虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

国益を唱えれば国益を損なう「つぶし合いから分かち合いへ」

2011年11月04日 | サーカーの予言
資本主義社会。私たちが、安住しつつ、どこかで不安を持ちながらも、これに頼ってきた確固とした現代の経済システム。
ガラガラと壊れていく前夜・・・なのか。

人類の歴史の中では、かつて侵略と武力によって、人を支配し国を統治してきた時代があった。
現代においては、経済、カネが支配する社会。力を持つ者は、カネを持つもの。
何につけても、経済が最優先であり、経済的に成り立たない仕事は、価値がないとみなされる。

ここへきて、かつては途上国と言われていた国々が、新興国と呼ばれるようになり、カネはさらにワールドワイドに世界を飛び回るようになった。
地球規模の経済活動、グローバリズムの下、支配するものとされるものは、ますます格差を広げてゆく。
お金がお金を生む、狂ったようなマネーゲームがゆきすぎて、このシステムはいよいよ暴走してしまったように思える。

リーマンショック以前から、大恐慌の予兆はあったものの、なんとか持ち直しつつ、ごまかし続けているようにも思える、世界経済。
世界恐慌は、起こるべくして起こるのだろうか。


     


最近、ちょっと気になる玉川徹さんの本、「玉川徹のちょっと待った総研」に、世界恐慌についてエコノミストの浜矩子さんの、説明と処方箋が載っていた。

世界恐慌の可能性もわかりやすく説明されており、特に処方箋については、とても興味深い内容だったので、以下、メモのために概要を書いておきます。


-----------------------------

世界恐慌の起こる3つのパターンの可能性

1.財政恐慌
2.新興国恐慌
3.国益衝突型恐慌


1.財政恐慌
  (再生型と破たん型の2つの経路)

財政再生型恐慌

国家の財政再生のため、歳出を減らされ企業を支援するための予算は大幅に減らされる。従来なら、破たんを逃れていたような企業が支援を受けられず倒産。国の経済は弱体化。

財政破たん型恐慌

財政再建がおしなべて失敗し、ごろごろと国家破たんが発生。

・・・ということは、財政が再生しても破たんしても恐慌になる可能性があるということ。

2.新興国恐慌

中国、インド、ブラジル、インドネシアの新興国の国債が多量に買われている。利回り10%を超える国もあり、カネがそこに流れ込みバブル状態になっている。
そのバブルが一斉に破裂して、同時多発型恐慌になる可能性がある。
先進国がデフレを解消しようとして、緊急緩和をやって、意図的にカネ余り状態を作った。
しかし、自国の経済を救うつもりが、自国内に流れず、高い金利を稼げる新興諸国にどんどん流れだし、さらに新興国のバブルがあおられる。
世界経済を救う頼みの綱の新興国がだめになれば、先進諸国は、輸出も投資もできなくなる。→世界恐慌へ。

3.国益衝突型恐慌

みんなが自国の利益だけ考えて、お互いを排除し合う。輸入はしない。為替レートをめぐって為替戦争は起こる。たがいにデフレを輸出し合うことになる。そういう状況で互いの市場を奪おうとすれば、本物の戦争になりかねない。


これらの危機に関して、浜氏の処方箋は・・・

このひどい状況になったのは、「地球は一つ。されど国々は多数」という状況から。カネは国境に制約されず、国境を越えて、グローバル経済上を飛び回る。その結果が、リーマンショックである。でも後始末をする国は、国境を越えられない。
一つの地球には、一つの財政で対応しなければ、状況は改善できない。国々が一体となって、協調体制を組んでかからねば、問題は解決しない。
グローバル経済では、「国益を唱えることが国益を損なう」ことになる。生き残るためには、「つぶし合いから、分かち合いへ」という心構えの変化が必要である。


最後に、玉川徹氏から一言

「利己主義は、結局自分に悪い結果しかもたらさない」という人間関係の根本が、実は経済にもそのまま当てはまるとは・・・。政治家はすぐ「国益」を唱えますが、本当に日本が生き残るには、「国益という利己主義を見つめなおす」必要があるのですね。


-----------------------------


私は、略奪資本主義には、自己利益と数字があるのみで、他者のためとか他国のためという発想なんかないものだと思っていました。
今回、たまたま読んだ、浜氏の「つぶし合いから分かち合い」というキーワードはとても新鮮で、心惹かれたので、概要を紹介させていただきました。

しかし、人類に「つぶし合わずに分かち合う」というハードル、乗り越えられるのだろうか・・・という思いが浮かんでは消え、消えては浮かび・・・。
人類は、武力支配から経済支配を越えて、分かち合いの次のステップに、向かおうとするのか。
あるいは、「サーカーの予言」の通り、「資本主義は花火のように爆発する」その過程を経なければ、そこにたどり着けないのか。

TPPの行方、ギリシャとEU諸国、G20の各国首脳の顔を見ながら、そんなことを思った。

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サーカーの予言再びあるいは、がんばれ菅さん

2011年04月25日 | サーカーの予言
2008年秋、アメリカ発のあのリーマンショックが起こり、世界経済は混乱に陥りました。
その時に、本棚にあった「サーカーの予言」の本を開いたのですが、2005年と2008年の時代の差こそあれ、これって今起こってることだよね・・と思ったものです。

今一度、2002年に発行された「サーカーの予言」を読み直すと、びっくりするようなことを、私は見過ごしていました。
「サーカーの予言」とは、人々がスピリチュアルな進化を伴った、富の格差のない平等で安定した新しい経済の仕組み「プラウト」が日本から起こるぞ、というある意味、希望の書なのですが、その前に大混乱が起こると書かれているのです。
私は、この混乱は、「日本の国家財政は破たんする」という一節から、リーマンショックに代表される経済の混乱とばかり思い込んで読み進んでいましたが、小さく書かれた言葉を、すっかり見過ごしていたのです。
それは・・・



(日本で)
人心を震撼させるような
何か大きな出来事が起こる
核兵器の炸裂か、大地震か・・・・




サーカーは、このようなビジョンが繰り返し、瞑想中に浮かび上がってきたというのです。
そしてこれらが、世の中を激動させ、「天・地・人」大崩落へとつながるのです。
つまり、きっかけは、リーマンショックではなくて、日本人の心を震撼させるような大きな出来事、天変地異か、核の脅威のようなものだった、ということです。

時は2005年。この2005年という予言は、1945年、国土に2度も原爆を落とされた日本の敗戦が第一の悲惨な出来事なら、その60年後の日本で、さらに第2の悲惨な出来事が起こる、という意味でした。

60年というサイクルは、十干十二支が一巡する還暦の60歳と同じ。
アメリカにとって、悲惨な出来事である真珠湾攻撃と、その次の悲惨な出来事、9,11ニューヨーク同時多発攻撃の間がちょうど60年です。
わかりませんが、なにか意味があるのでしょうか。

しかし、日本では、2005年には、何も起こりませんでした。
でも、2005年から6年後の、真珠湾攻撃から66年後の2011年。今更書くまでもないですが、M9という巨大地震、大津波の大きな悲惨な場面、核兵器は炸裂しなかったけれど、原発事故で、地元住民避難という悲惨な状況に陥っています。





こんなこと、起こってほしくなかった…でも、起こらなかったら、たとえ言葉ではいいことを言っていても、引き続き、経済最優先の社会で誰もブレーキをかけられずに、人々の欲望はさらにエスカレートし、際限なくエネルギーを使い、飽食を止められず、環境を破壊し続けていたんじゃないか、とも思うのです。
そう、3月10日までは、現代生活を維持するために原発は必要なもの・・・と政府も役人も学者も大方の国民も、思っていた(あるいは、思いこまされていた)のではないでしょうか。

サーカーは言います。

宇宙はもともと、
正と負のバランスのとれた波動により
成り立っている

快適さをもたらすいかなる物質的な変化も
苦痛をもたらす変化と均衡することになる


快適さと苦痛は均衡しているってところ・・・

ACで有名になった金子みすゞの詩の一節を、ふと思い出しました。

  朝焼け小焼けだ大漁だ。
  おおばいわしの大漁だ。
  浜は祭りのようだけど 
  海の中では何万の 
  魚のとむらいするだろう。



この詩は、喜びと悲しみは同時に生じる、ということを教えてくれます。
ある一方から見たら喜びであっても、もう片方から見れば悲しみなのだから。

それがもたらす快適さが巨大であればある程、反作用で苦痛も巨大になってしまうのです。快適さと苦痛は、同じ量だけある。これが正負の法則です。
原発事故は、嫌というほどそれを教えてくれました。

しかしこれで終わってしまえば、ただの不安をあおる本になってしまいますが、前にも書いたようにサーカーは、日本から、本当の理想的な社会「プラウト」が始まるのだと、示してくれます。

プラウトの実現には、スピリチュアルな進化がなければならない、なぜなら、スピリチュアルな進化が伴った時こそ、ネガティブな反作用をもたらさない・・・と書かれているのです。
思い出すのは木村秋則さんの「奇跡のりんご」です。
木村さんの畑の土は、たくさんの生物、微生物がそれぞれにバランスをとりながら、生きて生かされて、共存できる畑。
その畑は、農薬も肥料も使わずに、自然の循環と同じようにずっと恵みをもたらしてくれるのです。

スピリチュアルは何か…と改めて書くと、何か前世とかオーラとか、一般的には、そんなことを思いがちだけどそれらはスピリチュアルの一部であって、私は、本当のスピリチュアルとは、精神性の高さ(意識レベルの高さ)じゃないかと思います。

今回の震災で、世界が驚いたこと、それは日本人の精神性、自分がどうしていいかわかない時でも他者を思い、助け合う心です。誰かのために危険を顧みず、被災地に向かう人々。
こんなことが、あっという間にできるのも、日本人の精神性(スピリチュアル性)、意識レベルの高さであるのでしょう。

アセンションというものが、いまだよくわからないながら、もしかしたら敗戦で日本人の意識レベルがアップしたように、震災とここから立ち直る過程で、毒だしされて、日本に、より高い意識レベルの向上が見られた時、アセンションが起こるのだとそんな予感があります。

ただ、混乱の時は、フォースが浮き立つから嫌な部分も、残念なことも目立ってくるのは必至。
フォースの領域(嘲笑、攻撃、恐怖、軽蔑、非難、否定、排除など)から発せられる、人を混乱させる情報は、わざわざ探し出して自分の意識レベルを落とさないように、注意した方がいいなと。
特に今は、ネットという手段があるから、ネット好きな人ほど、影響されて心が奴隷状態になっているようにも思います。





今の日本政府なら、意識レベルの点においては、他のどの党も変わることができないです。
だから私は、菅さんを応援しています。それだけは、書いておきます。(信じる信じないは、ご自由ですけどね)
政治家の多くはフォースの世界に住んでいるから、国会中継を見ても、菅さん、おつらいだろうなと思います。まったく、人生は修業の場であります。
絶え間ないフォース攻撃にあって、かなり体も心もお疲れだとは思いますけれど、菅さんは一人じゃありません。
ちゃんと理解している国民だっていますからね。




そうそう、復興構想会議のメンバーに、福島県在住の僧侶であり作家である玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんが選出されました。このような人選も、よかったなと思います。
 

この復興会議から、次の時代、本当の意味でのプラウトが出来上がるのではないかと勝手に期待しています。
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友愛社会とは、プラウトなのか(サーカーの予言より)

2009年09月17日 | サーカーの予言

ここ数日、空がとてもきれいなので、おひさまの光を食べながら(笑)、上ばかり見てしまいます。
ススキの上の青空を、飛行機が飛んでいました。UFOじゃなくて残念ですが・・(笑)
太陽の光は、人体に必要な幸福物質であるセロトニンを分泌してくれます。元気のもと、おひさまの光をパクパクっとするのは、理にかなっていますよね。

いつも書いておりますが、このブログに書いております意識レベルの数値は、私どもの個人的な実験による数値ですから、断定するものではありませんとあらかじめお断りしておきます。

昨日発足した、鳩山内閣の意識レベルを測りますと、民主党全体よりさらに高い675という非常に高い数値が出てきました。
今までの日本の政治は、フォースの領域に、はまり込んでいましたから、大大変化です。日本国民として、変化を恐れず、心よりお祝いしたいと思います。
また、昨日までの自民党公明党の先生方には、ご苦労様でしたと申し上げます。国民は、おかげ様で、政治や社会の在り方について、いろいろなことを経験し、学びを得ましたから。お役目、ありがとうございました。

    

鳩山新総理の掲げる友愛社会とは、政治が今まで切り捨てていた弱い人たちにも目を向けるという、まさに今までの政治や社会の価値観=勝つことが正義、経済的利益が最優先…という競争社会の通念から、突き抜けた価値観です。
これは、以前ご紹介した、「サーカーの予言」によるところの「プラウト」そのものではないでしょうか。



以前、サーカーの予言についての記事を書き続けたにもかかわらず、最後の最後で結論を避けて「気が向いたときにまた書きます」・・・なんてお茶を濁してしまった私めですが、今こそ書く時が来たのか(笑)。

サーカーの予言によると、「ムラのない美しい織物」に例えられるプラウトとは、今までの「略奪資本主義」に対して、「経済民主主義」であり、「進歩的活用理論」と書かれています。
サーカー師流にいえば、今の略奪資本主義は、富の分配が不公平ゆえに、織物に例えれば、糸があっちに引っ張られこっちに引きずられ、ひずんで歪んだ織物であるということでしょうか。
プラウト経済民主主義の根底には、「富と権力の集中」を防ぎ、「富の公平な分配」を行うという目標があります。

プラウトの一例として、法律においては、公平な富の分配を行うために、法の抜け穴を通って一部の者が節税、脱税が行われないように法の整備をする。
科学技術においては、いかなる発明や科学技術も実用化される前に、その副作用を徹底的に研究し、排出されるネガティブな副産物を抑制する。
また、環境やエネルギー効率を考えたとき、国内消費用だけの資源を輸入し、国内で製品を作り、国内で売ることである(=生産性を下げずに、輸送エネルギーを減らすことでより良い環境になる)などと書かれています。

これらのプラウト社会を実現することは夢物語ではなく、ラビ・バトラの師サーカーは、それがまず日本から浸透すると予言しているのですが、今現在の鳩山政権の意識レベル、日本国民の意識レベルの高さを知ったとき、やはり、それは夢物語じゃなくなると思いました。



さらにラビ・バトラの「2009断末魔の資本主義」によれば、彼はラストをこのように結んでいます。

資本主義は、2009年にはっきりと目に見える形で崩壊を開始する。その激流の中で、新たな未来への道を見出しうるポジションこそ、日本が今おかれている位置であると確信する。
略奪資本主義はその業として、粉々に崩壊していく。
しかし、世界中の人々が営々と築いている日々の暮らしは、変わらずに営まれ、その基礎は揺らぐことはない。
人々と国々の良心、そして、人類の進歩への情熱は、決して未来永劫、枯れることはなく、人類は今ようやく、この巨大な危機を与えられたことによって、次へのステップへと踏み出しつつあるのだ。


民主党政権が実現した今、ラビ・バトラの言うように、光は極東の日本から始まるのでしょうか。
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光は極東の日本から

2009年01月24日 | サーカーの予言

ラビ・バトラの6年半前の著書「サーカーの予言」をずっと紹介しておりましたが、著者の今年1月の最新書「断末魔の資本主義」を手に入れました。
サブタイトルは、「崩壊から黎明へ光は極東の日本から」というもので、日本人としては、大変興味をそそられますよね。

「サーカーの予言」でも、日本人は大変スピリチュアルな民族であることを、ラビ・バトラは認めています。
無宗教者が多いといわれる日本人ですが、初日の出や富士山を見れば、反射的に手を合わせたり、日々の暮らしの中で初もうでやお墓参りなどが当たり前のように根付いている民族です。
そして、自然や神仏に対して、あいまいながらも確固とした謙虚さをずっと持ち続けている日本人の緩やかなスタンスは、私も嫌いではありません。
(むしろ、教義に縛られて、違いを認めようとしない各宗教団体のほうがずっと違和感があります。)
日本人がスピリチュアルな民族であるというのは、バトラのいう通りだと思います。

また戦後の日本の終身雇用や年功序列制度を含めた修正資本主義をとても評価しているのです。
確かにある時期の日本においては、会社と労働者の関係はとてもよくて、社員同士がまるで一つの大きな家族みたいでした。

「サーカーの予言」では、師サーカーの「予言」という言葉を使っていました。しかし、本書では、予言ではなく、「予測」であり(何より、バトラ自身が経済学者ですので)、瞑想を行っている中で得た「神の啓示」ともいっています。
下記に示した2008年に行った10の予測のうち、5までが当たっています。6からは、今年以降のことですから、まだわかりません。

予測1 原油価格は100ドルを超えて高騰し続ける
予測2 「サブプライムローン危機」は再三爆発する
予測3 2008年大統領選は民主党の勝利
予測4 アメリカの大企業の破たんが続発する
予測5 日本の好況は2008年半ばか末まで
予測6 2009年にイランが新たな中東の火種となる
予測7 アメリカの資本主義は数年内に終焉する
予測8 2009年後半から、2010年前半に世界的な重大危機
予測9 中国にも2010年に危機到来
予測10 日本で新たな経済システムの胎動が起こる


大変な時代を通り越して、予測10に希望が見えています。
バトラが戦後の日本の修正資本主義を評価していることを鑑みますと、小沢民主党の言っている、終身雇用や年功序列制度など、労働者のセーフティネットの復活もあるかもしれませんね。



私個人としては、やはり、完全無農薬で栽培種のリンゴを作った木村秋則さんのような発想が、今後のキーワードになると思っています。

奇跡のリンゴ」の本のカバーに木村さんの素敵な言葉が載っています。

「リンゴの木は、リンゴの木だけで
 生きているわけではない。
 周りの自然の中で
 生かされている生き物なわけだ。
 人間もそうなんだよ。
 人間もそのことを忘れてしまって
 自分ひとりで生きていると思っている」


どんな仕事を選ぶにしろ、どんなライフスタイルを選択するにしろ、私たちは自然に生かされているのだということを忘れてはならない・・・・それが「スピリチュアルな進歩」を伴うことではないかと思うのです。
また、自然と共存したリンゴの木は、土の中で根っこを思い切り、はれるんです。
人間も根っこがある人、根っこがある生き方、根っこがある会社、見ているとなんとなくわかります。
うわべだけ取り繕っても、根っこがちゃんと張れないと弱くなってしまうのは、リンゴも人も同じではないでしょうか。

参考サイト 奇跡の自然栽培リンゴの木村秋則さん


泡瀬干潟を守る連絡会ホームページ
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続々々サーカーの予言・4つの哲学と略奪資本主義の終り

2009年01月16日 | サーカーの予言
サーカーの予言」の続きです。
初めて読まれる方はこちらの記事からどうぞ。
 ※資本主義は花火のように爆発する
 ※続サーカーの予言・スピリチュアルについて
 ※続々・サーカーの予言と、「パワーかフォースか」

サーカー師は、ラビ・バトラに世の中には4つの哲学があると説きました。

《自己を中心とする哲学》
《物質を中心とする哲学》
《独断的信条(ドグマ)を中心とする哲学》
そして
《神を中心とする哲学》


最初の《自己を中心とする哲学》は、まさに資本主義に見られる哲学で、そこには、公共の福祉よりも個人の利益を求めることが、あらゆる活動の背後にあります。個人的な快楽を得ることだけを目的としていると、バトラは、ばっさりと書いています。

《物質を中心とする哲学》は、マルクス主義などにみられるもので、食べることだけがすべてであると、これまた、ばっさり。なぜなら、幸福は、物質を得ることから生じると信じられているからです。

それでも上の二つの哲学は部分的には、理性を持っていますが、
《独断的信条(ドグマ)を中心とする哲学》は、理性などまったくないと、さらにばっさり。たとえば「女性は男性より劣っている」とかいう勝手な決め付けだけがその基盤になっているということです。
ドグマ(=独断的な説)に洗脳された人々は、理性を失っている、その通りです。
数々のカルトの教えなどもこれに入るのではないかと思っています。

しかし、これらの哲学に理性があろうとなかろうと、倫理的道徳的な価値観を築くのには何の役にも立たないのだと。
そうですよね、資本主義にしろ、共産主義にしろ、政治家や官僚の腐敗は必ず起こっているのですから。

倫理道徳なき政治家は、
金まみれになり、
富める者に恩恵を与え、
貧しきものに
そのしわ寄せをするような税制や経済政策を強いてくる。(中略)

師サーカーは説く

”《神を中心とする哲学》のみが
  社会が抱える様々な悪病を治癒できる”



ここで気をつけたいのは、「神」というとき、私たちは、ある特定の宗教における神をイメージしてはならないということだと思うのです。
なぜなら、一つの固定された神は、うっかりすれば先ほどの《独断的信条(ドグマ)を中心とする哲学》に陥りやすく、教祖や自分たちだけに都合のよい神であり、神の名のもとに他者を攻撃することを是とすることがままあるからです。
そこには、「理由さえあれば殺人を犯してもよい」というドグマも重なります。
ですから、「サーカーの予言」の本書で述べられる神は、もっと大きな意味での宇宙意識であり、独断的な宗教団体等の神とは、はっきりと区別することが必要でしょう。
その辺は、以前書きました、「続サーカーの予言とスピリチュアルについて」と「続々・サーカーの予言と、「パワーかフォースか」 」の部分を見てくださればご理解いただけると思いますが・・・・。

「神」を中心に据えることにより、
人間は倫理上の行いにとても厳格になれるからである。
その下でこそ、人間は正直で誠実であり、
すべての人を愛し、
「神」と「社会」と「自分自身」のために生きられる。

だからこそ、政治・経済・教育といった制度は、
《神を中心とする哲学》に結びつけなければならない。

偉大な師は、

スピリチュアルな進歩を
現代社会の様々な問題に適用させ、
社会の悪病を治癒しようと努められた。


そして神を中心とする哲学をもとに
「貧困対策」「誠実な政府づくり」「環境保護」「産業の分散化」という
1本1本の糸を
「ムラのない美しい織物」=「プラウト」に織り上げようとしたのである。

もと西ドイツ首相のヘルムート・シュミット氏が
略奪資本主義と呼んだ、腐敗した資本主義は間もなく崩壊する。

これからの時代、
地球上のすべての人間が幸せになるために
略奪資本主義は、
その役割を終えるのである。

「天・地・人」大崩落を体験した後、
人類はプラウトによって、
黄金の時代を迎える。


「サーカーの予言」この記事で真髄のラストの紹介をと思いましたが、残念ながら、またまた紙面と根気が尽きて、最終まで至りませんでした。とほほ。
小出しにせず、いきなり結論を書けばいいのでしょうが、今この時代この瞬間にリンクしていることだと思うので、なるたけ丁寧に書いていきたいと思ったのです。
と言っても私の力量じゃ、穴だらけですが(汗)
繰り返しになりますが、この本は、2002年の6月、今から6年半も前に書かれたものです。当時は、今年の大河ドラマのタイトルが、「天地人」になるとは、誰も思わなかったでしょう…え?そこ?(笑)
納得の結論は次の機会に…と思ったのですが、何だか本一冊、丸ごと紹介しちゃいそうなので、本当の結論が気になる方は、図書館なりでぜひ手に取って読んでみてください。
結局、本の評価・判断はそれぞれ、ご自分でなさることが一番だと思いますので。

ただ、この本を読んで私なりに、感じたのは、スピリチュアルな進歩こそが、資本主義の次にくる世界体系であるということ。
当ブログは、「パワーかフォースか」に影響を受けて書き始めたものなので、その観点から言えば、
「神を中心とする哲学」とは、パワーの源泉である所の高いアトラクターフィールドとつながることと、同義ではないか。
「黄金の時代」とは、人類は政治・経済・教育などあらゆる場面でパワーの選択ができる社会がくることなのではないかと思いました。
なんとなれば、当ブログで再三申し上げている、環境問題や医療問題、政治問題も、この著書の結論と重なっている部分が多くあるからです。
人類の意識レベルが上がり、もしあらゆる場面でパワーの選択が行われるなら、やはり今までとは全く違った心地よい時代になるでしょう。それが黄金の時代というなら、非常に楽しみでもあります。

もし、私の気が向きましたならば、ラストの真髄をいつか書けるときに書こうと思いまする。
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続々・サーカーの予言と、「パワーかフォースか」

2009年01月11日 | サーカーの予言
サーカーの予言」の続きですので、初めて読まれる方はこちらから読んでください。
 ※資本主義は花火のように爆発する
 ※続サーカーの予言・スピリチュアルについて

現在、経済も環境も、行き詰まり感が増している理由として、経済学者ラビ・バトラは、師サーカーの言葉を引用して、スピリチュアルな「進歩」が伴っていないからだといいました。

”知的な面、物理的な面における
 いかなる「進歩」も
 スピリチュアルな「進歩」を伴なければ
 本当の「進歩」とはいえない”


理由は簡単です。物理的進歩だけでは、限界があるということは、現状を見ればよくわかることです。バトラは、ニュートンの「すべての動きには、それと同じだけの反作用が必ず存在する」を挙げて説明しています。

人間の知恵が生み出した
発明や科学技術や経済システムが、
どれほど多くの「苦痛=反作用」を生み出してきたか

広島、長崎の原爆を思い出してほしい
世界中の貧困にあえぐ人々のことを
思い出してほしい
汚染によって傷つけられた
山や川や海のことを思い出してほしい

人間が宇宙の法則である
正と負のバランス
作用と反作用のバランスから
逃れることなど不可能なのである。


では、反作用を伴わない進歩の道はあるのだろうか?とさらにラビ・バトラは問います。
そして、スピリチュアルな進歩を伴うことこそ、本当の進歩に至る道と断言します。それは、広大な宇宙を制御できる、宇宙の核=宇宙意識の中核(神)を求め信じ、心を砕いて努力することだというのであります。
神とも表されるこの存在は、仏教でいうところの法(大ちゃんに教えてもらいました)、老子いうところの道(タオ)、飯田史彦さんいうところの精神宇宙の中心や光の存在、「パワーかフォースか」のホーキンズ博士がいうところの高いアトラクターフィールド=パワーだと私なりに解釈しました。

それらとつながる道を求めることこそが、

そこでは、いかなる行動も
ネガティブな作用をもたらすことはない。


と、いうわけです。言葉で書くと、難しく感じますが、パワーな人たちの行動を見れば、わかるのではないでしょうか。
マザーテレサや、ガンジーは、自分だけの幸福を求めませんでした。自らは、自分と敵対するものも作りませんでした。



昨年私が知った、超パワー人は、「奇跡のリンゴ」を作った木村秋則さんです。彼は、ボロボロになりながらも、リンゴの木と対話し自然と対話して、ついに絶対不可能と言われた無農薬でおいしいリンゴを作ることに成功しました。その時、木村さんは高いアトラクターフィールドとつながっていたと思います。

また、私どもの個人的でせまい経験で恐縮ですが、キネシオロジーテストで弱い反応をしたものが、意識レベルが上がると、弱い反応をしなくなる、無毒になるという経験をしています。
ネガティブな反作用を起こさせない本当の進歩をするためには、やはり私たち一人一人が、怒りや恐れ、己のためだけの欲望や他者への差別などを手放して、フォースの領域から抜け出し、自分の意識レベルを上げること、スピリチュアル性を高めることなのだと思います。

またまた、ラストの真髄に至らずに、紙面がつきました(笑)。
続きは、次の機会に。

関連記事
奇跡のリンゴを作った人
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続サーカーの予言・スピリチュアルについて

2009年01月08日 | サーカーの予言

サーカーの予言」の続きです。
著者は世界的な経済学者ラビ・バトラ。前の記事をまだ読まれてない方は、こちらから先に読んでくださいね。

昨年、私は意図的に「スピリチュアル」という言葉を、ブログでなるべく使わないようにしようとしていました。

一つには、私自身が感じるスピリチュアルと、世間一般が思うスピリチュアルの認識が、違っていることに気づいたからです。
世の中を見回せば、霊感商法などがいまだに存在し、それがスピリチュアル番組のせいだと思う人も多いという事実。誤解を解けるほど、私には能力はなく。

私自身も、スピリチュアルを取り上げるマスコミが、霊視や前世などを第一義として、それらをエンターテイメントに構成して一つの番組を作ってしまうことは、準備の出来ていない無防備な視聴者に対して、霊感商法につけ込まれるような誤解を生じさせる可能性もあるのではないかと、時に思うこともありました。
また、超常的な事柄をことさら強調することで、むしろスピリチュアルに対して拒否反応が強く出てしまう人々もいるということも、あります。
ですから、スピリチュアルを不特定多数の人が見る、マスメディアに乗せることはとても難しい問題なのかもしれない、と思うようになったのです。

そして、このブログを書き出した当初は、思いもよらなかった、人工の電磁波問題や、薬害、環境問題など、いわゆる科学的エビデンス(証拠)を、求められるような問題も書き進んできたところで、スピリチュアルは、いったん棚の上にあげておこうかと思うようになったのです。
しかし、スピリチュアルを棚に上げるのなら、わざわざ「虹色オリハルコン」を立ち上げた理由もなくなってしまう…それで、ちょっと迷ったり悩んだりした時期があったのです。

しかしながら、ラビ・バトラはスピリチュアルについて、サーカー師の言葉を引用して、以下のように書いています。この本を手にして、資本主義が崩壊するという予言の部分より、私にとっては、以下の部分、むしろここを読んでどれだけ心が救われたかしれません。

p112~

師サーカーが明らかにしていることがある。

”人間は3つの要素で構成されている。
 一つ目は物理的な肉体としての要素。
 二つ目が、人間の心理的な心。
 これは知性を生み出す。
 そして三つ目は、
 スピリチュアルな魂としての要素である”


師サーカーは語っている。

”知的な面、物理的な面における
 いかなる「進歩」も
 スピリチュアルな「進歩」を伴なければ
 本当の「進歩」とはいえない”


人間は、スピリチュアルな進歩を怠ってきた。
その結果、行き詰ってしまったのである。


さらに…p118~

スピリチュアルは、何かと問われるかもしれない。

現在、物理学において「核」の存在が明らかにされている。
物質元素には原子核が存在し、
その周りを電子が回っている。
太陽系においても、月などの衛星は
地球などの惑星を「核」にして回っている。
さらに、地球などの惑星は、太陽を「核」として回っている。

すべての存在は
「核」となる存在があるからこそ
存在できるのである。
ならば、
この宇宙全体も
中心となる「核」なしには
存在しえないことになる。


つまり、この宇宙にはそのすべてを
支配する「核」が存在している。



私が自然の中でずっと感じてきたスピリチュアルと、バトラが示したスピリチュアル、この部分はぴったり一致して、心から共感できました。

なぜって…それが存在しなければ、どうしてカマキリの翅はあんなに葉っぱの形そっくりに、葉脈模様を持って生まれてくるのか。よくよく見れば、虫食いの模様までもった個体もいるのだ。
それが存在しなければ、なぜ茶色のカマキリは落ち葉の上に、緑のカマキリは緑の葉の上に、自ら居場所を選択できるのか。

私たちを照らす太陽が、あともう少し地球に近ければ灼熱地獄、遠ければ凍りついてしまう、という奇跡の距離に地球はあって、自然のあらゆる秩序は、偶然と言い切るには、あまりにもよくできすぎていて、私を畏れさせます。

私は、この地球、そして宇宙をデザインする、何かの大きな「意図」や「意識」を思わずにいられないのです。
古今東西、多くの人々が「神」を信じ、祈りをささげてきたのも、もともとは自然の脅威あるいは驚異に畏怖したからだろうと思います。
でも、「神」という言葉は、歴史の中で権力をもったものによって都合よく置き換えられ、その意味合いも変化してしまっているから、これも誤解を招く言葉でしょう。ですから、「神」というより「核」という表現は、私には、しっくりきたのです。
(…もっとも、ラビ・バトラも、この後、「核」をサンスクリット語のパラマプルーシャ=宇宙意識と置き換え、「宇宙意識」の中核となるものが「神」である、と書いてますけどね。)

今回は、「サーカーの予言」によって、私がどれだけ心が楽になったかを書きましたが、実は本題としてまだ書くべきことがあるのです。
が、またまた、私の根気が尽きてしまいましたので、…なにしろ、体力が体の好転反応に使われているようで、すぐ、くたびれる…へなちょこ(笑)。
そんなわけで、この本の真髄は、次の機会に。


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資本主義は花火のように爆発する

2009年01月03日 | サーカーの予言

お正月、本棚から、うちの不思議人間Aがあることもすっかり忘れていた本棚の片隅の一冊の本を出してきました。なんだか背表紙が目の前にびゅーんと飛び込んできたとか言って…(笑)
今から6年半前、2002年年6月に出た初版本、上の本です。
タイトルは「サーカーの予言」、「資本主義は花火のように爆発する」なんて、すごいサブタイトルがついています。

著者ラビ・バトラは1943年インドパンジャブ州生まれ、デリー大学在学中にのちの人生を決定づけることになるサーカー師との運命的な出会いをする。国際貿易理論の専門家で、現在サザン・メソジスト大学教授。…とあります。

ぱらぱらとめくっているうちに、なんだか今のことをすべて見とおしていたようでびっくりするような記述がいっぱい出てきました。以下、一部ご紹介しましょうか。

p36~

現代の資本主義経済は、やがて崩壊の時を迎える。

需要と供給のバランスが崩壊すれば、
経済は否応なく
景気後退か恐慌に陥るからである。


健康な体に
過不足ない血液の循環があるように
経済においては
需要と供給のバランスが保たれてはじめて
健全な経済となるのである。

資本主義経済の崩壊には、二つの理由がある

一つは極端な富の集中である


アメリカにおいて、わずか1%の富める者たちが 
アメリカ全土の富の40%を手にしている。
日本においても、1%の富める者たちが
富の25%を手にしている。

富める者たちは、
手にしたその富のすべてを使うことはありえない。
また、貧しい者達は、使いたくても使うほどの富を持てない
すなわち富がかたよることにより
需要と供給のバランスが、崩れてしまっているのである

もう一つの理由。

それは諸悪の根源「自由貿易」である。
自由貿易は経済を破壊する。


なぜなら自由貿易においては
生産性は確かに上がるが、
労働者の賃金が上がらないからである。
日本においても例外ではない。
自由貿易を好む富める者や、多国籍企業は
賃金の低い国に生産拠点を移す。
また、そこで生まれる輸送コストは
製品に上乗せして値をつける。

富める者たちは賃金を非常に低く抑えて
労働者を奴隷状態にし
製品には高値をつけて
ボロ儲けしているのである。


賃金を抑えられた労働者は
消費しようにも余裕などあろうはずがない。
こうして自由貿易は需要と供給のバランスを崩し
経済を破壊していくのである。

 

どうですか。自由貿易とはグローバル経済のことでしょう。すると、一昨年から言われだしたグローバル経済とワーキングプアの関係について、すでに、6年半前に警告が出されていたのです。しかも、今となっては、せつないほど、わかりやすく。

さらにもっと。

p96~
次に起こるアメリカ発の大暴落は、
世界経済に深刻な影響を与えるだろう。


私は、1999年12月に書いた『新世紀の大逆転』の中で、
2000年の夏までにアメリカの株式市場は
大暴落に陥る危険性を持っていると予測した。

2000年4月。アメリカナスダック市場は、
ITバブルがはじけ、史上最大の下げ幅を記録した。

その後も、下降線をたどり続けたアメリカ株式市場は、
2001年9月の同時多発テロによって、大幅に下落した。
しかし、今だ大恐慌には至っていない。

大恐慌は起きなかったというより、引き延ばされたとみるべきである。

現在、世界経済は富める者によって、その構造自体に
腐敗や強欲や貧富の格差など致命的な問題を抱えてしまっている。
人為的にいくら取り繕ったところで

この腐敗した構造に
大手術のメスが入ることは避けられない


いずれ、アメリカ発の大暴落が世界全体に打撃を与える日がやってくる

多くの権力をもった者が失脚し、
多くの富める者がその富を失うだろう。


これは、まさに今のことを言ってるんじゃないでしょうか。
実は本の中では、この時を、彼は2005年と断定しました。が、2005年、ここまでの大暴落は起こらなかった。上記のように、さらに引き延ばされたというべきかもしれません。
2005年、私にとっては、個人的にも、政治的にも、本当につらくしんどい年でした。ブログという手段で、ほとんどやけっぱちの気分で、政治に文句を言っていたことを思い出します。
政治的には、この年1月ブッシュがふたたび大統領に就任しました。あの時は、心底、うんざりさせられましたっけ。
9月には郵政民営化選挙で、自民党が歴史的な圧勝。この選挙により、日本人のトラの子、郵便貯金と簡易保険350兆円が、グローバル経済の中に放り出されることが決まり、小泉さんも竹中さんも、350兆円が民に活用されることは素晴らしいことだと、口角泡を飛ばして叫んでいました。そして、アメリカの市場は、自民の圧勝を受け、これを大歓迎し、株価も上がりました。つまり、2005年に起こるはずだったことが、あの選挙でさらに先延ばしされた…といえるのでは?
さらに3年後の昨年、リーマンショックが引き金となり、ついに来るべきものが来た、ということかもしれませんね。

しかし、この大暴落を、悪いこととして受け止めなければならないのか?
そうではないと、ラビ・バトラは、書き続けます。
なぜなら、これらのことは、人類が新たな未来へ飛躍をする「神の壮大なシナリオ」なのだというのです。
説明が後になりましたが、この本はタイトルが示す通り、経済の本でありつつ、とてもスピリチュアルな本なんです。

これからの行く末もさらに、詳しく書かれていますし、今後の私たちの生き方も問われています。まあ、こんなところで、長くて紙面が尽きた?というか、私の根気が尽きた(笑)ので、この記事はこの辺で。
続きは、また次の機会に回したいと思います。
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