虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

歩こう!歩こう!私は元気!

2024年10月18日 | 絵本が好き

gooブログの編集画面にある、「今日の一言」興味のない質問もあるけど、パッと答えたくなる質問には、すぐに反応してしまいます。
17日の質問は、「名作だと思うアニメはなんですか」
スタジオジブリ作品がお気に入りで、特に好きな3作を答えました。
「となりのトトロ」もマイベスト3の一つ・・というか、一番好きかもしれない。

しかし、このタイミングで・・
そのトトロの主題歌「さんぽ」を作詞した中川李枝子さんの訃報が届いた。
以下は「さんぽ」の動画をあげてくださった方のX。感謝。



同じ日に有名な俳優さんが亡くなり、昨今は昔なじみと言えるくらい耳になじんだアニメの声優さんなど訃報も続く。涙。
いろんなことが変化してゆく、時代のまっただ中で。

変わるものは変わり でも残るものは残る。

絵本「ぐりとぐら」シリーズは、子どもたちの大好きな名作だが、この作品で育った子どもたちも、今は親になり、次の世代に読み聞かせしていることだろう。何があっても残るものは残るんだ。

同じように、小さい人たちにずうっと愛されている作品「となりのトトロ」主題歌の「さんぽ」を作詞された中川李枝子さんの歌詞のフレーズ
「歩こう、歩こう、私は元気」に、いきなり、心をつかまれましたっけ。


  


徳間書店が出していた「となりのトトロ」の本には、中川李枝子さんの解説があって、その解説がとてもすてきたったのを思い出します。
ちょっと昔の本の棚を探したら、ありました。
中川さん、こんなことを書いてらした。

草壁さん一家が住んだ古い家もホントにありました。玄関も廊下も階段も、台所もお風呂もトイレも、あのとおりでした。サツキとメイが最初に見つけた不思議なもの「ススワタリ」もホントです。私の家にもいましたから。台所や土間の薄暗い隅っこにいて、大掃除があるとよそへ移っていきました。
トトロもホントにいました、というより、森にトトロがいるのは当たり前でした。洞や古い木のウロに棲み、のんびり気ままに暮らしていました。ただし、人の目には見えません。それなのに、サツキとメイに見えたのは、お互い通じ合うものがあったからでしょう。



中川さんは、自分もここに生きていた。と言っていたように、当時の私も、うんうんとうなずきながら、だよね、だよねと、おんなじように思ったのでした。
初めてテレビ放映されたのを見たときは、日本はバブルの真っ最中で、社会は前ばかり見ていた。自然も壊して、山も削られて、道路が通り、リゾートホテルに、スキー場だのゴルフ場だのが、次々にできていた。
でも、それが人の幸せに結びつくとは、私には思えなかったから、よけいに「となりのトトロ」は、ガツンときたのです。

確かにメイちゃんと同世代くらいの私の生まれた小さな町にも、有名な巨木があったので、中川さんの書かれた事への共感は、はっきりとわかります。
手ぬぐいを姉さんかぶりにした近所のおばあちゃんもいたし、手ぬぐいをズボンのベルトに挟んで、腰にぶら下げていたお父さんもいた。
お父さんの(研究資料がごちゃごちゃに山積みされた)木の机と椅子もあった。ポンプでくみ上げる井戸水、かまどで炊くご飯、木造のボロの小学校。濃紺の制服を着たバスの車掌さんもいた。畑のそばにはヤギがいて、びっくりしたり。私は、メイちゃんだったかな。
素朴だけど、幸せだったな。

中川さんも書いていた。トトロやネコバスは、ホントにいるのだと。
2024年、時代はどんどん進み、中川さんもついに旅立たれたけど、トトロは今もきっといて、坂道を走っていく子どもたちの側にふわっと浮かんでいるかもしれない。見えないネコバスはビルの間をものすごい勢いで走り抜けている。

私たちが彼らのことを忘れない限り、サンタクロースがいなくならないように、トトロもずっとずっと日本のどこかにいる。
大人になっても、ほうれん草をゆでながらふと、トトロのことを思い出す人がいる限り、トトロはいる。


 


余談ですが、映画館で公開されたときは、
「となりのトトロ」は、「火垂るの墓」と同時上映だったのですね。

「火垂るの墓」は、あまりにも悲しくて、一度見たら、辛くて、かわいそうで二度と見られなかった。
でも、節子ちゃんが亡くなって、平和な時代になって、戦後生まれのサツキちゃんとメイちゃんは両親に甘えて、不思議な生き物にであって、大声で笑って、元気な子ども時代を過ごした。

節子ちゃんと、サツキとメイの子ども時代。あまりにも幸不幸がはっきりしていて、どちらがいいか、答えは言わずもがな。
だからね、「火垂るの墓」と「となりのトトロ」二本立ての上映だったのは、高畑監督と宮崎駿さんが仕込んでいた、二つで一つの反戦映画だったのかもしれないなと今になって思うのだ。


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安野光雅「旅の絵本Ⅱ」

2021年01月26日 | 絵本が好き

昨年12月24日、画家で絵本作家の安野光雅さんが亡くなった。





私は、「旅の絵本Ⅱ」を持っている。Ⅱは、イタリア編。
古き良きヨーロッパの風景、最初から最後まで絵だけ。
でも、少し上から見た世界は、俯瞰しながら、細部までよくわかる。
馬に乗った旅人とともに、田園風景の田舎から町へ、大きな町から海辺の町へ、移りゆく景色と建物や人の暮らしの営みの変化、を感じながら、旅をしていく。
人生、生きることそのものが旅なんだと、今は感じてしまう。

開いたページのそこここに、アダムとイブから始まって、受胎告知、東方の三賢人、キリストの誕生、ページが終わる頃には、「最後の晩餐」や十字架のキリストまで、さりげなく描かれている。
他にも、3匹の子豚やピノッキオ、etc.etc.…童話や映画の一場面が、小さいけれど存在感のある一場面があちこちに描かれており、興味は尽きない。
あまりにさりげなく描かれているので、見落としてしまうこともあるが、新たに見つける楽しみもある。

たまに何の気なしに開いて眺めているだけでも楽しく、豊かな気持ちになれる。
主人公の旅人だけでなく、そこに住んで暮らしている人々の一人一人、誰もが、自分の人生という旅の途中だ。

言葉の一つもない絵本の唯一の言葉は、安野さんの「あとがき」です。
最初に読んだ頃より、時を隔てて今読んだほうが、よりわかる気がする。魂の部分で。

(抜粋)
●ヨーロッパと日本では、言葉や、文字や、生活習慣など違うことばかりのようですが、別れるとき涙する人間の心には少しもちがいはなかったのです。心が同じということに比べれば、その他の形式的なちがいの、なんと小さなことでしょう。

●私はヨーロッパに沈む太陽を見て、それが世界中の、どこで見ても同じ一つの太陽だという、ごく当たり前のことをあらためて思いました。私には、ヨーロッパの言葉はわかりませんが、人の心はわかるのです。

●この本には言葉や文字がありません。でも、この本の中の人々が、何を思い何をしているのか、きっとわかってもらえるものと信じています。


手元にある絵本は1979年の第三版。あちこちシミが出ているし、破けて補正したテープも黄ばんでいる。
でも、ずっと手元に置いておきたい絵本です。

感謝と共に安野光雅さんのご冥福を祈ります。





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実写化される「精霊の守り人」

2016年03月15日 | 絵本が好き
   


上橋菜穂子原作のファンタジー小説「精霊の守り人」が実写化される。
はじめて読んだのは、まだ息子に本の読み聞かせをしていた頃。もうかれこれ20年近くも前になるのか…

すぐれた物語は、読んでいるうちに自分がその世界にすっぽり入り込んで生きているんじゃなかろうかと思えるような感覚を覚えたりする。
ハリー・ポッターもそうだったけれど、それに勝るとも劣らぬくらい、上橋菜穂子の守り人シリーズは、背景やディティールがしっかりしていて、そんな世界がほんとうにあるような錯覚を覚えるくらい面白かった。



   


当時は、読みながら頭のなかで、実写化するなら女主人公バルサは絶対、高島礼子さんだな、と思っていたのですが、まさかまさかの出演でしたよ。
和風の顔立ちながら、理知的でキリッとした意志の強そうな切れ長の目は、小説の中のバルサの目、そのものじゃありませんか。ガッチリした肩幅も、頼もしい。それでいて、そこはかとない母性も漂う。
しかし、あれから月日は流れ、高島礼子さんももう50歳の大台に乗ったと言うに(衰えぬ美貌は素晴らしいけれど)、さすがにあのアクションは大変よね―
・・・・って、バルサじゃなかったわよ。・・・まあ当然でしょうが。



   

呪術師トロガイ、しかも、誰だかわからない特殊メイク。これじゃ、だれだっていいじゃんね。
なんで、よりによって高島礼子さんなのか。もしかしたら、このキャスティングした人も、最初の出版時に読んで、バルサに高島礼子さんをイメージしてこだわったあまりなのか?・・・と、深読みし過ぎでしょうか(笑)
でも、誰かわからなくても、さすがの眼力(めぢから)ですね。

しかし星読博士のシュガは、もう少し、切れ長の目のシュッとした人が良かったなあ、おまけに髪はロングでしょうに・・・今だったら、朝ドラで五代さまを演じたディーンフジオカあたりにお願いしたいかも。もちろん髪はロングで(笑)

NHKも、この番組に力を入れているみたいで、久々楽しみなドラマで期待値も高まりますが、期待だおれにならないようにくれぐれもよろしくお願いしますわね。



NHK公式サイト http://www.nhk.or.jp/moribito/
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くまのプーさん、モデルのクマの災難

2015年12月14日 | 絵本が好き
「くまのプーさん」と言ったら、ある部分は実話っていうのでしょうか。
作者のA.A.ミルンが、息子のクリストファー・ロビンに、子供部屋のぬいぐるみを使って、語って聞かせたお話が元になっているので、モデルが存在するんですね。


   

クリストファー・ロビンの写真を見たけれど、もう、原作の挿絵のクリストファー・ロビンとそっくりの愛らしさ。
 →http://matome.naver.jp/odai/2136885703710874401

で、クリストファー・ロビンが持っていた、くまのぬいぐるみの名前が「ウィニー」
ウィニーは、ロンドン動物園で飼育されていたメスのクマの名前で、彼はその動物園のクマが好きだったので、自分のぬいぐるみにもウィニーと名付けたんだそうです。


  

日本では「くまのプーさん」ですけれど、原題は「ウィニー・ザ・プー」。当時、お話を読んだ子どもたちは、動物園のウィニーに、プーさんを重ねていたんでしょうね。

そして、モデルになった動物園のウィニーの骨が、最近、発見され展示されたんだけれど、あらビックリ。
絵本のプーさんが蜂蜜が大好物だったから、動物園のお客さんたちから、甘いモノや蜂蜜を与えられ、晩年はほとんど歯がない状態だったのです。

プーさん蜂蜜食べ過ぎ? モデルのクマの骨発見、ほぼ歯なく

 【ロンドン=共同】世界の子供たちに愛される人気キャラクター「クマのプーさん」のモデルで、ロンドン動物園で飼育されていた雌のクマ「ウィニー」は、多くの訪問客から蜂蜜や甘い物を与えられた結果、晩年はほとんど歯の無い状態だったことが最近の研究で分かった。英メディアが報じた。
 ウィニーは1934年に動物園で死んだ後、英国の王立外科医師会が頭蓋骨を他の動物の骨などと一緒に保管した。最近になって所蔵物の点検中に骨が見つかり、ロンドンにある医師会の博物館が骨の展示を始めた。博物館によると、公開は初めて。
 ウィニーはカナダで獣医師に飼われていたが、1910年代にロンドン動物園に寄贈され、人気者に。26年に発表された「クマのプーさん」原作者A・A・ミルンの息子、クリストファー・ロビンがウィニーのファンとなり、クマの縫いぐるみに「ウィニー」と名付けたことが作品のヒントになった。

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今だったら、動物園の動物たちに勝手にエサを与えたら、叱られてしまいますけど、当時は問題なかったのでしょうか。
人間が良かれと思ったことは、ただの自己満足で、クマのウィニーにとっては、かえって、かわいそうなことをしてしまいましたね。

歯って言えば、最近の日本の子供達、虫歯がぐっと減っているようです。小さな頃から歯磨き習慣をつけるという教育の賜物?
今は当たり前のことが、かつては当たり前じゃなかったので、昔の子どもは、たいていは、みそっ歯だらけでしたけど。

クマのウィニーは、災難でしたが、同様に考えて、もしかしたら、現代の当たり前は、未来のあたりまえじゃないかも。
なんとなーく、小さな子どもたちがスマホいじっているのを見るとそんなことを思うのですが・・・
治療できる「みそっ歯」くらいなら、いいんですけど。
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シャーロットのおくりもの

2015年05月10日 | 絵本が好き
英王室の新しいプリンセスの名前がシャーロットに決まったと聞いた時、シャーロットといえば、「シャーロットのおくりもの」だよね~と、児童文学のタイトルがまず頭に浮かんだのですが。ダコタ・ファニングちゃん主演で映画にもなっているyo。

それとは別に、今回、プリンセスの名前騒動で初めて知ったのは、歴代の王妃や王室の女性の名前の中から選ぶのが慣例だということです。ミドルネームは、女王とウイリアム王子のお母様である、エリザベスとダイアナ。
じゃあ、シャーロットって誰なのかという説明が、ワイドショーによって明かされた。まったくひょんなところで英王室の歴史を知ることになるのですなあ。
「シャーロット」は、18~19世紀に在位した国王ジョージ3世の妻シャーロット王妃ら英王室ゆかりの名であるということだ。(祖父「チャールズ」の女性名でもあるということだ。)
そして、シャーロット王妃は、早逝したもののたくさんのこどもを産んだ王妃であったことを、ワイドショーによって知りました。なんか勉強になる(笑)

そこで、はっと気づいた。




前述の「シャーロットのおくりもの」です。シャーロットは表紙の女の子のことかと思えば、あにはからんや。
シャーロットは、女の子が抱っこしているブタでもなければ、アヒルでも羊でもない。シャーロットの「シ」の字に絡みついたクモの糸。
そうです、クモの名前ですよ。




英文のペーパーバッグの表紙には、タイトルの周りにもっとわかりやすくクモの糸がグルグルに絡まっている上、タイトルは「シャーロットのウェブ」、つまりシャーロットのインターネット、じゃなくて「クモの巣」のことです。

この表紙の表し方だけでも、日本と欧米の感受性は微妙に違うのですね。子どもの立場なら、英語版のほうが、がぜん興味を持ちそうだけれど、本を買ってくれる日本のお母様は、日本語版の絵とタイトルの方が手に取りやすいだろうし・・・
でも、まあ私はむしろ英語版の表紙ほうが、そそられる(笑)。どうせ少数派だが。

農場に棲みついた、とても優しく賢いメス蜘蛛の名前はシャーロット。哀れ、ハムになるために殺される運命の子豚を、知恵を働かせて何度も何度も助けてくれるのだ。
1年という自分の短い命を子豚との友情のために、愛をもって一生懸命生きて、命を終わらせたシャーロット。
悲しみにくれる子豚の前に、シャーロットは贈り物を残してくれた。それは、彼女の産んだ、たくさんの子蜘蛛たちの事。

これって、もしかしたら、作者は、ジョージ3世の妻、早逝ながら子沢山だったシャーロット王妃のオマージュとして、クモの名前をシャーロットにしたのだろうか、なーんて、私め勝手に都合よく解釈しちゃったものから。まったくの偶然かもしれないけど(笑)
もし作者のE・B・ホワイトが生きているなら、ぜひそこのところ聞いてみたいものだが、1985年に亡くなってしまっているから、もう確かめようもない話。


ついでながら書くと、高崎山のお猿さんの名前騒動の件、ワイドショーが、わざわざイギリスでこの件に関してどう思うか、道行くイギリス人に取材していた。
猿の名付けに抗議した日本人のように、同じ名はプリンセスに失礼だという意見は、ほとんどなかった。
「この世の生き物は、みんな調和の中で生きている。何が何より上とか下とか言うのは馬鹿げているわ」
一人のイギリス人女性がそんなようなことを言っていたのが、嬉しかったな。

こざるだってクモだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ~~♪ これでいいのだ。



★5月11日追記

 念の為に、もう一度シャーロット王妃のことを確認してみたら、その生涯は、 1744年5月19日 - 1818年11月17日とあり、74年間。シャーロット王妃はまったく早逝とは無関係だった。おそらく私の勘違いであろうか。(早逝したのはダイアナ妃だ)
9男6女の母となったということで、子沢山は間違いないようだが、「シャーロットのおくりもの」が、シャーロット王妃のオマージュ説、限りなく怪しくなってきました。(;´д`)トホホ…
早合点をお詫び申し上げるとともに、記事の一部を訂正しました。m(_ _)m

★参考サイト
 シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ(ウィキペディア)
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生き方の選択「まちのねずみといなかのねずみ」

2012年05月31日 | 絵本が好き
まちのねずみといなかのねずみ」 ポール ガルドン (著) 木島 始 (翻訳)


息子が3歳の頃、図書館で借りた絵本。ポール・ガルドンの絵は、なんともしゃれていてセンスのよい作家。
もう絶版になってしまったとおもいきや、また、再刊になったそうで、嬉しい限りです。

イソップ寓話の有名な話だけれど、当時残していた絵本ノートを開いたら、今に通ずる言葉が出て来て、はっとした。


「ねえ、きみ。
 きみのすばらしいくらしが、たえずびくびくしたり、
 あぶないことで はらはらしてばかりいるのだったら、
 ぼくは いなかの たべものと、しずかなこやに かえったほうがましだよ。
 あんしんが なくっちゃ、じょうひんさなんて、なんだ?
 ものがいっぱいあったって、どきどきしながらじゃ、
 なんの やくにたつんだい?」



大飯原発のある、大飯町町議会が、賛成多数で再稼働を望んでいるのは、安全ではなく経済の問題。
首の上まで原発に浸かってしまった街になってしまったから、今さら、やめるわけにはゆかないという。

古代ギリシャに作られたイソップ寓話のねずみの言葉が、時空を超えて現代の日本に突き刺さる。



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ぬいぐるみのお泊まり会@図書館

2011年10月15日 | 絵本が好き

まいど東京新聞ネタで恐縮ですが、ほっこり楽しい記事を見つけ、なんだかうれしくなりました(笑)

私の老後の楽しみは、原発依存がなくなって自然由来のエネルギーにシフトした愛する日本国において、家の片隅に、お気に入りの絵本やぬいぐるみや小物に囲まれた、自分だけのコーナーを作って、シブ茶でも飲みながら猫と日向ぼっこすること。
そんな夢見る乙女心(おいおい)を、くすぐるようなイベントが・・・!これ、いいなあ。

文化欄だったんだけど、ウェブ版には、出てなかったので手入力。(記事は一部抜粋)


  

本を読むぬいぐるみ 
 利用者の帰った夜の図書館で、絵本を読みふけるパンダ。カウンターで貸し出し作業をするテディベア。渋谷区のこもれび大和田図書館が子ども向けに実施した「お泊まり会」の光景だ。
”泊まった”のは、子どもではなく、ぬいぐるみ。子どもたちが自宅にあるお気に入りの一体を持って集まり、館に預けて帰宅。後日迎えに来るというイベントで、10人が参加した。
 忙しくなるのは、閉館後。ぬいぐるみが館内を動き回るという設定で、職員がさまざまな写真を撮影する。翌日、迎えに来た子どもには、その写真とともに、<夜中にぬいぐるみが読んだ本>として、職員のお薦めの3冊が紹介される。


・・・というイベント。思った以上に子どもたちも大喜びだったとか。
なんだか、絵本とぬいぐるみさんたちにポーズをとってる職員さんの様子が目に浮かび、ほほえましくも、うらやましくなっちゃいます。楽しそうで!いいないいなっ!
アメリカで始まったこのイベント、日本でも広がってゆきそうですって。




はちうえはぼくにまかせて」をよむ、うちのわんこちゃんです。
この絵本の主人公のトミーは、子どもながら、植物党メンバーに推薦したいような園芸少年なのだ。


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ユニセフの「ちっちゃな図書館」

2011年04月01日 | 絵本が好き
 ←クリックするとサイトに飛びます。


日本ユニセフ協会で、被災地に子どもの絵本などを送る「ちっちゃな図書館」という運動をしていることを知りました。
以前にも別の場所で、だいぶ寄付で送らせていただいたことがあり、それは売って収益金を得るためということだったので、もう読まない本だったんですが。

今回は、被災地の子どもたちが読むための本ということで、とっておきの大好きな絵本たちに、役に立ってもらいたくて。
さっそく我が家の宝物のいくつかを梱包して送るだけにしました。
ところが、もう一度サイトを確認したら、集まりすぎてしまって、もう 絵本は締切
・・・ですって。

ま、私の老後の楽しみとして「いわむらかずお」さんの「14ひきシリーズ」は手元にずっととっておこうっと。(笑)

で、気を取り直して。

もう一度、大事な本の本棚へ。高学年から中学生向けの本。


 


斉藤洋さんの「ジーク」のシリーズとか、ワクワクドキドキのローワンシリーズとか、おもしろくて時間を忘れるような何冊かを、息子公認で選んで送りました。
(残念ながら上橋菜穂子さんの「守り人」シリーズだけは、手放したくなかったようだ・笑)

お気に入りのとっておきのこれらの本は、紫外線もほこりもよけるようにカバーをつけて保存してましたので、帯つき美品ですよ。

傷ついた人たちの心を、全部癒すことは無理でしょうけれど、ほんの少しでもいいから、心にほっこりした火をともすことができたら、いいなと思います。


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ロバート・ウェストールの本、3冊

2009年07月22日 | 絵本が好き
反戦塾」様より「子供のための戦争の本」というエントリのトラックバックをいただきました。以前から、これに関連して、ある児童文学作家をご紹介したかったのですが、夏休みにも入ったことだし、よい機会なので私も、一つ記事を書きたいと思います。

実は私、若いころは、子供が嫌いで・・・
自分が子供のころから子供嫌いだったのだから、子ども時代は特にもう自分でも自分の性格をどこかもてあましたものです。
そんな私が母になって、大丈夫なのかと不安もあったのですが(汗)・・・、自分が子どもの時してもらいたかったこと、自分が子ども時代にやりたくでできなかったこと、子供を育てながらもう一度子ども時代を生きられた…本当に子供が生まれてありがたかった、よかったと今はつくづく思います。子ども嫌いも治ったし(笑)。
子育ての中で、すぐれた絵本作家や、児童文学に出会えたこと、これはさらに思いがけない喜びでした。絵本や児童文学に画期的にはまってしまいました。息子が小学校高学年になるまで、ほとんど毎晩、読み聞かせをして育てましたが、これはむしろ、自分の楽しみのための貴重な時間でもあったのです。

戦争の本というと、日本では原爆や東京大空襲のときのお話が、子どものための絵本や本になって、時折見かけますが、どうしても予備知識の中に、「怖い」「悲惨」という印象があって、敷居が高く、広島の原爆関連の絵本でいただいたものもあったのですが開くことはしませんでした…(本当はこれを乗り越えなければならないのでしょうが)
また、反戦のために作られたちょっぴりお説教の匂いもする本は、勉強のためならいいのでしょうが、読書の楽しみのための時間には、ちょっと敬遠してしまいがちでした。

前置きが長くなってしまいました。
子どものための戦争の本・・探すのは、簡単なようで難しいと思います。だからこそ、これぞというものに巡りあえたら、それは大変幸福なことです。




ロバート・ウェストール(1929~1993)という人は、大人になって知ったイギリスの児童文学作家です。彼のいくつかの作品は、子どものためではなく自分のために読みました。
猫の帰還」「海辺の王国」は、第二次世界大戦真っ最中のイギリスが舞台です。(ヨーロッパは、それぞれ自国が戦場になりました。)
イギリスにも、ナチスの空襲は断続的にやってきます。逃げまどいながら、家族を失い、傷ついては、生きる気力さえ失われてゆく人々。その中にあっても、もう一度勇気をふりしぼり、なお強く生きようとする戦争下の人間たち。
声高に戦争はいけないと言っているのではないけれど、淡々と人々の生活や心情をつづってゆくことで、静かに、作者の反戦の思いが伝わってくるのです。

「猫の帰還」は、猫好きにはたまらないです。戦火をくぐって旅をする猫のたくましさにほれぼれしてしまいます。一匹の猫が、人々に勇気を与えてくれます。

「海辺の王国」は、戦争を縦軸に、横軸には少年の心の成長が描かれており、大人に対して少なからず絶望を感じてしまった子どもの方にも、ぜひ読んでもらいたい本です。ただ、対象が小学校高学年からとありますが、それならある程度、読む力のある子向きかも。本当の良さを理解するなら、中学・高校生くらいで読まれたほうが、作者の意図を理解しやすいのではないかと思います。



弟の戦争」は、1991年に起こった、湾岸戦争が舞台です。主人公の、12歳のこころやさしい弟が、突然イラクの少年兵と魂がリンクしてしまい、弟の言動を通して、リアルタイムで、恐ろしい戦場が普通の家に持ち込まれてきます。
ちょっとスピリチュアル的な要素もあり、時代的にも身近な戦争なので、戦争が過去のものでなく「今」そこにあるものだというものを実感してしまいます。戦いの現場では、国家が言う正義などは意味がありません。生きるか死ぬかの選択のみ、戦争の理不尽さに気づくでしょう。こちらは、小学校中・高学年より、お勧めです。

ロバートウェストールの作品には、一貫して戦争がテーマにあります。
しかし、悲惨で愚かな戦争をしでかすのも人間なら、絶望の底に希望を見出すのも人間だということが、メッセージとして含まれているのです。読後は滋味豊かな気持ちにさせられるところに、すぐれた文学としての力を感じるものです。
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でんでんむしの悲しみ・悲しみに耐える力

2009年06月01日 | 絵本が好き


6月になりました。植木鉢にでんでんむしを見つけましたよ。

美智子さまの愛読書だった新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」というお話、思い出しました。以下、あらすじ。

 

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自分の背負ったからの中に、悲しみがいっぱい詰まっていることに気づいたでんでんむしは、お友達のところに行って、からの中が悲しみがいっぱいで、自分はもう生きてゆけないと嘆くのです。ところがお友達も皆、それぞれの自分の背中の殻に悲しみをせおっていることを知り、でんでんむしは気付きました。

かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。

でんでんむしは嘆くことをやめました。

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そういえば、でんでんむしの動いた後の筋、涙みたいに光っていますよね。
南吉は、しとしと涙雨の降るような日に、そっと姿を現すでんでんむしに、悲しみの姿を見たのかもしれません。
「ごんぎつね」に代表される新美南吉の童話は、人の情のやさしさ、切なさをしみじみと書いたものが多いです。私は、個人的には、南吉のことをアンデルセンに匹敵する日本の童話作家だと思っているんですよ。



この写真は、以前、道端で、拾ったかたつむりの殻。
すっかりきれいな殻だけになって、誰かに食べられてしまったのかな?
悲しみも、体と一緒に殻から抜けて、お空に消えていったかな。


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根っこ・見えない部分を育てる
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プーさんの原画

2008年11月10日 | 絵本が好き

「プーさん」原画、500万円で落札

(時事通信) 11月 5日(水) 16時10分
童話の人気キャラクター「くまのプーさん」の原画(写真)が4日、ロンドンの競売商ボナムズで競売に掛けられ、3万1200ポンド(約500万円)で落札された。落札者はドイツ人の男性。妻のために買ったという【EPA=時事】


ディズニーのキャラクターでも、癒し系としてプーさんは人気だそうですが、私は断然、E・H・シェパードの描いた、オリジナルのプーさんの絵のほうが好きです。
登場するすべての動物たちは、物語の作者AAミルンの息子、クリストファーロビンの子供部屋にいた実在のぬいぐるみたちです。
ただし、主人公のプーだけは、何か画家のイメージに合わなかったのか、E・H・シェパードの息子が持っていたクマのぬいぐるみがモデルになったとか。
クリストファーロビンの部屋にいたプーは、普通のテディベアの姿だったんですが、シェパードの家のクマさんは、何ともふっくらしたフォルム。もう、私たちはこの姿じゃなければ、プーとは言えませんよね。

で、この絵は、ただの鉛筆のラフデッサンなのに、500万円という高額がつけられた!ファンにとっては、「この絵は、あのお話のあのシーン」なんて、わかっちゃうからね。思い入れの値段なんでしょうね。私には、とてもとても手が出ませんけど。
う~ん。やっぱり、プーさんの人気は不滅なり。



「クマのプーさん」 


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 くまのプーさんと石井桃子さん
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緒形拳さんと「わすれられないおくりもの」

2008年10月11日 | 絵本が好き


今朝、某ワイドショー番組で、先日なくなられた緒形拳さんの、特集をしていました。
緒形拳さんは、私、実は小学生のころからファンで(ませガキでした)、あこがれていた大好きな役者さんだったので、訃報のニュースを聞いたときは、ショックで身内でもないのに寂しさと喪失感でいっぱいになってしまいました。

そんな緒形さんの生前のエピソードを、貴乃花親方が話していました。
横綱昇進のときの挨拶で使った「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」と言う言葉、これは緒形さんが貴乃花関に教えた言葉だったのだと。そして、自分が教えたことは言わないでいいよ、とそういう一言も添えられていたこと。
「不惜身命」とは、仏道のために身も命も惜しまないこと。転じて、自分の信じる道のために、身や命をささげて惜しまないことを表した言葉です。
相撲道を極めようとする貴乃花へのはなむけの言葉として、また緒形さん自身も仕事や家庭に対する心構えの言葉として、大切にされていたんじゃないかと思いました。

そして紹介されたのは、味わいのある「不惜身命」と書かれた緒形さん直筆の書。
それと、ある絵手紙作家さんとの交流で交わした、緒形さんのアートのような手紙の数々。
緒形さんの風貌・人柄をそのままあらわしたような、ごつごつした、でも温かみのある書体に見ほれてしまいました。



ふと、スーザンバーレイの「わすれられないおくりもの」という絵本を思い出しました。
これは、長いトンネルを通って、死の国へ向かったアナグマさんと残された森の動物たちの話。悲しむ仲間たちが、アナグマさんの生きている間にアナグマさんに教えてもらったたくさんのことを話しながら、その思い出がある限り、アナグマさんは自分たちの中で生きているんだと確認し癒されてゆくのです。

この絵本を幼稚園の息子に読み聞かせした時、私自身、ふいにあふれた涙で、途中で読めなくなってしまいました。息子にはよくわからなかったかもしれないけど、これは大人になったからこそ、心にしみる絵本だったかもしれません。
心はつながってゆき、受け継がれるもの。緒形さんのあの笑顔を思い出しながら、またこの絵本が読みたくなりました。

もし、このお話がアニメになったら、絶対アナグマさんの役は緒形拳さんがいいな・・・。今となっては、無理な願いですが。


★緒形拳公式HP ハラハチブンメー
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世界一美しいぼくの村

2008年08月30日 | 絵本が好き
私達日本人は、アフガニスタンというと、どんなイメージを持つでしょうか。
荒涼としたほこりっぽい茶色の大地。武装した兵士たち。
テレビで見るアフガンは、そんな負のイメージしか、わきません。
しかし、もともと、アフガニスタンは緑も多く作物もたくさん採れた豊かな国だったのです。
度重なるクーデターや、旧ソ連の進攻などによって、国土は荒廃し、食糧事情も悪化。内戦は全土に広がっていました。




せかいいち うつくしい ぼくの村



この絵本は、息子が幼いころいっしょに読んだ本です。作者の小林豊さんは、戦火で荒廃する前、桃源郷のように美しかったというアフガンの村に滞在していたのだそうです。
そこにあったのは、美しい自然と人々の優しさ。
戦争の影を落とす村で、主人公の少年が願っているのは、家族いっしょに普通に暮らせること。そんなささやかな願いも踏みにじってしまう戦争、その不安と平和への素朴な願いが、しみじみと伝わってきます。
この後、人々は村を追われ、美しかった少年の村もなくなりました。

この絵本が描かれた6年後の2001年10月、今度はアメリカが911の報復であるとしてアフガンを攻撃、カルザイ政権を発足させ、現在に至っています。



この写真は、先日アフガニスタンで拉致され亡くなったペシャワール会の伊藤和也さんの撮られたものです。
この写真を見たとき、とっさに、「せかいいち うつくしい ぼくの村」を思い出しました。志半ばであったというけれど、彼は着実にアフガニスタンで、緑を回復させ、子どもたちの笑顔をふやしたんだとわかりました。本当にかけがえのないことをされていたんだと思いました。
大国がよってたかって、自国のエゴと利益のためにアフガンをめちゃくちゃにして、伊藤さんが撮ったこの少女の笑顔に匹敵するくらいの仕事が、できるっていうんでしょうか。

アフガンで芽吹いた活動成果 死亡の伊藤さん撮影の写真(朝日新聞) - goo ニュース

伊藤さんの撮られたそのほかの写真は、こちらで。

関連記事
 武力で国を大きくすれば滅びると説いた老子
 「伊藤君の遺志を継ぎたい」というペシャワール会の中村代表
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くまのプーさんと石井桃子さん

2008年04月03日 | 絵本が好き
「ノンちゃん雲に乗る」作家・石井桃子さん、101歳で死去(読売新聞) - goo ニュース

児童文学者の石井桃子さんが101歳で亡くなられました。
息子が生まれてから、読みきかせをすることで絵本や児童文学の世界に深く親しむことができました。中でも児童文学の金字塔と自分の趣味で勝手に思っているのが、ピーターラビットシリーズとくまのプーさんシリーズ(ディズニーのプーさんじゃなくてオリジナルの方)です。
そしてその翻訳を両方ともしてくださったのが、石井桃子さんです。
どちらの翻訳も、私はとても好きです。特にくまのプーさんの訳は、永久保存して欲しいくらいです。

 「くまのプーさん」より、一節を書きますね。


・・・・コブタとプーは、夕方の金色に輝く光の中を、考えにふけりながら、いっしょに家のほうに向かって歩いていました。二人は長いこと何もいいませんでした。
が、とうとう、コブタがいいました。
「プー、きみ、朝おきたときね、まず第一にどんなこと考える?」
「けさのごはんは、なんにしよ?ってことだけだな。」とプーがいいました。
「コブタ、きみはどんなこと?」
「ぼくはね、きょうはどんなすばらしいことがあるかな、ってことだよ。」
プーは考え深げにうなずきました。
「つまり、おんなじことだね。」と、プーはいいました。


大好きな友達、ちょっとまぬけ、たっぷりした時間の流れ、なんとなく哲学的、作者のA・A・ミルンが創り出したプーさんの世界感が、日本語でしみじみと伝わってきます。
石井桃子さんは、プーさんのお話を、「真綿でくるまれているような幸福な世界」と表現していました。
同様に、子どもたちは、幼い時、社会に関わっていく前にプーさんの森のような「真綿でくるまれた幸福な世界」に住むことが必要なんじゃないでしょうか。
それは、家族や身近な人たちの無償の愛情であったり、空想がはばたくような自分だけの安全な場所であったり、真綿にくるまれたような、やわらかくてあたたかい心地よい時間なんだと思います。

現実は、身近な自然が失われ、両親とも忙しさの中で、子どもと過ごす時間が少ししか持てなかったり、昔と違うことはたくさんあるでしょうが、子どもたちが1日のうちの1時間でも30分でも、真綿でくるまれたような、やさしい時間を持てるように願わずにいられません。
大人になったとき、それらは記憶の隅に押しやられ、忘れてしまったとしても、そういう時間を持てた子どもは、心の中のキャパシティに奥行きがでるのではないかなあと思います。

上記の記事にも「ピーターラビット」「ドリトル先生」シリーズなど、石井桃子さんが手がけた約200冊にのぼる翻訳作品は、この国の戦後児童文学史そのものとありますが、その通り。石井さんがいらっしゃらなかったら、私達が世界のすぐれた児童文学や絵本を読むことができるのは、ずっと後になったことでしょう。
またご自身の童話も良いものが多く、かれこれ50年も前に書かれたちょっとレトロな岩波の「やまのたけちゃん」シリーズは息子にせがまれて、何度も何度も読みかえしました。子ども時代の幸福感が随所にあり、平成生まれのわが子も、その楽しい気分が十分満喫できたようです。

石井さんは晩年、インタビューに答えて、「私は長い間、子どもの本づくりにかかわってきて、命の大切さを意識的に学ばせようと意図したことはありません。通り過ぎていく自然や季節のうつろいをしっかり体感させることが、いちばんそれにつながると信じています」と語っていたそうです。

石井桃子さんの長年のご功労に心から感謝申し上げ、ご冥福をお祈りします。

★おまけ★
  ↓
「おしえてgoo」:なぜくまのプーさんは『さん』付けなのでしょうか?
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とび箱人生はつらいと思う

2008年03月03日 | 絵本が好き

創作ことわざ絵本」には、絵本作家の五味太郎さんがユーモアとちょっと皮肉を効かせて創作した、あらたなことわざの数々とおもしろいイラストが出ているんですけど、これがおかしくて妙に納得、一時期はまりました。
今でも、我が家の中では、この五味さんの作ったことわざが、生活の中で生きています。

少し、ざざっとご紹介しましょうか・・・

 ○笑顔で顔面筋肉痛
たいして楽しくもないし、おもしろくもないんだけど、一応おつきあいだからってへらへら笑っていたら、翌朝顔が・・・なんていう情況。お付き合いの無理は体によくないよ、って言う諺。

 ○棚からカナヅチ
棚からボタモチっていう偶然のラッキーがあるなら、アンラッキーも一応考えておかないとバランスが取れませんっていうことで五味さんが作ってくれました。以前、好きな言葉は「棚ぼた」なんて言っていたタレントさんがいましたが、こういうことだってありますよん。(笑)

 ○論より勢い
ちょっと怪しい意見でも、少し違った答えでも、言うやつの勢いがあると、なんとなくそのまま通ってしまうことが、この世の中、けっこうあるもんだということです。気をつけましょう。

うちで何かにつけて一番愛用しているのは、「とび箱人生」かな。
ニュースにでてくる官僚や政治家や一流企業の皆さんのお詫びのときなんかに「この人『とび箱人生』でここまで登りつめてきたのに、最後に待ってるのはこれかいな」っていうような使い方をします。
五味さんの「とび箱人生」の説明をそのままご紹介しましょう。



一段、二段くらいは、ま、どってことないんだよね。上ででんぐりかえしして少しずれちゃったりすることあるけど、ま、なんとかこなす。で、四段、五段くらいで腹うって、尾てい骨うって、痛いやら苦しいやら、でもさらに、六段、七段に挑戦するんだよな。挑戦することになってるんだよな。「根性だぜ!」「あきらめるな!」なんていわれながらさ。なんだろうね、この凄さは・・・・というわけ。




以前五味さんの講演会に行ったとき、五味さんところに、子どもたちから悩み相談の手紙がよく来るって話されていたんですけど、子どもたちが大好きでいつも子どもたちの味方でありたいっていう五味さんなら、わかってもらえるんじゃないかって、書くんでしょうね、きっとそうなんでしょうね。
まじめなよい子ほど期待にこたえようってがんばって、くたくたにゴムのばしきって、ある日ぷつんと切れちゃったら、どうすんだ。
とび箱とんだっていいけども、自分の好きな高さ、楽しい高さでもいいんじゃないの。
世の中、別の方向から見れば、とび箱人生の限りなく続くとび箱がとってもむなしく見えたりしちゃうんですよ。

五味太郎公式ブログ
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