「加齢」という 言葉は 哀しい 言葉である. 耳は聞こえなくなるし,目は視野狭窄で 世間が薄ぼんやりとしか
見えてこない. 腰はほとんど直角に曲がってしまった 羞じも外聞も無い.
「今日も恙なく行きました 有難うございました」夕べに南無阿弥陀仏を唱えて一日が終わるのである.
御金を持ってる人は大変だろうと 他人の心配もする. 騙されるといかんぞよ.一枚一枚数えて 其の日がくれるんだろうなと思う.
しかし金も財産もないと とても身軽でよろしい. 無手勝流である. 別に権力者に頭下げることも無い.
総理大臣が来ても 「やーや お元気で 結構 結構というだけである. 場合によっては 良くやってるじゃないかといって
頭の1つもなでてやるくらいの程度しか 加齢すると権力もわたしには 圧力にも何にもならない
しかし 唯一加齢視野の強みは 世間が透けて見えることであるる
先日も民主党の人が 総理に質問していた 核兵器和輸送することが 法的に可能だという防衛大臣の見解が表明されたが
自衛隊の後方支援では 核兵器も運ぶのか」「総理が言うにはわが国には書く三原則があって それは認められないと答弁した
若い民主党の方は「防衛大臣は放擲には可能といっている」総理「私はそんなことはしないと答弁している.」
民主党のひと「総理 私たちはいま法律を審議しているのです.総理はそういうが内閣が変わったときは通用しないかもしれない
法律の名かに 明記しておくべきではないか」 産経新聞や 読売新聞タ゜と総理の言うとおりだと書くでしょうなる
しかし 研ぎ澄まされた耳で聞き 心の馬手見ているとどうも民主党の一いる人のほうが正しい戸尾も運たが
総理が嘘和言っているとも思われない.しかし総理は質問の内容輪理解していないようだ
何故 それは自分が権力者だとかねがね思い込んでいるからである
人間 権力を握ると 何か人の出来ないことを やってみたいらしい 其の最たるものは「国威発揚」オリンピックが聡だし
其の延長上には戦争というものが待っている 其れが権力の恐いところである