虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

寅に翼・心にできたかさぶたを悪気なくはがす人たち

2024年07月19日 | 心に残る言葉

寅に翼、きょうもよかったなあ。



・・ああいう人たちに借りなんて作ってほしくないから。

あなたを確実に傷つけて、
心にできたかさぶたを ことあるごとに
悪気なく剥がしていくような人たち

彼らにずっと へいこらして欲しくない

自分の意志で物事を受け流すのと
受け流さざるを得ないのとは 違うから

この件であなたが縛られないように
したいようにできるように
怒りたいときに怒ることができるように・・


がんばって署名しました。


ーーーーーーーーーーーーー


「心にできたかさぶたを ことあるごとに
 悪気なく剥がしていくような人たち」

とらちゃん、うまいこと言うなあ。

まだ癒やされていない心の部分に的を絞って
無遠慮に入ってきては 意見を押しつけてくる人
やさしい人ほど自分が悪いと思い込み
自分を責めて責めて 苦しんでしまう

法律は、そんなところまで癒やしてくれるのか
前に進む手助けをしてくれるのか
私にとっても、この視点は 新鮮な驚きだった

だからこそ裁判官は 大前提は公明正大でありつつ
寅子のように その人の人生にも寄り添える
人の心の機微がわかる人でなければならないんだ
大変な仕事だ

良いことは良い 悪いことは悪い
法の下には みんな平等だね


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「君が後悔せず心から人生をやりきってくれること。それが僕の望みです」by「寅に翼」優三さん

2024年05月30日 | 心に残る言葉

「寅に翼」なんで、こう泣けてしまうシーンが多いのでしょう。

ついに招集され、戦地に赴く優三さん。
二人のこのシーンが最後のお別れになった。




でも、お父さんがとらちゃんにあえて見せなかった死亡通知をみつけ、
あとから、遺品として五黄の寅年生まれのとらちゃん手作りのお守りを持って、傷病兵となった優三さんの隣のベッドにいた人が届けに来た。

 


今日の放送のとらちゃんの涙は、ひたすら悲しく悔しい涙だった。

戦争は嫌だ、今もウクライナで、ガザで、ミャンマーで、世界のいろんな場所でリアルタイムで、人殺しや弾圧が続いているけど。
かつて、日本でも戦争でたくさんの人々が死んでいった。


思い出の川辺で、ずっと、こらえていたものを吐き出すように泣きだしたとらちゃんを見ていたら、その昔に聴いたかぐや姫のLPレコードに入っていた1曲が、頭の中によみがえってきました。

「戦争への招待券という ただ一枚の紙切れが 
 楽しい語らいの日々を 悲しい別れの日にした」


初めて聴いた当時より、今の時代の方が切実に感じる。
かぐや姫には珍しい、ストレートな反戦歌です。






戦地に赴く前の最後の一日、優三さんがとらちゃんに伝えた言葉が、また優しくて泣く。



そしてこの言葉は、そのまま日本国憲法の超訳だと、「基本的人権」に込められた想いだと、Xで発信された方がいて、ああ、そうだなあとすごく納得した。
その視点、言われるまで気づかなかったけれど、法律がテーマのドラマだからこそ、その視点はあまりにもぴったりだった。





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虎に翼 とらちゃんの決意

2024年05月11日 | 心に残る言葉

久々、朝ドラ「虎に翼」をリアルタイムで視聴中、最後のとらちゃんの言葉に不意打ち食らって、突然涙目になってしまった・・・(/_;)

同じ思いの方も多分たくさんいらしたことだろう。Xにいろんな気持ちがあふれていた。

動画をあげてくださった方、文字おこししてくださった方。皆さん、ありがとう。






女性というだけで、夢へのハードルが高くなる。厳しい環境で励まし合い、助け合いながらともに学んだ仲間たちの事を思ったことだろう。

何年か前、医大の入試で、女子受験生が男子受験生より高得点であったにもかかわらず、男子を優先し不合格になったニュースが記憶に新しいけれど。
この時代はなおのことだっただろう。外見での判断もなおのことだったろう。


「生い立ちや信念や格好で切り捨てられたりしない、男か女かでふるいにかけられない社会になることを、私は心から願います」


とらちゃん役の伊藤沙莉(いとう・さいり)さんの声、力強くはっきりしていて、この役に、うってつけの説得力がある。

この世には、いろんな職業があるけれど。
いろんな立場の人たちをすくい上げ差別をなくすこと。一方的でなく多方面から物事を見られる視野の広さを持つこと。

司法の人だけでなく、少なくても、政治家、公務員、教育、報道の各関係者には、このとらちゃんの言葉を共有していただきたいものです。

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「村の英雄」西条八十

2020年12月31日 | 心に残る言葉

若い頃は、気づいていたら年が明けていた、というようなことも多かったけど、昔のような慌ただしさも今はなく、ゆっくりと時が過ぎていきます。
年内お休みの記事を書いてから、2本目の新記事です。(^_^;

牛の詩。お正月早々読むには、内容がハードなので、年末のうちに再掲。

牛の詩2題と原発の詩より
    ↓



かつての日本人と牛との関わり。牛はとても身近にいた。
画像:牛のはくぶつかん



村の英雄         西条八十


村の大きな 黒牛が
春の夕ぐれ 死にました
永年住んだ 牛小舎の
寝藁(ねわら)の上で 死にました


女やもめの ご主人に
いつも仕えた 忠義もの
朝晩 重い荷を曳(ひ)いて
くろは すなおな牛でした


お寺の鐘は 鳴りません
けれども 花は散ってます
村の優しい 英雄が
春の夕ぐれ 死にました




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


人の仕事の仲間として一緒に働いてきた牛。
かつて、人と牛が心を合わせて生きてきた時代がありました。

私たちは日常、当たり前のようにお肉をいただいているけれど、
命をいただく感謝の気持ちは、いつも心に持っていたいものです。
コロナ禍で、消えてしまった肉の食べ放題だの大食い競争だの。
正直、ずーーーっとなじめなかったから、見ないですんでほっとしています。


東京都は新規感染者ついに1000人超えどころか、1300人超えの速報が今はいりました。
医師会の警告そのままこうすればこうなる、当たり前の結果、言ったとおりになってきています。
どこまでだめなのか、政治は国民のせいにし、国民は政治のせいにする。
どっちもだめだったのだと思う。だめな国民だから、だめな政治家しか選べなかったのではないか。
パワーの政治家もたくさんいたのに、選挙のたびに国民はだめな方、だめな方を選んできた。


もうすぐ丑年。
今年も1年ありがとうございました。
闇を超えて見えてくる光がきっとある。
皆様にとりまして丑年が良い年でありますように。




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沖縄全戦没者追悼式「平和の詩」2020

2020年08月12日 | 心に残る言葉

沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読する首里高校3年・高良朱香音さん



あなたがあの時
        沖縄県立首里高等学校3年 髙良朱香音

「懐中電灯を消してください」
一つ、また一つ光が消えていく
真っ暗になったその場所は
まだ昼間だというのに
あまりにも暗い
少し湿った空気を感じながら
私はあの時を想像する

あなたがまだ一人で歩けなかったあの時
あなたの兄は人を殺すことを習った
あなたの姉は学校へ行けなくなった

あなたが走れるようになったあの時
あなたが駆け回るはずだった野原は
真っ赤っか 友だちなんて誰もいない

あなたが青春を奪われたあの時
あなたはもうボロボロ
家族もいない 食べ物もない
ただ真っ暗なこの壕の中で
あなたの見た光は、幻となって消えた。

「はい、ではつけていいですよ」
一つ、また一つ光が増えていく
照らされたその場所は
もう真っ暗ではないというのに
あまりにも暗い
体中にじんわりとかく汗を感じながら
私はあの時を想像する

あなたが声を上げて泣かなかったあの時
あなたの母はあなたを殺さずに済んだ
あなたは生き延びた

あなたが少女に白旗を持たせたあの時
彼女は真っ直ぐに旗を掲げた
少女は助かった

ありがとう

あなたがあの時
あの人を助けてくれたおかげで
私は今 ここにいる

あなたがあの時
前を見続けてくれたおかげで
この島は今 ここにある

あなたがあの時
勇気を振り絞って語ってくれたおかげで
私たちは 知った
永遠に解かれることのない戦争の呪いを
決して失われてはいけない平和の尊さを

ありがとう

「頭、気をつけてね」
外の光が私を包む
真っ暗闇のあの中で
あなたが見つめた希望の光
私は消さない 消させない
梅雨晴れの午後の光を感じながら
私は平和な世界を創造する

あなたがあの時
私を見つめたまっすぐな視線
未来に向けた穏やかな横顔を
私は忘れない
平和を求める仲間として




 

6月の新聞を整理していてみつけたこの詩を、ブログにもクリップしておきたくて。6月23日は沖縄慰霊の日。

新聞記事には、

当時よく理解していなかった体験者の視点を「あなた」に投影した。小学校で聞いた講話などから、悲惨な体験に思いを寄せた。亡くなった首里高校生たちの写真を見学し、自分たちの身を当時に置き換え、教室にいる友達や自分が死ぬことも想像した。


・・と書かれていました。
平和とは、イマジン。自分のことだけでなく他者の事、全体の事、まだ知らない誰かの涙、消えてしまいそうなたくさんの命、を想像する。
平和をつなげていくために、想像力が必要なのかもしれませんね。

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人の成長は木の年輪のようなもの

2020年02月10日 | 心に残る言葉

2019年度国際交流基金賞受賞者 谷川 俊太郎(詩人)




「人の成長は 木の年輪のようなもの。
 中心には 生まれたばかりの自分
 一番外側には 現在の自分がいる。
 誰の中にも 幼児がいるんです」



谷川俊太郎さんが国際交流基金賞受賞 「翻訳者に感謝」 |好書好日(朝日新聞)

いつも自然体の谷川俊太郎さんの詩、言葉遊びの楽しさ、ユーモラスでもあり、死の淵がすぐそばにあるように、ちょっとこわかったり、ドキッとしたり、いろいろな意味で惹かれます。

今年元旦の東京新聞に、上記記事の取材で子どもの視点で書かれた詩について問われ、
それらは「自分の内部の子ども」が書いているという答えに続いて言われたのが上記の言葉。
何でもないコメントも、詩みたいに出てくるのですね。

今の自分も過去の自分も全部自分の中にある。

木は成長過程で、傷がついたり、強風に折れそうになったり、
そんなこんなは年輪の中に全部刻まれながら
だんだん太く大きくなってきた。

自分の奥の真ん中に、幼い頃の自分がいる。
普段の記憶の中には消えてしまったとしても
ふとしたときに、思い出して、
良くも悪くも いたたまれない気持ちになる時もある。

 中心には 生まれたばかりの自分
 一番外側には 現在の自分


なるほど。。。
谷川さん、ずっとずっと ずっと生きてて。


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この世はわからないことだらけ

2019年08月10日 | 心に残る言葉

ちょうど1週間前になりますが、8月4日のサンデーモーニング「風をよむ」。
JT生命誌研究館館長で理学博士、中村桂子さんのお話「科学は万能?」に、心から共感したので。





このまえ、地球のすぐそばを小惑星「2019OK」が通過したんだけど、その大きさや通過コースがわかったのが、地球に最も近づいた日のわずか数時間前だったという話。
もし、地球に衝突していたら、東京23区が吹っ飛ぶくらいの被害が出るという、まさに映画「君の名は」が現実になるところだった。


私達は、明日もあさっても普通の日常が続くと思っていても、実は明日何が起こるかわからない世界で生きている。
6月には、運転士のいない自動運転の新交通システムに異変が起こり、列車が逆走するという事故となった。
安全神話の末の原発事故は言うに及ばず、科学は未だ発展途上にあるのに、そのリスクは無視され無防備に科学万能を信じる人たちのなんと多いことか。
(その影で、ハードウェアのメンテナンスや、システムエラーの迷路にはまり込み、徹夜で修正作業をし続ける、病んでいく若者たちの存在を忘れてはならない。)





中村桂子さんの言葉は、どれも、全面共感以外のなにものでもなかったので。



 「想定外という言葉を聞くんですけど、それは何でも知ってるって思うから想定外って言うのでね、知ってるというのは勘違いだと思いますね。
 私たちが、これで世界ができているよって思っていた、(分かっている)物質は全体の4%。
 科学は何でも知っている、何でもできると思っている。
 本当に、大きな勘違い。」


「AIが人間を超える。これはありえない。
 AIと人間は全然違うから。AIは科学技術が作っているもの。論理、理屈ですね、それと統計、それから確率。この3つだけでできあがっているんですよ。
 人間が持っている一番大事な能力は想像すること、もう一つの創造力。
 人間同士が心を通い合わせながら、“ふと”思いつく、みたいな事が大事なわけで。

 それができることが人間でしょ」


「宇宙軍というものを作って、俺の物だみたいな。経済競争の中で(衛星を)上げちゃうみたいな。
 競争して競争してっていうと謙虚さを失うじゃありませんか。
 科学万能じゃないですね。
 私は、科学技術を否定するつもりはないし、上手に使っていきたいと思うけれど、
 今の科学のありようが、人間のおごりを増長させている。
 科学って本来は、人間を謙虚にするものなんですよ。

 知らないことあるな、とか、宇宙って大きいよな・・・とかね」
 



中村さんの言葉は、こちらのサンデーモーニングスタッフnoteより抜粋しました。
 →2019/08/04 風をよむ「科学は万能?」


>今の科学のありようが、人間のおごりを増長させている。

本当にそう思います。
私達が正しいと思っていること、いいと思っていること、何度、大きなどんでん返しをくらったか。

未来はAIが何でもしてくれる。宇宙旅行に行って、そのまま月で暮らせるかも。夢は広がるかもしれないけれど、そういう未来、現段階では、キネシオロジーテストでは、必ずノーという答えが返ってくる。

AIは、ただの機械・道具であり、有機体・意識体である人間と全く違う。入力を一つ間違えても、人間の目ならおかしいと気づくところも機械は、間違った反応を続けるだけだ。
また、それらに日常の多くを頼るスマートな社会は、本当にスマートなのか?人が感知できるところなら手動の修正はできても、すべてをAIにお任せしてしまった時、一つのエラーにすべてが連動して手がつけられなくなることはないのか?誰も解決できないブラックボックス化する可能性はないのか?

さらにいうなら、人間が命をつないで生きていける場所は地球だけ。
なぜなら人類の祖先は、地球で誕生し進化してきた生物だから。地球の重力や月の潮汐力すら、体にとって必要なように進化してきたから。(ただし、世界各国が協力し合う無人探査機による調査はその限りではない、パワーである)

テストをすればするほど、思い込みを捨てよ、もっと謙虚になれ、と自分たちの無力さを知るばかりなのです。
そして命を育む私達が生かされている地球への深い感謝の気持ち。


・・もちろん、このキネシオロジーテスト自体の正確さだって、私どもにとっては真実であるけれど、断定はできないですよ。





今、日本を含めて、世界のあちらこちらで怒りがやまず、敵を打ち負かしたいという意識が吹き荒れている。
怒りと自分かわいさのあまり、困っている人たちへの思いが至らず、攻撃性ばかり増している人々も多い。
当事者になれば許せないこと、腹立たたしいこともあるのかもしれないが、その感情に縛られている限り、あとに引けなくなって身動きが取れなくなってくる。
万物の霊長ぶっても、そこらで鳴いているセミよりも、愚かしいことをしでかしてしまうのは人間ばかりだと、広島と長崎に原爆投下された74年目の8月に思う。


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誰かを犠牲にして少数の者だけが裕福になるべきではない

2017年06月10日 | 心に残る言葉

10日の東京新聞筆洗にハッとした。
イギリスで行われた9日の総選挙。与党保守党が番狂わせの過半数割れしたことを伝えて曰く。

その背景にあったのは何か。ドキュメンタリー映画『1945年の精神』をつくった名匠ケン・ローチ監督は、それは「誰かを犠牲にして少数の者だけが裕福になるべきではないという考え方」だったと指摘している。


福祉先進国「ゆりかごから墓場まで」が揺らぎはじめ、「英国は先進国の中で最も不平等な国の一つ」になったという。
野党労働党は、「ごく少数の人のためではなく、多くの人のために」と訴え福祉政策の充実や鉄道の国有化などを公約にしたことで、大きく議席を伸ばした。

日本でも、アベノミクスの高揚感?に期待した向きにとっても、3本の矢がどこに飛んでいったのか、今となってはさっぱりわからないのではないか?
たしかに、少数は裕福になったらしい。その少数の中には、総理のお友達や仲良しの経済人たちもいるのだろう。
でも、実質賃金は、この26年で最低だという。
雇用は増えた。しかし、その裏で、非正規、残業代ゼロ、パワハラ、過労死など水面下で起こっている悲惨な現実。
つまるところ、「誰かを犠牲にして少数の者だけが裕福になっている」ということではないだろうか。

当初は人間の欲が邪魔をして、ちゃんと見えなかったけれど、安倍政権の魔法がとけたら、全ては幻だった・・・と気づくことも必要なことだったのだろうか。


筆洗 2017年6月10日
 一九四五年の夏、英国で大番狂わせが起きた。十年ぶりに行われた総選挙で、保守党がまさかの敗北を喫したのだ▼保守党を率いていたのは、第二次大戦で卓越した指導力を発揮した名宰相チャーチル。彼の名声をもってすれば、愛国心で高揚した国民の支持は固いはず、との予想を覆し、野党・労働党が大勝したのだ▼その背景にあったのは何か。ドキュメンタリー映画『1945年の精神』をつくった名匠ケン・ローチ監督は、それは「誰かを犠牲にして少数の者だけが裕福になるべきではないという考え方」だったと指摘している▼労働党政権は貧困のため病院に行けなかった多くの国民のため、「ゆりかごから墓場まで」と言われる福祉国家を築き、基幹産業の国有化などで労働条件の改善を行った▼そんな歴史を持つ英国の総選挙でまた、番狂わせが起きた。保守党の圧勝かと思われていたが、過半数割れ。「ごく少数の人のためではなく、多くの人のために」と訴え福祉政策の充実や鉄道の国有化などを公約にした労働党が、大きく議席を伸ばしたのだ▼英国を拠点に世界の貧困問題に取り組む「オックスファム」によると、「英国は先進国の中で最も不平等な国の一つ」になったという。そんな状況が生む憤懣(ふんまん)が、EU離脱をめぐる国民投票、そして総選挙で噴出したのか。「1945年の精神」が甦(よみがえ)りつつあるのか。



★参考サイト
 実質賃金、26年間で最低にしたアベノミクス・・・どうしてくれるの?・・・毎月勤労統計調査の実質賃金指数(厚生労働省)

★関連記事
 アベノミクスはまやかし、国民よ失敗に気づけ by伊東光晴・京大名誉教授
 OECDはトリクルダウン(したたりおちる)という考え方を捨て去った
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正々堂々

2017年06月01日 | 心に残る言葉

高安が信条とする「正々堂々」過去の口上で武双山も

高安関が大関昇進の口上に選んだ「正々堂々」

目が覚める思いだった。

「正々堂々」

なんと清々しい言葉だろう。

久しく忘れていた言葉。



理不尽や不条理に とまどい傷つくこともある。

でも自分は恥じることをしていない。

ならば 正々堂々としていればいい。



勇気を出して正々堂々と声を上げた人達がいる。

前川喜平氏や詩織さんのように。


そう

間違ったことをしていないなら正々堂々としていいのだ。



人を強くするのは真実。弱くするのは嘘。

それは宇宙の真理でもある。

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和解する力

2017年04月16日 | 心に残る言葉
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」戦国時代のような反知性と暴力を肯定する昔に逆行させてはならないと、強く思います。
今こそ、内山節先生(今では「先生」とお呼びしたい)のコラムを読みたい、ご紹介したい。
東京新聞2月12日の「時代を読む」、2ヶ月ほど前の記事ですが、ご紹介します。





和を以て貴しとなす



「他者と和解できる」価値観
内山 節 (哲学者)      

 群馬県上野村にある私の家の天井裏に、ムササビがすみついたときがあった。ドタバタとうるさいだけでなく、たまっていた塵を集めて、天井板の隙間から私めがけて落としたりするから、結構たちの悪いいたずらをする。
 杉の葉などを集めてきて大きな巣をつくり、子どもを育てていたときもあった。これでは追い出すわけにもいかない。山のなかの家は、いろいろな生き物たちが忍び込んでくる場所でもあるのだから、それはそれでよいのである。

 村の暮らしで大事なことは何かと聞かれたら、私は「和解すること」と答えるだろう。自然とも、人々とも和解しながら暮らす。それが村の流儀だ。我慢して和解するのではなく、和解できる世界で生きていることを楽しむのである。

 そんな村で暮らしていると、いま私たちはいろいろなものと和解しなければならないときに、さしかかっていると思えてくる。自然を征服しようとした時代から、自然と和解する時代へ。人間同士も、対立ではなく和解が必要になっている。いろいろな考え方をもっている人たちが対立するのではなく、和解しながら世界を作っていくことが本当は必要だ。

 だが現在の世界は、対立を深める方向に向かっている。トランプ政権の成立は、その象徴だった。ヨーロッパでも国家主義政党が力を増し、アジアでも国々の対立が高まっている。

 なぜそういうことが起こってしまうのだろうか。その一番の理由は、現代世界が自分たちの利益に基づいて展開していることにある。経済活動は自分たちの利益を追求し、国家は自国の利益を拡大しようとする。経済活動も国家も、求めているのは自分たちの利益の最大化であり、他者との和解も、和解することによって自分たちに利益がもたらされるかぎりでしか成立しない。

 企業は自分たちの利益を最大化しようとして非正規雇用を増やし、ときには市場の拡大を狙って貿易戦争を仕掛けたりする。そして国もまた、つねに自国の利益の拡大をはかっている。現代世界は、そういう構造の下で展開している。

 だからトランプ大統領のいう米国ファースト、米国第一主義は、現代の世界のあり方を正直に表明したものにほかならない。ただし、それをむき出しのかたちで言わなければならないほどに、米国の凋落(ちょうらく)がすすんでいることの証明でもあるのだが。

 私たちはこれから、さまざまなものと和解できる暮らし方、和解できる経済活動のかたち、和解できる国のあり方を探っていかなければならないのである。その出発点には、自然との和解やコミュニティーや地域との和解がある。

 そして、経済活動は自分たちの利益のためにではなく、よりよき社会をつくるための道具であるということを再認識するところから、他者と和解できる経済のかたちを見つけ出していかなければならないだろう。もっともそれはソーシャルビジネスとして、すでに芽生え始めているものでもあるのだが。

 他者と和解できる国のかたちを含めて、そういうものを見つけ出していかないと、私たちはますます対立の中に投げ込まれてしまうだろう。現在の世界の動きは、不気味さを示している。つくり出さなければいけないのは、他者と和解できる社会のかたちである。
 
 


壊れつつあるもの、すでに壊れているのにごまかしているもの、そして次に生まれてくるもの、すでに次の時代のために芽生え育ち始めているもの。
私たちは、どちらの方向を目指すのか、どこを頼りにするのか、気づいて新しい船を作るのも、対立の中に流されていくのも、自分次第なのかもしれません。





★内山節氏の「時代を読む」

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落書き画家バンクシー氏からのメッセージ

2017年02月18日 | 心に残る言葉
17日の東京新聞筆洗を読むまで、「落書き画家」バンクシー氏のことは、まったく知らなかったのですが。

イギリスの覆面画家、バンクシーの絵は、ただの落書きじゃなくて、風刺のきいたメッセージ性が、高く評価されているそうで、落書きの描かれた壁を壊して競売にかければ数千万で落札されるほどの人気なのですって。




戦火で破壊されたガザの壁に描かれた子猫
http://gigazine.net/news/20150227-banksy-gaza-strip/


丸くなった鉄くずを毛糸玉に見立てて今にもじゃれそうな・・・この絵はここにあるからこそ、強いメッセージがあると思います。

ネット検索すると、いろいろな絵が出てきました。


   


上の絵は、下の筆洗氏が紹介した 「パレスチナの人々の絶望感が染み込んだような壁」に描かれた「風船につかまって飛ぶ少女の姿」


 朝起きたら、わが家の外壁にペンキで絵が落書きされていた…という災難は、ご免こうむりたいが、それが英国の「落書き画家」バンクシー氏の仕業であれば、話は別である▼街角の壁に風刺の効いた絵を人知れず描き上げるこの人の落書きは、大変な人気がある。壁ごと切り取られた作品が競売にかけられれば、数千万円で落札されるほどなのだ▼正体は決して明かさず、世界各地に出没するこの人が、繰り返し創作の舞台に選んでいるのが、中東パレスチナだ。そこには、イスラエルが建設した巨大な分離壁がある。砲弾で穴だらけになった家の壁もある▼パレスチナの人々の絶望感が染み込んだような壁に、バンクシー氏はそこから逃れるためのはしごを描き、風船につかまって飛ぶ少女の姿を描いた。落書きで壁を壊そうとしたのだ▼だが今、その壁はますます高くなりつつあるようだ。パレスチナ国家を樹立し、イスラエルと平和的に共存させる「二国家共存」は中東和平への大切な道なのに、トランプ米大統領は「どちらでもいい」と言い放った。パレスチナに新たな絶望の壁をつくるような米政府の変身である▼バンクシー氏はかつて、パレスチナの壁に、こんな言葉を書き付けた。「強者と弱者の紛争から手を引けば、私たちは強者の側に立つことになる。中立になるわけではないのだ」。値千金の警句ではないか。



壁を壊そうとする人、新たな壁を作ろうとする人。

ニュースでは、トランプ氏が、「エルサレムが一国主義でも二国共存でもどっちでもいい」と言った、その隣、ご危険 ごきげんな笑い顔のイスラエル・ネタニヤフ首相がいた。
「アメリカはイスラムの敵ではない」と語ったオバマ前大統領時代は、中東の和平と安定を最優先したから、イスラエルにとっては面白くなかったのだろう。
トランプ氏の愛娘イヴァンカさんの夫ジャレッド・クシュナー氏は、ユダヤ教徒、結婚の際は、イヴァンカさんもユダヤ教に改宗したという。イスラエルはトランプ政権に、強い絆を感じていることだろう。


「強者と弱者の紛争から手を引けば、
 私たちは強者の側に立つことになる。
 中立になるわけではないのだ」



本当にそうだなと思う。そう思う人が増えてほしい。


★バンクシーHP http://banksy.co.uk
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不法移民を助けた理由「私はフランス人だからだ」

2017年01月17日 | 心に残る言葉
東京新聞「本音のコラム」新しい筆者、アナウンサーの師岡カリーマさんの1月14日のコラムが心に残ったので。

戦争難民を助けたために、不法移民ほう助の罪で裁かれようとしていた容疑者セドリック・エルーの言葉。
なぜ、法を破ったのか、と理由を聞かれ、述べた言葉です。

「私はフランス人だからだ」
「自由・平等・友愛を掲げる共和国の市民が、目の前で困窮する人間を助けないほうがおかしい」


オバマ大統領の最後の演説では民主主義について時間をさいた。
合衆国憲法については、以下のように述べた。

アメリカ合衆国憲法は、驚嘆すべき、すばらしい贈り物です。しかし、一束の証書にすぎません。それ自体に力はないのです。力を与えるのは、我々市民であり、参加し、選択することによりそうなるのです。


まさに、エルー氏は、フランスの理念が生きたものであることを身をもって示してくれたのだと思います。

師岡カリーマさんは、日本では、時の政治権力に左右されない国家理念は、「非戦主義」と思う、と書いています。それは、平和憲法の理念です。
その意見に同意しますが、オバマ大統領の言われるように、私たちがそれを選択、実行しなければ、絵に描いた餅になってしまいます。

これからトランプ氏の登場で、日本を含めて主要世界で反面教師がそろってきました。

私たちは、どんな未来を選びたいのか。どんな人類、に進化したいのか。

エルー氏は、フランスの理念を誇りに思い、矛盾する法律を否定しました。
日本では、自民党政権下において、政権批判をすると「反日的」などとネット界隈では言われたりしますが、そうじゃない。
「平和国家の理念を忘れずに、その理念を遂行する」こと、それこそが、わが国を愛するということではないでしょうか。



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軍犬像と小鳥

2016年12月06日 | 心に残る言葉
 
 還らざる軍犬像に小鳥来る



東京新聞1面には、毎日、読者の平和の俳句が1句掲載されている。
この句は、それではなく、今週の俳句のコーナー『俳壇』に掲載されていたもの。
作者は、東京小平市の鈴木さん。

普通の俳句を読む(詠むではない)のが好きで、最初から普通に読んでいたのに、この句で、いきなり胸が詰まった。

ふと、30年ほど前に家にいた犬を思い出したので。
今でこそ、犬は大型犬でも、家の中で家族と暮らしている家庭も多いのだろうけれど、昔は犬は、外で飼うものだった。
庭の犬小屋が、彼らの住まいだった。
うちにいた犬も、外の小屋にいた。
しかし家の前を通る人にもフレンドリーで、私の知らないおじさんや子どもなど、たくさん友達がいて、猫にも、庭に来るスズメたちにも優しくて、とても番犬にはならないような犬だった。
ご飯の食べ残しを、野良猫に、平気で分け与えていた。


 


戦時中、軍用犬として、殺されるとも知らず、連れて行かれた犬たちは、一頭も帰ってこなかったという。
その犬たちを、供養・追悼したのだろう、軍犬像。
平和な時代だったら、小鳥と戯れていたかもしれない。

作者の思いが「小鳥来る」の言葉に凝縮されているようで、涙がでてきた。
人も動物も理不尽に殺された、そんな時代を二度と繰り返してはならない。


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ゆがんだ関係が蔓延する社会に気づく力と、戻す努力

2016年06月13日 | 心に残る言葉



雨降りの月曜日。関東の水瓶、利根川水系ダムも一息ついたでしょうか。
(6月16日追記:本日より10%の取水制限。一息ぜんぜんついてません



6月5日の東京新聞「時代を読む」哲学者内山節氏のコラムより。写真など少し編集しましたが、原文はそのままです。


「ゆがんだ関係」正す努力を
内山 節  

 古代の日本の人々を恐れさせたものに、怨霊があった。謀略などによって無実の罪を着せられて死んだ人の霊が、怨霊となって崇(たた)るという考え方である。もっとも有名なのは菅原道真の怨霊だが、人々は怒れる霊を鎮めるために、さまざまなことをしている。



 菅原道真を祀る北野天満宮


 その怨霊は、関係のゆがみが生みだしたものだった。ゆがんだ関係のなかで死を迎えたために成仏できず、怨霊になったと考えられていたのである。だから怨霊を鎮めるためには、ゆがんだ関係を自然な関係に戻さなければならなかった。怨霊を神として祀(まつ)ったり、官位を授けなおしたりしたのは、ゆがんだ関係を修復し、自然な関係に戻すための努力だった。


 古代の人たちは、関係のゆがみを何よりも気にしていたのである。もしも関係のゆがみが怨霊を生みだすのであれば、今日の社会は、怨霊だらけになってしまうだろう。自然と人間の関係もゆがんでいるし、非正規雇用が4割に近づいている雇用関係もゆがんでいる。人間同士の関係も、地域社会の関係も。自然な関係を探す方が難しいくらいだ。そしてこのゆがみが、ときに自然や人間を追い詰める。


 日本の伝統的な道徳観や倫理観は、ゆがんだ関係を自然な関係に戻そうとする意志とともにあったのである。
そのことをとおして、自然と人間の関係のあり方や、人間同士の関係、一人一人と社会の関係のあり方をみつけだそうとしてきた。
 とすると、私たちは問わなければならない。今日の企業や労働の世界に、ゆがんだ関係は発生していないだろうか。最近では企業のデータ偽造や、実質的な粉飾決算が問題になったりしているが、そういうことが生じてしまうのは、企業組織のなかに、ゆがんだ関係が定着してしまっているからではなかったか。





 日本の米軍基地の大半を沖縄に押しつけている現実は、ゆがんだ関係がつくりだしたものとはいえないだろうか。そもそも日米地位協定自身が、ゆがんだ日米関係の産物ではないのだろうか。後世の人たちに国の借金を押しつけている現状も、ゆがんだ世代間関係をあらわしてはいないだろうか。


 いま私たちに求められているものは、ゆがんだ関係を自然な関係に戻す努力なのである。それが政治の課題であり、経済や経営の課題でもあるはずだ。とともにそれは私たちの課題でもある。そのためには、ゆがんだ関係に気づく力と、自然な関係をみつけだす構想力が求められている。


 戦後の日本は、ひたすら経済発展を追い求めてきた。経済が発展すれば誰もが豊かになり、日本も大国になっていくと考えてきたといってもよい。だが現在では、さまざまなゆがんだ関係が社会のなかに堆積し、それが人々に不安や苦痛を与えるようになってしまった。





 子どもを育てられない社会はどこかがゆがんでいる。年をとることに不安を覚えなければならない社会もどこかおかしい。社会をつくりだしている関係のどこかがゆがんでいるから、そういう問題が起こるのである。

 もしかすると、ゆがんだ関係が怨霊を生みだすということに怯(おび)えていた古代の人たちの方が、正常な精神をもっていたのかもしれない。いま私たちに必要なことは、ゆがんだ関係を正していく精神をもちながら、政治や経済、社会と向き合うことである。
(哲学者)



ちょっと違うかもしれませんが、私どもに関して言うなら、体のメンテナンスに、日々、自力整体で「ゆがみを正していく」ことは、必須です、それによって体のめぐりが良くなり、長く整体ができていないと、どうも体がおかしいと感じます。骨盤調整というやり方で、体のゆがみを取ることで、息子のアトピーも改善しましたし。

社会や政治経済の問題も、そういう視点があると、わかりやすいと思いました。
そういえば、「ゆがむ」という字を漢字にすると「歪む」・・・不正と書くのも象徴的です。


★京都・北野天満宮の写真は、京都フリー写真素材様からお借りしました。

★内山節氏の「時代を読む」
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小国寡民・人々の無事を守る政治

2016年04月01日 | 心に残る言葉
東京新聞「時代を読む」内山節氏のコラム・・・私にとっては、いわゆる「読むサプリ」みたいです。

3月27日の「人々の無事を守る政治」も共感しきり。

そういえば、昨年来より、スポーツの世界から、「ルーティーン」という言葉を知りました。
イチロー選手の日常や五郎丸選手のあのポーズのように、「日常的に繰り返される生活様式」「一定の手順で行われる仕事」を意味するそうです。
なるほどなあと思います。
彼らの偉大な仕事の裏にあるもの・・それは、突拍子もない変化や、瞬間的な爆発ではなく、静かに当たり前に淡々と繰り返す日常や、身体の準備、それがあるからこそのものなのですね。
駅員さんの指差し安全確認、職人さんたちの道具の手入れと管理、1年間の農作業。みんな淡々と繰り返される日常のルーティーン。

自然界も同じで、春夏秋冬が滞りなく繰り返されるから、動植物は、その流れに沿って、次の世代をつなげていくことができる。
そして、「淡々と繰り返す自然と人々の日常を守ること」それこそが、政治の役割であり、それらをないがしろにした平和などありえないのだ・・・と、内山氏のコラムを読みながら、改めて思いました。




春、カエデの葉の芽吹き



人々の無事を守る政治
内山 節    

 私の山里がある群馬県上野村では、山の落葉広葉樹の木々が赤みを帯びはじめると、村人は春が近づいてきたと感じる。2月半ばから、木は大地から水をくみ上げ、その水のなかに糖分をためて、芽吹きの準備に入る。次第に冬芽がふくらみ、赤みをましてくる。イタヤカエデがくみ上げた水をもらい煮詰めたものが、メープルシロップである。

 上野村では桜が咲くのは4月20日ごろ。3月中はまだ梅の季節である。
 そんな自然の様子を見ていると、今年も無事に春を迎えてほしいという気持ちになってくる。自然にとっては、無事であることが最良だ。無事に春をむかえ、無事に夏や秋、冬を迎える。それができれば、去年と同じように、10年前とも100年前とも同じように、自然はその生命の世界を守り続けるだろう。自然は平和を求めている。

 それは人間でも同じことだ。無事に仕事をし、無事に暮らすことが、社会の基盤でなければならないのである。
 もちろん一人一人は、色々な生き方をしてもかまわない。あえて無事な生き方を捨てることも、人間にとっては一つの選択である。だが、社会全体の役割も、社会を守るための政治の役割もそこにはない。政治は一人一人の行動に対応するのではなく、誰もが無事に生きる社会をつくり、守ることにある。平和を守るといってもよい。

 自然の無事がこれからも続くようにするのと同じように、人間社会の無事を守るのが、政治の役割だ。
 政治の目的は、国を守ることでも、日本の国内総生産を増やすことでもないのである。国の政治では、国民の無事を守ること、地方や地域の政治では底に暮らす人々の無事を守ること。それが目的でなければならない。国の防衛やGDPの増加は、その結果でしかない。

 なぜこのような言い方をするのかといえば、国の防衛や経済発展は、しばしば私たちの生きる世界の無事と一致しないからである。
 たとえば第二次世界大戦をみても、国を守るための戦争が戦場や空襲による多くの死者を出し、国民の無事を破壊してしまった。さらに今では多くの人たちが気づいているように、経済成長だけを目的とした社会は、格差社会やつながりのない、幸せ感の薄い社会をつくり出してしまった。

 国家の防衛や経済成長は目的ではないのである。目的は人びとが無事に働き、無事に暮らす社会を作りつづけることの方にある。そのことを見誤ると、人間が国家や経済の道具として使われるという転倒がおこってしまう。
 そしてそれは、偏狭なナショナリズムと、とげとげしい国家間対立のなかに引きずり込んでいきかねない。実際、偉大な米国の復活とか、強大な中国の建設などというスローガンが叫ばれ、日本もまたその一角に食い込もうとする対立の構図のなかに、今世界は向かいつつあるかのようである。  

 自然は無事に生きられる世界の持続を求めている。春にはカエルたちが冬眠から覚め、水辺で卵を産む。それが永遠に続けられるような無事な世界の持続を。
 人間社会の原点もそれと変わらないはずだ。みんなが無事に生きていける社会。政治は為政者のゲームではないのである。
(哲学者) 



老子の言葉「小国寡民」を思い出しました。
老子は解釈する人によって違った印象を受けますが、私にとっては、内山節氏のコラムこそが、老子の言葉の意味と重なってくるように感じます。


★内山節氏の「時代を読む」
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