下町大空襲
炎に包まれた日を読んで
江東区大島に生まれ育ち、昭和20年3月10日の空襲を被災した人たちの記録です。その時、4、5歳の子供でしたが鮮烈に記憶していているのです。
戦争体験記を有志が作りたいと言ったとき高根さんの娘さんがぜひ「あの日」を知りたいという思いで引き受けられました。
あまり家でも語られなかった記録、せきを切ったように16人の生きた言葉の体験記ができました。
読めば読むほどすごい記録になりました。
体験した人しかわからない説得力を秘めています。
「今や沼地はすべて埋めたてられて住宅地になり、死体が埋められた公園には桜の花が咲きあふれている」に感慨深い思いがしました。私は26年に引っ越してきました。焼け跡の中で建売がどんどん建てられ人が急に増えました。学校も追いつかず2部授業でした。
こんな悲しい現実を考える間もなくその上に家を建て生活してきたのです。Fさんの叔父さんの書かれた手記、地図で町の様子がわかります。
その当時から羅漢寺はありました。お釈迦様の日には甘茶をもらいました。鳥長では朝炊き出しをしたと書いてありました。その鳥長も今年閉店をし、長い歴史を閉じました。
悲しい現実の上になにか空恐ろしいエネルギーが漲っていた町でした。
それは100万人以上の犠牲者が私たちに力を貸してくれたのかもしれません。
今の自分たちがあることを感謝したいと思います。
合掌