昔は、ケータイもスマホもないから、電車などの乗り物に乗るときは、雑誌や本を読むか、寝るか、外の景色を眺めるか、考え事をするか、ぼけっとしてるか、周囲の人間観察をこっそりとするくらいでしたよね。
当時20代前半だった私は、その時は、いつもバッグの中に谷川俊太郎さんの「ことばあそびうた」を入れていた。
詩は、開いた場所をすぐに読めるので、谷川さんの紡ぐ日本語の面白さに陶酔し、その頃のお気に入りの一冊だった。
電車の中だから、頭の中で音読していた。笑。
その当時、新宿の駅につながる喫茶店で、友人と午後のお茶していたとき、谷川さんが、右斜め前の少し離れた大きめのテーブルに一人で座っているのに気づいたのだ。
「うそー、どっひゃー」みたいな?
「あの人、谷川俊太郎さんだ」同席している友人に、小さな声で言ったけど、友人は誰だか知らなかったみたい。
とにかく、うれしくて心臓バクバク。
そうだ、谷川さんの「ことばあそびうた」を持っていけば、サインしてくださるかもしれない。
バッグ、バッグと、バッグをのぞくと。。
ないっ!
やっだー、今日に限って本が入ってなかった。運が良いのか悪いのか。
谷川さんは、仕事の待ち合わせみたいな感じで、その後にやってきた人が、
テーブルの上に大きな紙を広げて、それを見ながら話していらした。
仕事中は、絶対ご迷惑だから、一段落したときに、声をかけられたら幸せだと思ったのだけど
仕事先の方と思われる人が、その紙をしまうと、二人して、ささっと席を立ってしまった。
ああ、もうお帰りになるのかと、がっかり。
そんなに好きなら追いかけていって握手でもしてもらえば・・とか友人に言われたけど、恐れ多くて無理無理。
そんな勇気もなくて、お店を出て行く二人の背中を見送るしかなかった。
せめて、あの本さえ持っていれば、きっかけがつかめたかもしれないのに・・・
負け惜しみに言ったのだ。
谷川さんとはきっといつか、また会える。だから今回は見送る・・・
かっこつけてた私のバカ。
訃報を知ったとき、突然40年以上も前のそんな出来事を思い出してしまいました。
結局、その後、リアルでお会いできることはなかったけど、
本の中でなら、いつでも会えていることに気づいた。
あの時、声をかけられなかったけれど、それで良かったのだと思います、
もし声をかけたら、田舎のいもねーちゃんがなんてダサいことしたのだろうと、
想像しただけで、恥ずかしくて赤面するもの。
これからも一読者として、谷川さんの詩を愛してゆきます。