さて、毎年の事ながら、あっという間に年が明けました。今年もよろしくお願いいたします。
年々紅白を見ても、ワクワクしなくなってきて、惰性でチャンネルを合わせ、作業の合間に流しているという感じになってしまって、知らない人でも歌が良ければ全然オッケーなんですが、ダンスユニットばっかりが目についてすぐに飽きて、もう年末の風物詩の役割を終えたのかなあなんて思っていたわけですが、後半になってから「歌」合戦らしくなってきた。
ドラマが良かったから、米津玄師が楽しみだったんだけど、「虎に翼」の寸劇があって、前半で亡くなってしまった人たちが元気でいた頃の時間に戻っていてうれしかった。もちろん米津の歌もとても良かった。
(あと、玉置浩二もよかった。ラブソングだったはずだが、世界へのラブソング、平和への祈りが伝わってくる熱い歌唱でした。
玉置浩二の歌の力はすごい。年齢と共に円熟味を増すってこういうことなんだろう。)
紅白歌合戦ありがとうございました!向こう100年もよろしくお願いします。【米津玄師】「さよーならまたいつか!」虎に翼SPコラボ【紅白】|NHK https://t.co/1X5V4pMEL5
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) December 31, 2024
100年先を考えて生きる。自分がいなくなった後のこと。そんな風に考える人が増えてほしい。
年末に「不適切にもほどがある」というドラマの再放送をしていた。ちょっとだけ見た。
1986年から、2024年へタイムスリップ。2024年、いつも手元にある、つるっとした機械が、何でもできて驚くほど便利になったが、SNSでの監視やハラスメントに厳しくて、どこか不自由で、人の心は病みがち。
しかし、1986年に戻ると、うんざりするようなタバコの煙にパワハラ、セクハラの嵐。
どちらがいいかと一言で言いきれないけど、時代時代でそれぞれの問題を解決すればまた次の問題が生まれ、1つ1つ解決してきたのが社会の歴史なのかもしれない。
100年後、テクノロジーは、どんどん進化しているのだろう。
しかし、それに人間の体がついて行っているのか、わからない。
授業にデジタルを取り入れた北欧では、子どもたちの成績が紙の教科書で学んだときに比べて下がってしまったという。
人間の体は機械じゃないから、有機体だから、今、最先端で素晴らしいと思っていることも、100年先にはかなり古くなっているだろう。
前世紀からすでに危惧されていた地球温暖化は、最初は誰もたいして気にもとめず、杞憂と思う人も多くて、でも今世紀に入ってからは、年ごとに恐ろしい気候変動となって、脅威を増している。
100年後、人類はどれだけ生き残れているのだろうか。
ほとんどの生物は、植物がなかったら、生きていけない。
東京を空から見れば、ビルだらけで公園の緑がポツンポツンと水たまりのように残されているだけ・・・
ゼネコンの利益のために、残された数少ない都心の緑の伐採は、もうやめてくれと思う。
「100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ さよーならまたいつか!」
赤ちゃんでもない限り、100年後に今、生きている人はほとんどいないのに、次の世代に続く未来が幸せな世界であってほしいと願うのはなぜなんだろう。
きっと自分の体はそこにいなくても、その魂は、未来にもつながっているからなんじゃないかなと思う。
地球に優しく、もの言わぬすべての命に優しく、できるだけ、そのように生きていきたい。
地球は魂が物理的な体を持って、輪廻転生する場所だから。私たちの大切な唯一無二の母なるふるさとだから。