虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

車を無理に売るよりも・・・

2007年03月22日 | 車社会を考える
若者のクルマ離れ…都会で売れない
首都圏(東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県)在住の若者=M1・F1層(M1層・F1層とはテレビ視聴率集計区分で、男性20-34歳をM1層、女性20- 34歳をF1層と呼ぶ)の「クルマ離れ」の主な要因は、「経済的理由」、「都市部固有の要因」、「趣味の多様化」であるとの調査・分析結果が得られた。
若者層のマーケティング調査機関であるM1・F1総研(Media Shakers運営)は、第2回分析レポート『若者のクルマ離れに関する検証』を発行した。

「車を欲しいと思わない」M1・F1層の理由
1位…今の生活では特に必要性を感じないから(74.1%)
2位…車の維持費・税金が高いから(52.0%)
3位…他の交通機関で事が足りているから(51.9%)
4位…車以外のものにお金をかけたいから(43.9%)
5位…車本体を買う金銭的余裕がないから(36.9%)


日本の基幹産業ともいえる車ですが、都会の若者層(・・といっても、34歳が若者に入るかどうか)に売れなくなってきているそうです。
東京には、たまに行くのですが、何しろ地下鉄やJRが充実していて、2~3分おきに列車はくるし、網の目のように張り巡らされた路線図を見てもわかるように、どこに行くにも、公共交通で十分だと感じます。
よほど荷物が多いとか、足が不自由とか、病気であるとかの理由がない限りは、駐車場の確保や、渋滞に巻き込まれるリスクを考えれば、都会では車はそれほど必要性もなく、温暖化や大気汚染の原因になる排ガスなど、むしろ環境にとっては悪役という印象もあり、この傾向は納得がゆくものです。そして、うれしいことだと思います。

しかし、別の記事では、

若者のクルマ離れ…「リフレッシュ」で買わせる
そこで、「クルマ離れ」の若者に所有意向を喚起させるために、「車はリフレッシュできるもの」という価値を訴求するマーケティング・コミュニケーションが有効であると、レポートは提唱する。「運転行為の醍醐味」を感じさせ「オリジナル空間の居心地」の良さをアピール、「目的地への期待感」を膨らませるメッセージが有効だという。

業界ニュースですから、売り手スタンスに立つのはわかるけれど、人類の一人の立場で言うなら、まるで悪魔のささやき。せっかく車離れが出来てきかけたのに、トヨタだってきれいごと言ったって、やっぱり本音は、売らんかなか・・・がっかりだよっ!てか。

地方では、公共交通が赤字路線等で廃止された結果、足がなくなってしまい、もう免許を返還したほうがよいようなお年寄りでも、仕方なしに車を運転しなくてはならない状況が、たくさんあります。この部分のヘルプは今後、絶対必要。
  
業界の方たちも、売るだけじゃ、もうだめな時代だということは、わかってますよね。
トヨタは、「素敵な宇宙船地球号」なんて番組まで持ってエコを看板にしてるんだから、そこのところもう少し企業として、頭と心を使って、方針を少し変えてみたらいかがだろうかと思います。
ねえ、世界のトヨタがやらずして、誰がやる? 
コメント (8)
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車依存社会からの脱却を

2007年01月23日 | 車社会を考える
朝、子どもたちが学校へ行く前に、親はなんて言いますか。
遊びに行くとき、なんて声をかけますか。
「いってらっしゃい、車に気をつけて」
私も、必ず言いました。高校生になっても、今だ、そう声をかけています。

ここ数年の間に、近所で、中学生が塾へ行く途中、車に自転車ごとはねられて亡くなり、また、真新しいランドセルを背負った小学1年生の男の子が、下校途中にひき逃げされて亡くなりました。大事に至らなくても接触事故のようなことは、日常茶飯事におこっています。全国に目を向ければ、おして知るべしです。
毎年事故後24時間以内に何千人もの人々が車によって命を落としている現状。公共交通ならとっくに営業停止でしょう。交通事故の恐怖は、テロよりも切実な今そこにある危機なんです。

昨年は、飲酒運転の末、ぶつかった車が海に転落し、乗っていた幼い兄弟3人の命が失われるという、ショッキングな出来事がありました。それをきっかけに、飲酒運転の取締りが強化され、社会全体が飲酒運転に対して厳しい目で見るようになりました。
私は、この3人の子達は本当にかわいそうで、ご両親の気持ちを考えると胸がつぶれそうになってしまいます。
しかし、彼らの犠牲があってこそ、飲酒運転への警鐘を大きく鳴らすことが出来たのです。

同様に風見しんごさんのお嬢さんが、青信号横断中にトラックの下敷きになってなくなったというニュースは、あまりに痛ましく、風見さんの悲しさ悔しさが伝ってくるような喪主挨拶には思わず涙が出ました。

役割のない命なんてないのです。
亡くなったお嬢さんは、有名人のお子さんということでクローズアップされましたが、多すぎてニュースにもならず同じように亡くなった大勢の子どもたちを思い出させてくれました。
そういった意味で、昨年亡くなった3人の幼い兄弟も風見さんのお嬢さんも、交通事故っていつでも起こる可能性があるのだよと、私たちに警鐘を鳴らしてくれた、そんな役割であったのかもしれません。

飲酒運転だけじゃない。運転者がどんなに普段いい人でも、曲がったことが大嫌いな正直者でも、些細なミスで大事故につながってしまう車という乗り物。
また、24時間個室状態で移動できるわけですから、赤ん坊のときから車移動させられた子達が公共の場での暗黙のルールやマナーも知らずに育ってしまって、電車の中で化粧したりするのではないのかと思ったりもします。(しつけの問題もありますが・・・)
私は、排ガスによる空気汚染や温暖化への大きな影響力も考えると、車依存社会になってしまった日本にある種恐ろしさも感じます。
総量規制をするとか、公共交通をもっと充実させるとか、車社会自体を見直す時期に来てるのじゃないかと、ずっと前から思っていたのです。

狭い日本の狭い道、もう少し、車には配慮と遠慮と恐縮を持って走ってもらいたいと、歩行者の立場から切に思います。
東京大学名誉教授で経済学者の宇沢弘文さんは「地球温暖化を考える」という本の中で、歩行者に優しい道作りという観点から素敵な提言をされています。

「歩道橋という施設がいかに非人間的なものであるか改めて強調するものでもないと思います。安全な歩行という市民の基本的な人権を侵害しないような形で、道を横断することが出来るような配慮がなされなければならないことはいうまでもありません。したがって車道を歩道より低くして、階段を使わないで横断することが出来るように設計を変更する必要があります。
また、車道と歩道は物理的に分離するだけでなく、その間に緩衝地帯を設け並木を植えたりして、歩行者が直接自動車の排ガスをうけるようなことがないようにしなければなりません。住宅も直接車道に面している場合が多いのですが、必ずある程度の距離をとって、樹木なども植えて、人々の生活が排ガス、騒音、振動から守られるようにしなければなりません。」


誰でも被害者で加害者の車社会。
仕事は別にしても、体が元気で公共交通も充実した場所であるなら、「乗らない」「持たない」という選択だってかっこいいと思いますよ。 



温暖化は待ったなし  
コメント (17)
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