 早朝から 海岸に出て 雲行きをみながら 海のにおい和回ででもいるように

人間の 五感を信じますか 私たちは 相して生きてきた

だから 原発に不安になったり 最近の風潮が 気がかりになったり するんだろう

おじさんたちにとっては 学識経験者も 専門家も 自分たち和たすけてはくれないこと和心得ている.

それだけではない どんなときに どんな仕打ちを受けるかも 知っている


苦あれば楽あり,楽あれば苦もまたあり これ死語にあらず

2015-08-12 19:39:23 | 日記

紐が切れた 凧みたいに 風に漂う だけの者ではいけない  本来の目的に達すことを 第一義にすえる

これが 正しい経済の姿である.

自由主義の 本家本元である アダム・スミスも 本来の姿を替え本能の赴くままの自由主義に大しては

きびしいく 神の手によって裁かれる という,

きびしい神の手とは何か  形を変えた神の手は 国民の手になる 性字ではないのかと 思われる

元々 資本主義の下での経済は 「永遠に続く繫栄の経済学というのは」期待するほうが誤まりテ゜゛アルる

人間が 奴隷となり 芥のようにこき使われる 暮らしの中で いかに経済が繁栄しても 無意味なものである.

人間社会が行き詰まったとき 其の回復の装置となるのが 経済であり 税制である

70年前 わたしたち日本人は 其のことを 実を持って体験した 「身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあり」ということだ.

「農地開放」「財閥解体」「税制改革」70年前のこと和忘れてしまったか  ある日は其のときの体験者が世をさり

伝承されなかったか.

日本人の 地球創生 への厳粛な神の審判に逆らう 最近の 世情を見て心痛む思いである.

福翁夜話の中で 諭吉翁はこう警告する

「資産家が 莫大な財産を 自分の力で 汗水流して 働いて得たものであるから 其れを如何使おうが 勝手ではないか

という議論は よろしくない.なぜなら損な封調和社会に伝播させるからである」

将に経済インテリゼンスといわれるゆえん手瀬はないか.