木槿が今年も咲いた
朝に咲き夕にはしぼんでしまう一日花
儚い花の命を日本の茶人は好んだ
特に宗丹の好んだ宗丹木槿は
中心が紅い離弁花で茶人に特に好まれた
大きく成長した槿垣の家を通るときは
家人の心意気が感じられてうれしくなる
同じ葵科の葵も夏の空に似合っている
立葵の元気な風情も捨てがたいが
木槿の持つ奥ゆかしさには太刀打ちできない
底紅と言われ 内に秘めた美として好まれた
木槿の街路樹の下を通るとき幸せな気分になる
同じ花がお隣りの国韓国では
まるで違った解釈をされていることを最近知った
木槿は韓国の国花である
戦争が始まろうとしたころ
日本兵がメインストリートに咲いていた槿の木を
片っ端から切りとり日本の国花の桜を植えたという
韓国の人びとは宗丹木槿は
日本の国旗のように映るらしい
木槿の中心の紅色は血の色という
昔 日本人がおこなった行為に対する憎しみの花が
木槿であるという
韓国で長い間仕事をしていたTさんが 教えてくれた
私たちは何も知らされないで育ってきた
戦後六十一年たった今でも
何かのおりにふと溢れ出る
日本への根深い感情がなぜか
少しわかった
18. 8.15 記
八ヶ岳に囲まれて富士も眺められる。
冬には八ヶ岳下ろしが吹きすさぶ反面、
日照時間が日本で一番長いところでもある。
子ども時代、夏休みになるときまってここで過ごした。
五人のいとこと、じゃが芋の皮を剥いたり、麦の選穀をしたり、ほうとうを
作ったり、野山を駆け回ってげんのしょうこを摘んだりした。
夜になると外でござを敷き、満天の星を飽かず眺めた。
インパールの戦地で、九死に一生を得た伯父が、宝物のようなこの時を
いとをしむかのように、子どもたちに星の説明をしてくれた。
いつのころか定かでないが、私の心のなかで、棺を土の中に埋葬する
情景が時々浮かんでは消えるようになった。
いったい誰の土葬なのか、それとも幻なのか
ずっと疑問を持っていたのだが、
その理由が今になってやっと解かった。
葬儀の日「おばあちゃんを埋めてはいやだ」とはげしく泣いて、
周りの人たちの涙を誘ったのだそうだ。
苦労続きの花の枝おばあちゃん、
「孫にあれほど慕われて、決して不幸ではなかったよ」と、
今はもういない妹が家に帰ってしみじみと話したそうだ。
可愛がってくれたおばあちゃんが土の中に埋まってしまう恐ろしさが、
四歳の私の心を強く揺り動かしたのだろう。
透き通るような山並みに囲まれたこの家で、
どんな境遇にも負けずに一生懸命生きた
明治の女の息遣いが、今も聞こえそうな、ふるさとである。
平成7年に書いた文ですが11年後に花之枝の郷に行けたことが
不思議でもあり感激です。
一ヵ月に一度ぐらい書けたら良いと思っております。
よろしくね
快速で2時間ぐらいです。里山に野草が沢山咲いております。
花好きにはこたえられません。今クマガイソウがさかりです。
ばいも、むさしあぶみ、浦島草、マムシ草、
おおばなのえんれいそう、一輪草、二輪草、
山吹草、ときわ万作、えびね、東国三つ葉つつじ、
桜草、くりん草、羅生門蔓、十二単、一人静か、
図鑑片手に是非お勧めです。
列記したらきりがないほど咲いております。
私の祖母の名前が花之枝といいます。
おばあちゃんに会えるような気がします。